第3話 女神様の恩返し


 突然だが俺は、女神様を家に泊めている。

 もちろんこれは比喩なのであるが、実際のところ本当に女神のようなのだ。


「おはようかずくん」

「おはようございます。こ……先輩」


 さすがに昨日のテンションでそのまま名前呼びは恥ずかしいので、心なしか先輩と呼ぶことにした。


「別に恥ずかしがることないのにぃ」


 やはり薄々感じてきてはいるのだが……やけに先輩俺に甘くないか?


 先輩に甘やかされることに一切の抵抗はないのだが、たかが一晩泊まっただけでここまでなるのはさすがに出来すぎではないだろうか。


 あまり異性に対して感情を抱くことの無かった俺から見ても、心愛先輩はクール容姿や思考、その裏に隠された時折子供のように幼い表情を見せるそのギャップ、たった一晩のうちに見せてくれた一挙一動が……可愛いかった。


 おそらくそんな彼女に甘えられて喜ばない男子はいないだろうがそれは場合が場合だ。……俺のこと好きなのか?


 ……馬鹿か。浮かれすぎるのも大概だな。


 寝ぼけた頭を使い続けるとろくなことを考えつきそうもないことが目に見えていたのでとりあえず顔を洗いに洗面台へ移動した。


 寝起きに顔を洗うと気持ちがシャキッとしてぼんやりしていた思考が引き締まる気がした。これがモーニングルーティンというやつだろうか。


 タオルで軽く顔を拭きながらリビングへと向かった。すると、部屋の端に下げているカレンダーが視界に入った。


 とりあえず日付を確認しておくこうと思ったのだが、やけに目立つような印があったのでそちらの方へ自然と目線が動いた。すると、あることに気づいた。


「……やっべ。明日から新学期だった」


 そう、俺は明日から高校生活が始まることをすっかり忘れていたのだ。


 明日から学校が始まり、俺は新しい高校生活をスタートさせる。

 そのために今日は色々と準備をしなくてはいけないことになった。

 めんどくさいことは後回しにしてしまうのは自分の悪い癖だと改めて自覚しなくては……


「どうしたの。顔が死んでるよ」

「明日から学校ってこと忘れてました」

「かずくんって意外と抜けてるんだね」

「先輩だけには言われたくないです」

「し、失礼な!」


先輩はそういうと俺の背中を何度か小突いてきた。

……あながち間違っていないと思うんだが。


「そういえばかずくんはどこ高校に入学

 するんだっけ」

栄開えいかい高校ってとこです」


 一応個人情報だが、先輩には別に教えても問題ないだろう。


「本当!? 私と同じだね」

「え? そうなんですか」


 思わず腑抜けた声を出してしまった。こればっかりはしょうがないだろう。誰がそんなことは予想しているものか。


 一時冗談かと思ったが、昨日の会話から察するにこの人はこういうとき冗談が言えるような人ではない。……話ができすぎじゃないか?


「先輩……それ本当ですか?」

「酷いなぁ。わざわざ嘘をついて私になんの得があると思う?」

「……ですよねぇ」


 正直驚きを通り越して恐怖すら感じた。学校で二人で住んでることバレたら詰むこと間違いなしだからだ。……わざわざ引っ越してきた意味がなくなるじゃないか。


「……とりあえず、明日の準備をすることにします」

「……終わってないんだ」

「結構めんどくさがりなんで」

「へぇ〜。宿題は終わってる?」

「それぐらいはやってます」

「おぉ。えらい」


 まるで子供をあやす様に先輩はよしよしと言いながら俺の頭を撫でてきた。先輩こういうことを素でやってくるから思わず反応に困ってしまう。いやもちろんいい意味で。


何度も振りほどこうとしたのだが、体が言うことを聞かなかったせいで出来なかった。先輩の子供のようにケラケラと笑う姿を見ていると自然と頬熱くなっていくのを感じた。


 ……どうやら無意識ながら俺は先輩に甘えたいらしい。


「あ、文房具とか揃ってる?」

「最低限揃えてると思います」

「何か足りなかったら言ってね。私が買いに行くから」

「いやさすがにそこまでしてもらう必要は」

「大丈夫。少しでも恩返ししたいからさ」

「そ、そうですか」


 ……恩返しか。別にそこまでかしこまらなくてもいいのだが……まぁこれも先輩の心から善意だろうし、無下にするのもそれはそれで申し訳ない気がした。


「じゃあお言葉に甘えさせてもらいます」

「はーい」

「先輩は用意しなくていいんですか」

「私はもうほとんど終わってる。それに私たち2年生は1年生より新学期が始まるのが1週間遅いから、まだ大丈夫だよ」

「なるほど」


 今更だが先輩の方は同校であることがちっとも気になってない様子。肝が据わっているというか鈍感というか……おそらく後者だろう。


「先輩……一応聞いときますけど」


 心愛先輩は特に何も意識していない様子でこちらに耳を傾けていた。……俺が意識しすぎているだけなのか?


「俺たち同居してるの学校にバレたら結構やばいと思いますよ」

「なんでバレること前提なの」

「なんというか……その、俺隠し事が苦手で……つい口走ってしまうかもしれませんし」

「私はバレても別にいいよ。ちゃんと違うって言えば皆信じてくれるよ」

「それならいいんですけど……」


 あ、ダメだこれ。勝てないやつだ。

 押しには多少強い自信があるが、ここまで来ると強い弱いとかそういう次元じゃない。


「それにバレないためにする方法ならいくつか思いつくし」

「……教えてくれませんか」

「うーんとね、例えば───」


 先輩の意見としては、学年が違うからそもそも会う機会が少ないということと、帰りにばったり会うことを避けるために帰宅時間を少しずらそうと言ったものだった。


 態度からして楽観的に考えているものだと思っていたが、割としっかり考えていたらしい。オンオフの使い分けだろうか。


 その後しばらく自室の片付けをしていると、時刻は午前7時を過ぎようとしていた。ちょうど小腹も空いてきたので、朝食を作ることにした。


「先輩、何か食べたいものありますか?」


 昨夜のにんじんのように嫌いなもので毎回からかっていてはさすがに先輩が可哀想だ。なので今回は希望制にすることにした。


 一応呼びかけたのだが、何か作業をしているためか反応はなかった。キッチンから少し覗いて見ると、メモ用紙のようなものにマルヤバツなどの印をつけていた。宿題だろうか。

しかし見る限り、先輩は明らかにそれに没頭していたので、俺は下準備だけでも済ませようとエプロンを取り出した。その時、


「ちょっと待った!」


 先輩が唐突に発した鋭い声にエプロンを着ようとしていた手を止められた。


「な、何ですか?」

「今日は私が作る」

「……別に無理に恩を返す必要はないんですよ?」

「無理なんてしてないよ。ほらほら座った」


 昨日もなんだかんだで二回ぐらい恩を返そうとしてきた気が……

 先輩はこうなると融通が効かないので、俺は大人しくテーブルへ向かうことにした。


 先輩はというともう既に髪を一つにって、持参した茶色の猫柄エプロン姿でキッチンに構えていた。完全にやる気スイッチがオンだ。


 これはわざわざやめさせるのも申し訳ないのでリビングで待つことにした。ここは大人しく女神様からの恩返しを受けさせてもらうことにしよう。


 静かなリビングに先輩の鼻歌と包丁のストンと言った心地よい音が広がっていった。テレビでもつけようと思ったのだが、なんだかソワソワしてしまって落ち着かなかった。


 キッチンに立つどこか嬉しそうな先輩の様子を見ていると、ふと思ってしまった。


(なんだろう……奥さんを持った気分)


 ふとそんなことを考えていると、先輩と目が合った


「なんか新婚夫婦みたいだね。私達」


 その表情はまるで俺の考えてることを予想していたのかと言わんばかりに満面の笑みだった。


 自分が考えていたことをど図星で言われたので思わず動揺してしまう。


 新婚夫婦か……


 まだ先輩とは関係が浅いが、今の生活が続けばそういった感情も芽生えてくるのだろうか。


 ……それはないかな。


 まだまだお互いのことを詳しく知らないし、先輩には恐らくわざわざほぼ他人であった俺に頼んでまで逃げ出したかった家庭の事情があったのだろう。


 それは興味本位で足を踏み入れてはいけない心愛先輩自身のプライバシーだ。

 その問題は解決してほしいが、たかが高校生のにはどうしようもないことだ。


「……ん。……ずくん……かずくん」


「……あ、なんですか先輩」


 先輩の呼びかけで我に返った。

 どうやら考えすぎて意識が飛んでいたらしい。


 そうだ。今は気にしていても仕方がない。今はこの生活の余韻に浸ってもいいと思う。


 ……この関係は、長くは続かないんだから。


 ─────


 先輩は料理だけでなく、配膳までしてくれた。さすが申し訳ないと思いつつも先輩が善意でやってくれていることなのでここは甘えさせてもらった。……なんか俺、どんどんダメ人間になっている気がするな。


 テーブルに運ばれてきたのはフレンチトーストとオニオンスープとサラダ。外食などで見かける朝ランチセットと大差ないそのオシャレな朝食は小腹が空いていた俺の食欲を大いにそそった。


「さぁ、召し上がれ」

「いただきます」


 まずは程よい焼き加減で仕上がっているフレンチトーストにかぶりついた。


「美味しい……!」


 一口食べると砂糖の甘みと卵のまろやかさが口いっぱいに広がった。

 それでいてパンもサクサクで口当たりがとてもいい。


 オニオンスープもフレンチトーストで甘くなった口の中をスッキリさせてくれるぐらいのちょうど良い塩味でバランスが取れていた。


「でしょ? 私結構自信あるんだ」

「特にこのフレンチトースト味付け最高です」

「おぉ、気づいた? バジルを少し入れてみたんだ。いいアクセントになると思って」


 噛めば噛むほど味が出るとはよく聞くが、本当に噛むほどに味が増していくようで、飽きが全くこない。ちょっとしたアクセント1つでここまで料理は美味しくすることができるのかとしみじみ思った。


「俺もこれ作れるようになりたいです」

「え〜。パクらないでよ〜」

「技術ってのは盗んでナンボじゃないですか。これをさらに自分でアレンジしたいんです」

「なるほど。それなら許してやろう」

「なんで上から目線なんですか」

「ごめんごめん」


 そういうと心愛先輩はケラケラと笑い始めた。俺もそれにつられて笑った。


 その後もくだらない談笑をしながら、楽しい朝食の時間を過ごした。



 ……先輩が楽しそうに笑っているのを見ると、「本当に家庭事情で悩んでいるのか」と心のどこかで思ってしまう。本当に心の内で苦しんでいる人があんな笑顔ができるのかと、俺には不思議でしょうがなかった。


 ……でも、俺にはその原因を聞く勇気はなかった。答えはシンプルで、「怖い」からだ。

 昨日見た先輩のあの凍てついた表情。あれをもう一度見てしまうかもしれないことが怖かったのだ。


 ……今は考えていても仕方ないな。こうやって自分の手の届かないことまで気にするのは俺の悪い癖だ。もっとポジティブに考えよう。


 一緒に暮らす人ができた。


 真面目で、ちっちゃくて、たまにすごく怖くて、子どもっぽくて、可愛くて。

 まだ出会って間もないけれど一緒にいるだけでとても楽しい。この気持ちは嘘じゃない。


 難しいことなんて考えずに、このなんとも言えない温かさをずっと感じていたい。


 そう考えると、心の中の暗い感情がうっすらと消えていくような気がした。


 無性に心が温まっているように感じるのは、朝食で温かいスープを飲んだからだろうか。


 それとも───






〘 あとがき 〙

 ども、室園ともえです

 読んでくださってありがとうございます。

 少し加筆修正加えました。

 今回は二人の日常を書いてみました。

 どうだったでしょうか。

 起承転結を意識したり、他の作品を参考にしてみたりしていますが、やはり作品作りは

 難しいとしみじみ感じています。

 既読感覚で下の応援ボタン的なものを押してくださると嬉しいですm(__)m

 よかったらぜひ、感想お願いします。

 それでは、また(。・ω・)ノ

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