第十四話。蒸気を吐き出す狂える刃。

 シルクハットを被った蒸気機関が現れた。

 黒い鉄の塊。破れたズボンから見える鉄骨とピストン機構。

 僅かに残った肉の隙間から、無数の黒い鉄パイプが顔を覗かせていた。

 動きは限りなくスムーズ。とても蒸気機関とは思えないほどに、人間じみている。

 立ち向かうアベル=バルトネクの目にも、戸惑いの色が見えた。左肩の最後の診療から帰るところだった。鉄橋を走っている汽車の窓から、立ち上がるミドルカッスルが見えた。鉄橋で止まるわけにもいかず、そのまま全速力で汽車は駅に走ってきたが……

 目の前に立っているのは、切り裂きジャックに間違いない。だが、その姿はなんだ。

 返り血を浴びた蒸気機関は、細かく蒸気を吐き出し続けている。

 見たことが無い。四肢全てを義肢化した地下格闘技選手はいた。だがここまでではない。

 内臓の全てを圧力機構に変えたとでも言うような、こんな異形じみた姿はありえない。


「お、お前……」

「よう、少年。確か、一勝一敗だったよなァ」


 驚愕するアベルにも構わず、切り裂きジャックは続ける。

 蒸気機関式スチムライズド切り裂きジャックジャックザリッパーは喋り続ける。


「この前は負けちゃったからなァ……あんな熱蒸気を吹きかけるなんて、聞いていないぜ」

「いや、お前、その体……」

「なァ、名前を教えてくれよ、少年。フィリップ=コワルスキーの教え子かァ……なかなか楽しいんだよ、お前と戦うのは」

「……アベル=バルトネクだ」


 その名前を聞いて、ジャックの口が止まった。

 鉄仮面で表情は見えないが、驚いているようだった。


「バルトネク……なんてこった、なんてこった! アッハッハ! 討ちもらしたのか、バルトネク!」

 討ちもらしたか、バルトネク。

「ジン=バルトネクとサラ=バルトネク! 知り合いか? 知り合いだよなァ。こんな苗字はイルファーレに無いもんなァ……殺したのは俺だよ! アベル=バルトネクゥ!」


 アベルは頭が真っ白になって、いつの間にか切り裂きジャックの懐に飛び込んでいた。

 鉄塊を右手では殴れない。同じく鋼鉄の左腕で、思い切り殴りつける。

 金属同士がぶつけられる轟音と、そして振動。

 だが、


「グゥ……!」


 呻いたのはアベルだ。

 左腕の付け根。肉と鉄の境目。傷が塞がり始めたばかりの繊細な部分に衝撃が伝わる。

 鉄を思い切り殴りつけた衝撃を、義手の中のサスペンションが吸収しきれていない。

 殺気を感じて上を見る。

 切り裂きジャックはナイフを抜いていない。

 組まれた両手をただ振り下ろした。

 まだびりびりとしびれる左腕をかざす。襲いかかるであろう衝撃に備えて、右手で支えた。

 出鱈目な圧力。

 鉄の重さと蒸気のエネルギーが乗った一撃。

 アベルの膝が折れた。


「ハハハ! バルトネク! バルトネクかァ! これだからイルファーレは嫌なんだ……ハハハ……ハハハハ!」


 全身が軋んで動けないアベルの上で、ジャックが高笑いを上げている。

 バルトネク。バルトネクの討ちもらし。

 この左腕をくれたジンを殺し、毎日ご飯をくれたサラを殺した。恐らく行方のわからない兄も、この男にやられたのかもしれない。

 切り裂きジャックが動くのを感じた。即座に転げてその場から離れる。

 ジャックの鉄拳は地面を割った。タイルを、粉々に破壊した!

 着弾点を中心に、タイルが円形にめくれ上がっている。


「うっふふ、殺してやるぜ……俺が正義に裏切られた、きっかけのバルトネク!」


 掬い上げるような軌道でアベルの顔面に迫る狂拳。


「ふぶっ……!」


 力づくで反り返ったアベルの鼻先を、鉄の塊が通り過ぎた

 切り裂きジャックは、ばたばたと立ち上がるアベルを無理に追おうとはしなかった。


「はァ、そうか、それでコワルスキーの元に、お前がいたわけだ……」


 なるほどなるほど、と蒸気の中で切り裂きジャックは笑っている。


「あーあ、面白いなァ、どうしてこんなに面白いんだろう……面白くねえよ、ぼけ……お前殺してやるからな、アベル=バルトネク。その後でゼタジュールを回収するかァ……」


 そうだ。

 アベルが背負うスラムには、ザクロがいる。無事だろうか。ミドルカッスルの駆逐艦が飛んでくるのも見えた。いや、大丈夫だ。コワルスキーもビグルもいるはずだ……

 ザクロを奪おうとしている切り裂きジャックを中に入れるわけにはいかない。

 なんとしてでも、この駅で、頭のおかしい蒸気機関を沈めなければならない。

 スラムの民の避難とザクロの防衛は、コワルスキーとビグルがやるはずだ。

 自分は、アベル=バルトネクは、全力で目の前の敵を黙らせることに集中するべきだ。

 簡単なはずだ。一対一なら勝てる。最初に負けたときは、敵が二人いたからだ。二回目は、怪我もせずに勝てたじゃないか。


 きっと、今回も勝てるはず。

 立ちこめる蒸気を切り裂いて、ジャックが鉄の拳を放つ。

 ぎりぎりで反応できた。アベルが鉄拳と顔面の間に左腕をねじ込む。

 切り裂きジャックは、左腕ごとアベルの体を吹き飛ばした。

 馬力(トルク)が違う。

 アベルの左腕とは異なる。切り裂きジャックの体は、完全に戦闘用として調整されていた。

 恐らく微細な力の加減などできないだろう。力は零か百しか再現できないような体だ。

 ザクロ=ゼタジュールを奪うために、まさかそのためだけに、こんな体に……


「く、狂ってる……」

「その原因はバルトネクだァ! 見ろ! どうでも良い昔話をして哀れみを誘う! こんな小物の木っ端悪党になっちまったのも、全部全部全部! バルトネクが原因だ! だからお前を殺す! 私怨で殺す! 逆恨みで殺す! 気に食わないから殺す! 俺の都合で殺してやる!」


 破壊力の塊が迫ってくる。左腕を構えて、その上を滑らせた。火花が散る。

 連続で力任せに振り下ろされた拳を、アベルは正面から受け止めてしまった。

 二度目の大衝撃。へし折れた。

 木の枝を煉瓦で叩き付けたように、曲がるはずの無い方向に手首が弾ける。人工神経基盤は閾値判断で痛覚を即座にシャットアウト。肘より先の感覚が完全に無くなった。

 衝撃はそれだけでは吸収できない。

 へし折れた腕ごとタイルに叩き付けられた。頭を打った。体が跳ねる。

 脳震盪。動けない……

 体と頭が切り離されたようだった。動けと念じているのに、体は返事を返さない。

 拳が振り上げられた。

 鉄の塊。人型の蒸気機関。吹き出す蒸気が熱い。畜生、死んだ――


「どっ、せい!」


 不意に、横から突進してきた何者かに切り裂きジャックの体勢が崩された。

 アベルの目の前に現れた野太い足。野太い怒号。

 現れたのは巨漢のビグルだった。


「だぁぁぁらあああああああっ!」


 次いで聞こえる獣のようなうなり声。そして巨漢のビグルを飛び越える鉄の馬バイクビークル

 巨大な前輪が、体勢を崩した切り裂きジャックを轢いた。

 そのまま横滑りして止まる。ゴムの焼ける匂いが充満した。

 オーランド=ギャッツビーまでもが駆け付けた。



 コワルスキーのガントレットが火を吹いた。

 巨大な鱗を重ね合わせたような真鍮色の巨大な手甲。蒸気の逆噴射と質量による高速高圧の破壊の連撃が、ミドルカッスルの『おもちゃ』を破壊していった。

 蒸気圧で動く八本足の蜘蛛。人間が乗って動かしている。

 五十からの数で迫る機械仕掛けの蒸気蜘蛛たちを、コワルスキーは獅子奮迅の活躍で壊していく。

 前足の隙間に潜り込み、逆噴射を利用したアッパーカット。蜘蛛の腹に隠れている蒸気機関を破壊して爆破。

 別の蜘蛛が火炎を吐き出してきた。コワルスキーは拳を下に叩き付け、その衝撃で跳ね上がる。回転しながら放つ空中からの一撃で、コックピットを圧壊。

 とても白髪の老人とは思えない。

 そしてこれで全盛期は過ぎたという。一等騎士として前線で活躍していた時代は、それこそ鬼のようだったのだろう……

 だが、きりがない。蜘蛛は無限に出てくるように思えた。


「次から次へと……」


 地獄絵図を切り開くコワルスキーの背中。

 ぼろぼろの小屋の中に、スラムの人々が息を殺して収まっていた。

 その中で、ザクロ=ゼタジュールは歯を食いしばっている。

 ――自分のせいだ。

 スラムの人々はそれを否定するが、間違いない、ごまかしようがない。

 自分のせいで、こんなことが起きている。

 なぜミドルカッスルが自分を追っているのかはわからない。なぜザクロ=ゼタジュールに用があるのかわからない。

 だが、何もかもわからなくとも、この地獄の軍勢が自分を追っている事実は揺るがない。

 小屋に詰まったスラムの人々は、老若男女の一切でザクロを守るように覆い被さっていた。

 この数週間で、心の底から清らかで優しいザクロの性格をスラムの民は理解している。きっといまザクロは自分を責めている。

 それは子どもたちにもわかった。怖いだろう、泣きたいだろう。それでもスラムの子どもたちは泣き喚くことなく、必至に声を押し殺して、ザクロおねえちゃんを押さえていた。

 小屋の外で轟くコワルスキーの怒号。

 蒸気機関が炸裂する。破片が小屋の壁に突き刺さる。

 真鍮色のガントレットが赤く染まっている。

 圧力計を見る。まだ余裕はある。だが、全く以て終わりが見えない。


「底無しか、貴様らぁ!」


 フットワークで蜘蛛の足をかいくぐり、腹にあるコックピットを打ち抜く。

 鉄と肉片が飛び散る。

 血と脳漿に染まる白い髪と白い髭。返り血の中で踊る様はまさしく鬼神。

 押し寄せる機械仕掛けの蜘蛛を潰し、打ち抜き、爆破する。

 汗がコワルスキーの足元に散る。

 機銃を構えた蜘蛛がいた。蜘蛛はそれぞれ牙の位置に武器がある。機銃は、初めてだ。

 コワルスキーが腕を揃えた。ガントレットは盾になり、コワルスキーの体を全て隠す。

 腰を折って駆け出し、機銃蜘蛛との距離を詰める。

 零距離でガードを開き、振りかぶった鉄拳で叩き潰した。

 振り返り銃弾を手甲で防ぐ。跳ねた弾丸は別の蜘蛛のパイロットに突き刺さる。


「くそ、歳か……、待てよ死神、まだじゃ……まだまだじゃ……!」


 息が上がって来た。

 老いには勝てない。ガントレットの圧力が切れるのが先か、体が動かなくなるのが先か。


「あの嬢ちゃんを……なんとか……ぜぇっ!」


 苦しい。だがまだガントレットの重みは感じない。まだ敵を潰せる。

 フィリップ=コワルスキーは拳を振るい続けた。蜘蛛の足を掴み、逆噴射のエネルギーで投げ飛ばす。三体を巻き込んだところで、まとめて圧し潰す。

 爆煙を背中にコワルスキーは吠えた。


「死にたいやつからかかって……」


 殺気を気取る。

 体を捻る。弾丸だ。背中に刺さった。なんとか急所を外した。

 二発目がガントレットの隙間を縫って右腕に刺さる。これも心臓を狙っていた。



「……凄まじい。どうして急所に当たらない。……どうして避けられるのでしょう」


 エリュシカ=ルタロは三十メートル離れた茂みでライフルに弾を籠める。

 フィリップ=コワルスキーの反応を素直に驚いていた。

 蒸気蜘蛛と軍人の死屍累々を築き上げる戦闘力と、老人とは思えない体力、そして何より弾丸を感じ取る戦闘センス。

 これが元一等騎士の実力。あのとき切り裂きジャックの言い分を信じ撤退したのは、疑う余地も無く正解だったらしい。



 血を流すコワルスキーの動きが明らかに鈍った。

 一匹の蜘蛛を取り逃がす。小屋に取りつかれてしまった。


「くそ!」


 掲げた右のガントレットの拳に火が灯った。ボイラー内の蒸気全てを使った大噴射。手甲から拳の部分だけが切り離され、砲弾のように放たれた。蒸気蜘蛛の発動機に着弾する。

 バランスを崩した蜘蛛が吹き飛ぶ。

 ひびの入ったボイラーから蒸気が漏れ出し、空中で爆発した。

 だが蜘蛛は続々と小屋に殺到した。

 コワルスキーは激痛で動けない。貫かれた脇腹と右腕から血が止まらない。青筋を立てて叫ぶ。左腕のガントレットも射出した。六体の蜘蛛を吹き飛ばすが、破れた船底から水が押し寄せるように、次々と蜘蛛が現れる。

 小屋からザクロが引きずりだされた。子どもたちがザクロの足にしがみついて、必死に止めようとしている。

 ザクロは何かを叫んでいた。

 やがてザクロは蜘蛛の背中に担がれて、スラムの民は乱暴に引き剥がされる。

 蜘蛛たちは動けないコワルスキーを迂回して、茂みの中に入っていった。

 まるで、ザクロ以外には興味が無いとでも言うように。


「ザクロ! ザクロ! 絶対に助けにいく! 気球船ツェッペリンで行くから、待っていろぉ! アベルが……アベルが行くまで! 諦めるな!」


 銃を背負って立ち上がったエリュシカ=ルタロが、必死に暴れて抵抗するザクロの腹を殴り上げる。

 ザクロが気を失うところまでは、見えた……

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