第10話 私の全部、俺の告白


 ピンポーン


「なんだよ……こんな時間に」


 薄暗い部屋の中、俺は部屋に鳴り響くインターホンの音で目を覚ました。


 中々視界の焦点が合わないので部屋のリモコンを手探りで見つけ電気を付ける。いつの間にかソファで寝ていたらしい。廊下にはまだスクールバックや制服が乱雑に散らかっていた。


 それらを部屋に放り投げ、インターホンを鳴らしているのは誰か確認した。セールスなら無視して帰ってもらおう。


 ようやく視界の焦点が合い、自宅前の監視カメラに映る人物の輪郭が明確になった。



「……なんの冗談だ」



 そこには、弱々しく、今にも倒れてしまいそうな姿の女神様がいた。


 同時に怒りや呆れ、期待。様々な感情がふつふつと湧いてきた。俺はなんて話しかければいいのだろうか。


 怒りと期待。俺は自分の中でその2つを天秤にかけた。



 そしてーーー俺は怒りを取った。



「今更なんの用ですか」



 ─────



「今更何の用ですか」



 何度もインターホンを鳴らしようやく出てくれたと思い、淡い期待を抱いていたのもつかの間。


 和弥が発したのは微塵の遠慮もない本気の怒りだった。


 多少の覚悟はしていたもののいざ言われてみると、私の行いがいかに自分勝手だったかを痛感させられる。


 だから今、謝りに来た。全部話すためにここに来た。認めて貰えなくたっていいからお願い……聞いて。


「本当にごめん……でも」


「なんですか?言い訳ですか」


 一言一言が心に深く刺さっていく。数日程度たけど一緒に暮らして、心を許していた人にこんな強く言われるのはさすがに辛い。



 もっと頼ってよかったのかな……。



 そんなことを後悔したってしょうがない。今は全部ぶつけて、この先に後悔がないようにするんだ。


「勝手に出ていったのも、もう関わらないでって言ったのも謝る!だから!せめて話だけでも」


「……こんな時間にそこで大声出されると迷惑なんで家に入ってください。場所、覚えてますよね?」


 和弥がそういうと私の前にあるオートロック式の扉が開いた。


 ただ扉が開いただけなのに、そこにはまるで何かが潜んでいるような、踏み込めばもう戻れないような何かを感じた。


 つい感情的になってしまい、怒鳴るような声を出してしまったことは申し訳なかった。謝ろう。


「ごめん。近所迷惑なの考えてなかった」


 和弥からの返事はない。そこには私に対する確かな怒りを感じた。


「それでも全部話すって決めたんだから」


 扉を抜け、階段を上る。何気ないその一歩一歩が余計に緊張を高めていく。わがままでは許されない。泣いたって許されない。


 今まで紡いできた自分の自尊心はどうやら少しつつけば壊れてしまう程脆かったのだと実感した。和弥の前ではそんなものこれっぽっちも役に立たない。


 少しずつ大きくなる不安の中、和弥の家に前着いた。ここを開けば和弥がいる。面を向かって話すことができる。


 ドアノブを握ると鍵が空いていることに気づいた。まるでいつでもどうぞと言っているようだ。


 私は僅かな期待と大きな不安の中その扉を開けた。



「……お邪魔します」



 ─────



「……お邪魔します」



 女神様が家に来た。ついこの前までなら今の時間は晩御飯や風呂を済ませ、くだらない雑談をしている頃だ。


 たった数日とはいえ、あの生活が俺にとっての日常になっていた。本心はまた先輩との暮らしが戻ってきてほしいと思っている。


 だけど、俺はそれでも言わなきゃいけないことがある。


「そこ座ってください」


 リビングまで来ていた先輩に自分が座っている2人用ソファの手前側を指す。先輩は何も口にせず気まずそうにそこ座った。


 いつもなら肩と肩が触れそうなぐらいの距離感でテレビを見たり話したりしていたが、今はその逆。お互いソファよ端に寄りかかり、間にもう1人座れるぐらいの空間ができている。


 しばらく気まずい沈黙が続いた。互いに視線は合うものの、何から話していいのか分からない。


 このままでは埒が明かないので俺から話すことにした。


「なんで俺を頼ってくれなかったんですか」


 考えるよりも先に言葉が出ていた。でも俺が今伝えたいのはこれだ。 先輩は唇を噛みながら俯いた。走ってきたのか乱れた小麦色の髪がその顔を覆い尽くしていた。


 このまま俺が言いたいことを全て吐いてしまえば泣いてしまうのではないか。そんな思考が脳裏を過ぎるが、今はそんな気持ちより怒りが強い。


「俺はこれっぽっちも迷惑なんて思ってません。むしろ先輩がいてくれたおかげでこの数日間、本当に楽しかったですよ」


 ……あれ?どうして


 涙が俺の頬をつたっている。それも1回じゃない。既に何度も流れていた感覚だ。


 でも今はそんなこと気にしてられない。


「俺、今まであんまり人に頼られたことなくて、急に家に泊めてなんて言われてどうすればいいかわかんなくって、色々考えたけど結局なんにも特別なこと出来なくて。それでも先輩は優しくて……なんで泣いてんだろ俺」


 違う。今泣きたいのは先輩の方だろう。追い詰められて、誰にも頼れなくて、ほぼ他人だった俺にすがるほど苦しくて……。遠慮して、自分だけで抱え込んで……。


「なんか無理させてるのかなって気持ちがあって、それでいつも心の中では不安で。でも先輩にも何か事情があるんだから、いつか話してくれたらいいななんて考えて無理やり自分を納得させてました」


 俺は先輩のことを信頼してた。家の事情がどうであろうと、遠慮なんてしてほしくなかった。一緒に暮らして、俺が何かする度に恩返しだの優しいだの言われる度に嫌な気持ちだったんだ。


「でも、俺なりに頑張ったんです。先輩が熱出したら看病だってするし嫌いな食べ物あるんならそれはできるだけ避けますし……俺なりに頑張ってたんです。それでも『恩』って言われる度に変な気持ちになって……」


 そんなことを気にしなきゃいけないほど俺は、俺はーーー



「俺ってそんなに頼りなかったですか?」



 ───



「俺ってそんなに頼りなかったですか?」



 和弥は泣きながら私にそう言った。


 違う。なんで和弥が泣かなきゃいけないの。私が……全部私が悪いのに。


 和弥はその場に座り込み黙ってしまった。私だって泣きたいよ。頭の中ぐちゃぐちゃで何話していいか全然わかんない。



 それでも、伝えなくちゃいけないんだ。



「……全然頼りなくなんかなかったよ」



 私が恩を返すつもりで言っていた言葉が和弥を追い詰めていたなんて知らなかった。知るよしもなかった。


「勝手に自分だけで抱え込んでたのはほんとにごめん。余計な心配かけたくなくてさ」


 ただでさえほぼ無条件で家に住まわせてもらっていたのにその上悩みまで聞いてもらおうなどと、そんなことは出来なかった。


 今までのように、1人で解決しようと思っていからだ。


「私さ、今までずっと1人だったんだ。誰からも必要とされなくて寂しかったんだ。だから誰かに必要とされたくて、一生懸命自分磨きをして今の立場を、“女神様”なんて大層なあだ名で呼ばれるくらいに努力したの」


 だから、なんでも1人で抱え込むのが当たり前の人生だった。今回もそう。


 無意識に言葉がどんどん湧き出てくる。自然と……涙も出てきた。


「誰にも相談できないのが当たり前のだったからさ、初めて頼れる相手ができても、頼ろうなんて考えもしなかった」


 泣いている和弥にそっと近づき、手を握る。その手を両手で優しくて包むように抱いた。拒まれても構わない。今はただ、聞いてほしい。


「だから……その……ごめん。私のせいで迷惑かけて。和弥が嫌なら私はもう金輪際関わるつもりはないよ」


 私の過去については話せた。これを言い訳にするつもりはないけど、納得してほしい。


 そして、私にはもうひとつ伝えたい本音がある。


「……で、でもさ、私自分勝手でわがままなんだ。謝ってすぐに直せるほど、できた人間じゃない。だからわがままなうちに一つだけお願いがあるの」


 不安より緊張の方が強い。和弥の反応がないだけで本心では迷惑がられているかもしれない。余計なお世話かもしれない。私の過去なんてただの言い訳かもしれない。


 でも……でも……!


 抱いている手に力を込め、泣きながら掠れた声で精一杯伝えるんだ!


「もう一度家に泊めてください……もう少しだけ……私の傍に一緒にいてください!」



 ─────



「もう一度家に泊めてください……もう少しだけ……私の傍に一緒にいてください!」


 先輩は掠れながらもはっきりとした声でそう叫んだ。軽く告白じみた言葉を。


 俺の中にはもう怒りも呆れも残っていない。


 打ち明けて、打ち明けられて、互いに本音を話しているうちに、「やり直せるんじゃないか」という淡い期待だけが残っている。


 先輩は自分の辛い過去を断片的だが話してくれた。そして、先輩は今、俺を必要としてくれている。


 そういや、最初もこうだったよな。


 ふと、今までの日常が脳裏を過ぎる。


 バイトのクールな先輩かと思ったら、その直後にポンコツ属性丸出しで急に家に泊めてって言い出して……。それから一緒にご飯食べて、看病もしたっけな。そのせいで新学期早々学校休む羽目になったし。



 でも、なんだかんだで楽しかったんだ。



 家に先輩がいて、くだらないこと話して、笑って、たまに甘えて。


 俺はそんな日常がどうしようもないぐらい好きだったんだ。


 だから、頼ってほしかった。いつまでも一緒にはいられないから、無理にとは言わなくても事情を話してほしかった。力になりたかった。


 だけど、それ以上に……


「俺なんかでいいんですか。女神様ともあれば学校の同級生とか、先生とかに事情を話せば住む場所くらい確保できると思いますけど」


「……俺なんかじゃないくて、君だからいいんだよ?」


 先輩は緊張した様子はほぼなく、いつも通りの俺をからかうような表情で俺を見ていた。

 それでも琥珀色の瞳には涙が浮かび、目元は紅色に腫れている。


 なんだか気恥ずかしい……


 自意識過剰かもしれないが、先輩はおそらく、俺のことを好きだと思う。それが友達かそれ以外なのかは分からないが。


 先輩は本音を話してくれた。今度は俺が伝える番だ。


「先輩は俺がどうして一人暮らし始めたか知ってます?」


「……何か深い訳でもあるのかと思ってあえて聞かなかったよ」


「本当のこと言うと、ずっと好きだった人に告ってフラれて、それで学校の奴らに色々言われて、それが怖くて逃げて来たんです」


「なんか申し訳ないけど……案外あっさりしてるんだね」


「俺的には結構なトラウマなんですけどね。だから人を好きになるのが怖くて、また笑われるんじゃないかって心のどこかで不安だったんです」


「なるほどね。あっさりなんて言ってごめん」


「まぁ実際あっさりしてるんです。だけど先輩はあまり話したくない過去の話までして、俺の傍に居たいって言ってくれましたし、俺も自分の気持ちを伝えようと思って」


「そっか。別に遠慮なんてしなくていいからね」


 遠慮なんてするつもりはなかったが、この際全部ぶつけてこのもやもやした気持ちをスッキリさせよう。答えなんて知らん。でも、それでいいんだ。


 大きく息を吸い込み、頭に残っている理性を吹き飛ばす。


「まず勝手に出ていったこと!あれ普通に傷つきましたからね!?しかももう関わらないでくださいって!なんなんですか!?フリですか!?マジで紛らわしかったんですけど!」


 先輩が目をつぶり握っていた俺の手をさらに強く握ってきた。まるで予防注射に耐える子供のようだ。しかし今はそんなこと気にしていられない。


「バイトにも行く気失せましたし!店長になんて言えばいいんですか!?オマケに学校では男子からの視線怖いし!学校もバイトも初っ端から先輩のせいでハチャメチャなんですよ!」


 理性を吹き飛ばしたせいで語彙がほぼないような気がする。まぁ仕方ない。こうでもしないと最後まで言えないからな。


「でも……でもそれ以上に!先輩と一緒にいて楽しかったんです!たまに甘えてくる時のあの可愛さなんなんですか!?反則です!よく俺が今まで手を出さなかったって自分を褒めてやりたいですよ!普通の男子高校生なら恋のABCのCまでしてると思いますよ!?

 でも俺は……俺は」


 理性を失ってもなおたじろいでしまう。さすがに面と向かって言うのは恥ずかしすぎる。


 心臓がドクドクとなっている音がこれでもかと聞こえる。アドレナリンか何かが身体中を駆け巡り、俺の理性を再び飛ばす。


 この際どうにでもなれ!!


「俺は先輩のことが好きだから!そんなことしなかったんですよ!頼りになるところも甘えてくるときの可愛さも、全部全部好きなんです!もちろん恋愛対象として!」


 言ってやった。体にどっと疲れがまわってきた。興奮の反動だろうか。いやそんなこともう知らん。別に笑われたっていい。


 先輩はというと突然言いたいこと全部言い出したことに驚いているのか目を見開き、恥ずかしそうに顔を赤らめながらそっぽを向いていた。


「……で、先輩。どっちなんですか」


「……どっちって?」


「俺の告白、受けるのか断るのかですよ」


「そんなのもちろん……決まってるじゃん。……私と付き合ってください。和弥くん」


「……なんで告白返しなんですか!そこは『はい喜んで』とかでしょ普通!」


「別にいいじゃ〜ん。私だってちゃんと告白してみたかったんだもん」


「ほんと……わがままですね」


「私の彼氏になるからにはわがままぐらいきいてもらわないとね!」


「分かりましたよ。先輩」


「うーん。前にも言ったけどその先輩って呼び方禁止!これからは心愛さんとお呼び」


 なんかキャラ変してる気が……


「……心愛さんなんか色々と吹っ切れてません?」


「頼ってくれって言ったくせに〜」


「頼りにすることとお願いを聞くことは別に決まってるじゃないですか」


「え〜ケチだな〜」


「……ケチで結構」


 再び沈黙が訪れる。しかし、その時間すらも今は心地いい。心愛さんからは互いの本音を知ることができて、心から安心しているのが伝わってくる。


 長い沈黙の後、再び心愛さんが口を開いた。


「私さ、またここに泊まってもいいのかな」


 なんだそんなことか。……もちろん、


「いいに決まってるじゃないですか。心愛さんの気が済むまでいていいんですよ」


「じゃあさ、結婚したらずっとここにいられるの?」


「け、結婚て!?まだ俺たち高校生ですよ!?」


「でも後数年じゃん。考えてもいいんじゃない?」


 本音を全てぶつけて気が楽になったのか、言うことに一切の遠慮がない。まぁ、これを望んだのは俺なのだが。


「それより、先輩の荷物って今どこにあります?」


「店長に頼んで休憩部屋に置かせてもらってるよ」


 さすがにもう夜の9時をまわっている。今から取りに行くのは中々にきつい。


 となると、当然この疑問が生まれる。


「……今日どこで寝ます?」


 今この家で寝れる場所といえばソファと俺のベッドぐらい。今の先輩なら一切の遠慮がない。


 つまり……


「え?和弥のベッドで一緒に寝ればいいじゃん」


 まぁ、そうなるよな……


「だってソファで寝ると朝絶対肩痛いし、かと言って和弥を追い出してまでベッドで寝ようとも思わないし……一緒に寝れば万事解決じゃない?」


「いやそれはアウトな気が……」


「うるさい!和也は明日も学校でしょ!今日は私も君も疲れた!寝よう!」


 ……想像以上にわがまますぎる。甘々というよりこのままではただの糖分過多だ。


「まず風呂に入って、その後晩ご飯食べて、少しゆっくりしてから寝ませんか?どうせ明日部活動見学だけなので朝遅いですし」


「そうだね。あ、明日店長に謝りに行こっか」


「……そういや俺今日シフト休んだことになってますもんね」


「そうそう……あとそれからーーー」



 何がともあれ、俺は心愛さんと付き合うことができた。過去のトラウマも幾分か克服できたと思う。


 心愛さんは……遠慮という言葉を忘れている気はするが、これぐらいが丁度いい。程よく必要とされる。この関係の方が俺は心地いい。


 そんなことを考えていると俺のスマホから一通の電話がきた。相手は……田島裕樹。


 一体なんの用だろうか。


「悪いなこんな時間に」


「別に大丈夫だ。なんか用事か?」


「いや、聞きたいことがあってな」


「なんだ?」


 田島が俺に聞きたいこと?全く検討がつかない。イジりに来たのであれば容赦なく通話を切るつもりだが。



「葉賀先輩とは仲直りできたか?」



「……はぁ?」



 夜の静かな部屋に、俺の文字通り間抜けな声が鳴り響いた。

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