第十六話。奪還戦開幕。

 雨が降り出した。冗談のように分厚い雲がイルファーレに差し掛かろうとしている。

 上空に飛行艇が見えた。

 オーランドは信号弾で合図する。飛行艇から光が瞬くのが見えた。返事だ。


「おい、アベル! ここから西の広場、わかるか!?」

「たぶん……国門線三番駅の飛行船発着場が……」

「それだ!」


 国門線に乗る国門線三番駅。

 まだ生身だった切り裂きジャックとアベルが戦っているのを目撃した場所だ。


「そこに何の用があるんだ! 早くザクロを……あの要塞に!」

「馬鹿野郎、落ち着け! 地上からどうやってミドルカッスルに入るんだよ! それにその左腕! そんなんで戦えねえだろ!」

「でも……」

「待て、見ろ、小さい蜘蛛たちが撤退を始めてる。用事が終わったんだ。あいつらが戻るまでは、あの要塞は釘付けだ! 焦るな!」


 道をほぼ直角に曲がる。後輪の横滑りが収まると、零から百の加速に乗った。

 森を突っ切る。まっすぐと国門線三番駅に向かっている。

 アベルは収まりつつある視界のぐらつきの中、巨大なミドルカッスルを見上げていた。

 歩く山、あるいは島……御神体と、どっちが大きいだろう。


「オーランド、釘付けじゃない、この蜘蛛、東に……東……東に何があるんだ。御神体?」


 向かう先は御神体……に見える。

 東七番駅から出たらすぐに見える。イルファーレ城とほぼ同じ大きさの巨像。

 オーランドとアベルを乗せたバイクビークルは、御神体とは真逆の方向に向かっている。

 飛行艇が既に舷側の扉から梯子を下ろしていた。


「畜生、すげえ雨になってきたやがったな! おいアベル、飛び乗るぞ!」


 叩き付けるような雨の中、オーランドはゴーグルを下ろす。

 アベルを小突いた。

 二人は構え、同時に飛んで縄梯子にしがみつく。

 バイクビークルはバランスを保ったまま、駅の壁に突っ込んだ。


「あれ、良いのかよ!」

「何台も持ってる」


 オーランドに助けられながら、アベルは縄梯子を登った。

 飛行艇の中に転がり込む。深いスリットの入ったスカートの女が、歯車を回して扉を閉めた。


「よう、アベル少年!」


 機関室からカレン=アップルヤードが顔を出して挨拶する。

 リーフィ=ナシメントは謎の生物でも見るような目でアベルを観察していた。


「こ、ここは……」

「飛行艇、アマノトリフネ」

「……はぁ?」


 樽を横にして手足と煙突を生やしたような形の鉄塊が喋った。

 アベルの目が丸くなる。


「飛行艇アマノトリフネ」

「いやいやいやいやいやいやいやいや」


 これ、と指差してオーランドを見るが、オーランドも神妙に頷くだけだった。カレンもリーフィも、同じく頷くだけだった。

 昆虫の目のような複眼がひとつ、アベルを見ている。その下にある申し訳程度の長方形の穴が口とでも言うのだろうか。


「おい、カンクロウ、背中を見せてみろ」


 オーランドが、喋る鉄樽をカンクロウと呼んだ。

 カンクロウは小気味良い返事をして振り返る。やたらコミカルな動きだった。

 そしてその背中の模様……


「ザクロのローブと同じ……」

「ほーらな、言ったろ、カンクロウ」

「で、そのザクロという嬢ちゃんはどこだ」

「捕まってんだよ、ミドルカッスルになぁ。だから今から助けにいくの。おらぁ、出航だ!」


 オーランドが中空で手を叩くと、乗組員たちはそれぞれの持ち場に散った。


「おい、カレン、お前はアベルの左手を見てやれ。船医室に行って、マルカに頼んで怪我の応急処置もな。機関室はカンクロウに任せる」

「わかった」「おうよ」


 カンクロウはその両足を器用に動かして機関室に向かって、その両手を器用に動かして機関室の扉を開けて、その全身を器用に動かして機関室に這入っていった。

 アベルの口が塞がらないのも無理は無いが、


「説明はあとだ。とにかくザクロ嬢ちゃんを助けなけりゃ、だろ」


 オーランドはアベルの頭を、くしゃりと撫でる。

 納得できないという顔ではあるが、アベルも立ち上がった。

 アベルが船医室に入ると、用件は伝声管を通して既に伝わっていたらしく、マルカがせっせと治療の準備をしていた。

 黒髪に白衣。メガネのツルは真鍮製だ。

 アベルが指示されて椅子に座ると、待機していたカレンが手際良くアベルの左腕を外し、マルカは消毒液を布に塗り始める。

 カレンは目にも止まらぬ速さであっという間に左腕をパーツごとに分解してしまった。

 手首部分の損傷。小型ボイラーにも圧力タンクにも傷はついていないのが幸いして、どうやら部品の交換と簡単な板金だけで済むようだ。

 あらかじめ持って来た錆びた工具箱から、次々にパーツと思われる金属片を取り出す。

 ボルトもナットも、一目見ただけで大きさを当ててみせ、あれよあれよといううちに手首の骨格が修繕されていく。


「ちょっと痛いよ」


 左肩を見ていたマルカはそう言って、釣り針のような形状の針を突き刺した。

 激痛に顔を歪ませるが、何をしているかは理解できる。悲鳴は耐えた。

 切り裂きジャックを殴りつけたときに、基盤を埋め込んで縫合した場所が開いたのだ。せっかく閉じそうだったというのに。

 素早い処置を施し、傷口をすぐに縫い合わせてしまう。


「どうせまた開くんだろうし、糸もわざと切れやすいのにするからね、少年くん。一応、止血剤を打っておくわ」

「は、はあ……」


 注射器で謎の液体を肩付近の筋肉に打ち込む。痛みに耐えて脂汗を垂らすアベルの顔を、柔らかいタオルで拭いてくれた。

 カレンは「カエルに羽を生やそうと試みる女だぞ……」とマルカの注射を見て目を剥き冷や汗をかきつつも、修理は終盤に差し掛かっていた。

 組み直した骨格に、小型ボイラーや圧力タンクを装着していく。タンクに直接蒸気ボンベを突き刺して圧力を補充した。

 へこんだプレートは、簡単な成形で済ましてしまったが、この緊急措置ではこれ以上のことはできないだろう。

 組み上げた左腕を肩から突き出すボルトに装着した。

 ドライバーで肩口にあるスイッチを操作して、起動する。

 確認してみて、という声に従って、アベルはいつもの動きで駆動を確かめる。

 握って、開いて、握って、開く。

 手首を回して、肩の可動範囲を確かめた。完璧だ。

 閾値判断で痛覚を断っていた手首も、感覚が戻っている。


「あ、ありがとう……ございます……」


 カレンは笑って、バシバシとアベルの肩を叩いた。

 アベルが甲板に這い出てくると同時に、無数の大砲の音が聞こえた。

 鉄網砲台が絶え間なく点火され、スチームオクタの足止めに必死になっている。

 オーランドは革袋を逆さまにして水を飲んでいた。いくつもの袋を腰に提げている。


「お、直ったか」


 オーランドはアベルを招き、スチームオクタを指差した。


「良いか、駆逐艦はあそこの中に入っていった。だがこの船での侵入は難しい、なんせありゃあ要塞だからな。それで、いま滑空板を用意させてるから、準備が出来次第、そいつを使って要塞に着陸する。まあ各人と言っても、俺とお前、そしてリーフィって戦闘員だけだけどな」

「え……て、手伝って、くれるのか」

「は?」


 オーランドは驚いたように半身後ずさる。

 何を言っているんだこいつは、とでも言いたいようだ。


「いや、だって、金はもう無いよ」

「この前、四万ドルももらっただろ。釣り勘定を間違えてな、渡しそびれてたんだ。そいつの代わりだよ」


 釣り勘定。

 やはり、この男……


「良いやつだな、あんた」

「だろぉ? よっし、ほれ、あの赤毛のねーちゃんが滑空板を持って来てんだろ、そいつを一個もらってこい」


 オーランドが示した先には、船尾の方から歩いてくる赤毛の女。アベルのくすんだ赤毛よりも、深く派手な赤色だ。


「私はリーフィ=ナシメント。少年は、キャプテンの友達か?」

「あ、俺はアベル=バルトネク。よろしく。友達なのかは……わからない」


 ふふん、と笑ったリーフィは、アベルの肩をぽんと叩いて通り過ぎた。

 滑空板には、落下傘も備えられていた。アベルは布の塊を抱える。リーフィはそれとは別に、予備の落下傘を二つ持った。


「滑空板と落下傘の使い方は?」

「大丈夫」


 アベルは滑空板の装備を点検する。

 足を固定するベルト、風を切る複翼、急旋回などを行うための固定手綱、そしてハンドル。全て問題無い。


「よし、今この飛行艇アマノトリフネは高度を上げている。今まで森に隠れるよう隠密飛行をしてたが、高度を上げるとそうはいかねえ。味方識別も無いから、たぶんミドルカッスルからもイルファーレからも攻撃を受ける。俺たちがさっさと出て逃がしてやらねえと蜂の巣だ。良いな、ビビるなよ」

「待て、キャプテン、これ何の話だ。私は何も聞いてな」


 リーフィ=ナシメントが声を上げたと同時に、伝声管からカンクロウの大声が飛び出して来た。高度をとった。この高さなら滑空板で飛び降りてミドルカッスルに着地できる。


「カンクロウ! お前らは駆逐艦が減ったらで良いから、一番派手なところに来い! リーフィ! お前は着陸次第、回し蹴りでもしてろ!」


 オーランドは滑空板を抱えて船から飛び降りた。

 リーフィはそれで了解したようで、オーランドに続いて飛び降りた。

 アベルは要塞を見る。本当に蜘蛛のようだ。牙の位置から駆逐艦が出入りしている。皮肉にも、鉄網弾くものすに引っかかっているのはスチームオクタの方だが。

 船のへりに足を掛けて、可能な限り高く飛んだ。

 滑空板のベルトに足を嵌めてバランスを取る。複翼が風を掴んだ。滑空板の左右から腰の位置まで伸びている固定手綱を掴む。

 ハンドルはロックした。急旋回はハンドルでなく手綱で行う。

 アベルは滑空板を傾けて、オーランドを追い抜いた。

 オーランド=ギャッツビーはスピードを上げたアベルを見て笑っている。

 オーランドは腰に提げていたリボルバーを取り出した。念のために構えておく。しんがりを受け持った。

 アベルが腰を落として右足をベルトから外すのが見えた。

 さらにスピードを上げるつもりだ。その効果はすぐさま現れ、リーフィを一息で追い抜いてしまう。

 アベルが振り返る。オーランドに合図しているようだ。眼帯で隠れていない方の目をよく凝らしてみると、アベルは右手を銃の形にして、自分の頭上を指差している。


「やるぜ、あのガキ、仲間に欲しいくらいのトビキリじゃねえか!」


 オーランドは大きく了解のサインを出す。

 アベルはそれを確認して、もっとスピードを上げた。足元を押し返す暴風をうまく制御する。雨粒が顔に叩き付けられる。

 滑空板を左右に……体を半身にしているので前後に……倒し、スピードが出過ぎないように調整しつつ、それでも確実にスピードを上げていった。

 風の音以外は何も聞こえない。

 空中戦を展開する駆逐艦は遥か彼方にあるが、旋回艦が近づいてこないとも限らない。

 神経を風に乗せて張り巡らす。一瞬の油断もしない。

 深く息をして呼吸を落ち着かせ、落下による本能的なパニックを封じ込める。

 ミドルカッスルが眼前に迫って来た。

 とことん巨大だ。煙突の一本がいちいち蒸気機関車を突き立てたような大きさがある。

 アベルはまだ落下傘を開かない。ミドルカッスルの上に立っていた兵士が、アベルたちに気がついた。

 滑空板を前後に振って、大きく蛇行する。左右に揺れる滑空板は、弾丸をかいくぐるような軌道で要塞に近づいていった。

 今にも甲板へぶつかりそうだ。後ろで落下傘が展開される音が聞こえた。リーフィだろう。

 アベルはまだ開かない。距離は三十メートル……二十を切ったところで、アベルが落下傘を開いた。十字に組んだ木の棒に、長さの等しい頑丈でしなやかな糸がそれぞれ末端から伸びている。丈夫な布の四隅に張り付いた糸が、勢い良く張りつめた。

 アベルは十字の木の棒を抱えこむように、風を受けて上昇する落下傘にしがみついた。

 そして手筈通り、アベルの落下傘をオーランドの銃弾が貫いた。

 溜め込んだ空気が抜けていく。穴から風に引き裂かれ、遂には真っ二つに千切れてしまった。

 アベルは落下傘を捨てて要塞に転がり込んだ。すかさず銃を構える兵隊を千切っては投げ千切っては投げ、オーランドとリーフィの着陸地点を確保した。

 三人がミドルカッスルの駆逐艦発着場に降り立つと、要塞内は大騒ぎだ。

 編隊整備を行っていた兵たちが慣れない銃を構え、やがて乱れ撃ちが始まる。三人は慌てて物陰に飛び込んで、発砲音が収まるのを待った。


「良いか、リーフィ、ここは任せた。俺とアベルは奥に進む。あのキチガイ蒸気機関野郎と貧乳馬鹿女がいるかもしれない。もしいたら俺が先に出会ったほうを受けてやる。アベル、滑空板は持ってけ。ほら、スペアの落下傘だ。こうやって滑空板と一緒に背中に担ぐんだよ……うまくやれよ」

「お、オーランドたちは?」

「この回し蹴り女は放っておいても生き残る。俺は言うまでもなく、だ。良いか、こういうときは合流できなくても躊躇うな。お前とザクロは滑空板で飛び降りろ。お互い生きてりゃまた会おうぜ!」

「出るぞ、キャプテン!」


 リーフィが物陰から飛び出した。腰を極限まで落として、素早い移動で体を左右に振る。へたくそな弾丸など掠りもしない。

 一気に兵士と距離を詰めたリーフィは、言われた通りの回し蹴りを放つ。鉄板を張った鋼鉄の靴が、ミドルカッスル兵を襲う。

 そのまま踊るように回転し、足と手が逆さまに……手のひらで地面を滑って足を振り回す。

 回転速度をグングン上げて、そして足の一本を床に叩き付けた。

 飛び出したリーフィの体がきりもみ回転で弾け、三人纏めて吹き飛ばす。

 弾幕をかいくぐる女が足技のみでミドルカッスルの整備兵たちを、あれよあれよとなぎ倒していった。


「行け、少年! 何をするのか、知らないけれど!」

「あ、ありがとう!」

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