第十五話。大蒸発の真相と肉の棺。
鋼鉄のコンビネーションで巨大な蜘蛛が足を上げる。
一本一本が巨木の如く太いピストンが、シリンダに溜まる圧力によって伸び、伸び切ったところで蒸気を吹き出し減圧に従って縮む。
ガシュ、ガシュ、と排気口が熱蒸気と鉄で摩擦する音。汽笛がしきりに鳴っている。まるで蜘蛛が鳴いているようだ。
八本の足には球型関節が足の付け根から数えて三つある。付け根、人間で言う膝にあたる部分、そしてつま先。
球形関節にもそれぞれに汽車の蒸気分配箱に相当する制御装置が搭載され、細かい方向調整が可能になっているらしい。
つま先は機関車のボイラーほどの大きさがある。
スチームオクタの足並みは溌剌としていた。
三本足のセットに一本の足が増えた、蜘蛛の歩行パターンをよく模写している。
関節ごとに突き出ている煙突から煙が吹き出す。蒸気はミドルカッスルの全体を覆い、その仰々しさに拍車をかけた。
イルファーレ国軍の伝令兵など微塵も気にかけることなく、機械仕掛けの巨大蜘蛛は歩みを進めた。
遠慮することなく、イルファーレの国門を、そして国壁を、蹴破った。
壁は難なく圧壊する。
歩く孤島の質量には耐えられない。積乱雲と見紛える蒸気を吹き出しながら、移動要塞国家ミドルカッスルは、イルファーレの国土を踏んだ。
最早、これは戦争だ。
イルファーレ国軍は住民の避難を呼びかけている。南から来ている。進路が変わった。東だ。イルファーレに聳え立つ御神体の裏に避難をしようとしていた国民の一団が、パニックに陥りそうになる。
騎士団の必死の統制の元、なんとかぎりぎりのところで秩序を保っている状態である。
恐らく、『噂』のおかげだ。
事前に、ミドルカッスルが来るかもしれないという情報が入っていたからこそ、対応できている。
突如の来襲であれば、こうはいかないだろう。
積乱雲のさらに向こうに、南側から来るどす黒い雨雲が見えた。
燃料屋も倉庫の石炭が駄目になることを覚悟した上で、在庫を投げ出して避難をしている。
イルファーレ国軍は国民を城へと非難させ、全力の防衛作戦を開始した。
六門からの鉄網砲台一斉射撃。瓦礫を持ち上げるための強靭な網で蜘蛛の足止めを試みた。
蜘蛛の足が絡めとられ、一歩の後退に成功した。ただの一歩ではあるが、六連車両の機関車を縦に跨いでしまいそうな距離を遠ざけることが叶った。
鉄網が球型関節に食い込み、駆動の邪魔をしている。すり切れるまでは足止めができそうだ。命綱を結んだ整備兵がわらわらと群がっている。
イルファーレ駆逐艦が基地から飛来する。各機構えた空雷砲と二丁の機銃が、地を這う小さな機械蜘蛛を掃射した。
そして巨大な蜘蛛の口から無限に吐き出されるミドルカッスル駆逐艦。
壮絶な空中戦が展開された。
空薬莢がイルファーレの大地に降り注ぐ。
北上してくる巨大な雨雲よりも先に、鉄の雨が降り出した。火薬の匂いが立ちこめる。
蒸気と毒ガスに加えて硝煙まで満ちるイルファーレの大気を、隙間無く銃弾が切り裂いた。墜落する駆逐艦が建物を破壊し、火が燃え移る。
蒸気を纏う八本足の絶望は、東の御神体へ進路を変えた。
東七番駅では、蒸気機関式切り裂きジャックの拳が空を切った。
ビグルとオーランドはひらひらと動いてジャックの攻撃を避ける。
オーランドは「なまくらジャック」と揶揄していたが、遂に抜かれたナイフに反応して飛び退いた。背後からビグルが走り込む。
殴ることはなく、張り手でジャックの体を押しのけた。アベルとビグルの体重差は三十キログラム。アベルの体重では倒れなかったジャックも、ビグルのタックルには溜まらず足元をふらつかせた。
そのタイミングでジャックの腋と心臓に弾丸が叩き込まれた。
オーランドの腰のホルダーに収まった大口径リボルバー。
真鍮の装飾が施されたふざけた銃身。
目にも止まらぬ早撃ち。初弾の撃鉄を親指で下ろしトリガーを引いたあと、人差し指でまた撃鉄を下ろして二発目を撃つ。
早撃ちの基本技だが、オーランドのそれはとてつもない精度を伴っていた。
切り裂きジャックを包む蒸気機関の、ピストンシリンダだけを狙って撃っている。
そこに穴が空けば蒸気が漏れ、ピストンが働かなくなる。関節を閉じていなければ、やられていただろう。
どうやらこの眼帯男、ただのチンピラではないらしい。
必死に立ち上がろうとするアベル=バルトネクの頭上を、超小型高速駆逐艦が駅の壁をぶち破って通過した。
煉瓦の欠片がアベルに降り注ぐ。
駆逐艦に乗っているのは、切り裂きジャックと共に何度も襲来してきた、あのスーツの女……エリュシカ=ルタロと、そして気を失ったザクロ=ゼタジュール。
「ザクロ!」
アベルが叫ぶ。
切り裂きジャックはにやりと笑って、跳躍して駆逐艦にしがみついた。
「はははは! 見ろ、街を! バルトネク! お前がこの女を助けたから! 街があんなことになっている! 待っているぜ、バルトネク……スチームオクタの中でなァ!」
切り裂きジャックの高笑いは尾を引いた。
ホームからでもスチームオクタは見える。立派な傘雲を被る巨山が歩いているようだ。
「ざ、ザクロ……くそ、じいちゃんは、どうなった……?」
頭を押さえて、アベルがぐらぐらと立ち上がる。
駆逐艦はあっという間に見えなくなった。
「おい、ビグル! お前はスラムに戻れ! あのじーさんが心配だ! 俺はアイツを追う! アベル、お前はどうする!」
オーランドは選択を迫った。スラムに戻るか、ザクロを取り戻すか。
「行け、アベル! スラムは任せとけ!」
巨漢のビグルはアベルの背中を押した。
オーランドはにやりと笑って、バイクビークルを立てた。
「あのデブもなかなか良い男だ。良い男の周りには良い男が集まるな、アベル」
アベルはオーランドの肩に捕まって、バイクビークルの後部座席に座る。
まだ頭がくらついているが、つべこべ言っているヒマは無い。
オーランドは早速アクセルを回し、バイクビークルは蒸気を吐き出した。
とんでもなくゴツいゴムのタイヤは、汽車の線路をもしっかりと掴む。
超高トルクのエンジンが唸りを上げて、イルファーレを駆け上がった。
真っ直ぐと、歩く巨山へ。
*
スチームオクタに運び込まれたザクロは、駆逐艦を降りるなりエリュシカ=ルタロに担ぎ上げられて目を覚ました。この景色を見て、何かを思い出しそうだった。
駆逐艦の発着場は、スチームオクタの口の位置にあった。区画と区画をいちいち高い壁で囲んでいる。
足元は少し湿っているようだ。どうやら雨が降り始めたらしい。
灰色の要塞。
驚く事に、要塞の上はほとんど振動を感じなかった。
四本足ではなく八本足であるのは、このためかもしれない。とてつもなく、安定している。
「私を、どうするつもり!」
ザクロは震える声で、精一杯虚勢を張った。
自分を担ぐ女に、悪態をつく。
「どうするつもり……? おやおや、自分がやったことも覚えていないのですか。随分と都合の良い頭をしていらっしゃる」
スーツの女は革靴を鳴らして石畳を進んで行った。
ミドルカッスルの内部に入り、階段を上がる。装備を着込んだ兵士たちは、女が見えると敬礼で姿勢を正す。
過剰に頑丈そうな鉄扉の左右に立つ兵士が、扉を開けて女とザクロを中に入れた。
ザクロはそこで捨てられるように投げ落とされる。
手足を縛られた状態では受け身も取れず、脇腹から地面に落ちた。呻き声を上げて背中を丸めた。
「あれを見ても思い出しませんか、ゼタジュール」
部屋の中は石の壁で囲まれており、何をしても打ち抜くことはできなさそうだった。
四方八方をやたらと頑健に作られた部屋の中央で立つ箱。正面に『02』と、番号が書かれていた。
人が一人、すっぽりと入りそうな、真っ赤な箱だ。
ちょうどザクロ=ゼタジュールくらいの少女が入るのに具合が良さそうな……まるで、棺……
半開きの扉から、何かが見えた。
あれは……肉だ。真っ赤な肉ひだが、気味悪く蠢いている。
棺の内壁を埋め尽くす肉ひだが、ザクロを待ち構えるように、隙間から顔を覗かせていた。
ザクロの動悸が激しくなる。頭痛がした。
一ヶ月ほど前の記憶の断片が、少しずつ頭の中に浮かび始める。
水。熱。赤。黒。灰色……
焼け崩れる木々。焼け爛れる鉄。灰と化した豊かな国。
あらゆる全ては蒸気に混ざり、焼け残るものは黒焦げの渇ききった大地のみ……
「いや……」
恐怖に震えるザクロが、怯える子犬のように後ずさる。
スーツの女……エリュシカ=ルタロはその様子をじっと見ていた。
部屋から出ようとも、ザクロの拘束を解こうともしない。
ただただ声にならない悲鳴を上げようとしては喉の奥でつっかえ、ぽろぽろと涙を流すザクロ=ゼタジュールを、見ていた。
まるで無機質な鉄を……感情の無い冷たい道具を……眺めるような目で。
「思い出しましたか、ゼタジュール」
「いやだ……」
「再び聖火を上げてもらいます」
ザクロの髪を無造作に掴んでひきずった。
ごめんなさいと心の中で叫ぶ。喉はもう、役に立たなかった。
懺悔の慟哭を上げることも叶わない。
鉄板に爪を立てて止まろうとするか弱いザクロの抵抗など、一線で戦う戦士は歯牙にもかけない。
――
「次は
――他でもない、ザクロ=ゼタジュールだった。
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