第十一話。また稼げば良い。
「アベルさん」
「ん?」
「勝手なことして、ごめんなさい……」
「全くだ、本当に全くだ。もう二度とするなよ、全く」
アベルが軽くチョップをお見舞いした。空から落ちて来たザクロを捕まえた、柔らかい右手で。
騒ぎを聞きつけた紳士淑女たちが、わいわいと集まってくる。
アベルとザクロはホームのベンチに座り込んで、緊張の糸をほぐしていた。
「ザクロがどこから来たのか、どこの誰なのかわからなくっても、それで色んなやつに今みたいに追われても、今みたいに俺が倒してやるから、ザクロは何も気にしないで良い。迷惑だなんて誰も思ってない。居場所が見つかるまで、嫌じゃないならスラムにいたら良い。ちょっと、汚いけどな」
「……ありがとう、ございます」
「もう勝手にいなくなるなよ」
「は、はいっ……!」
煤だらけの顔で白い歯を見せた。ザクロはもう泣いていない。
アベルも笑って、長い金髪がくしゃくしゃになるまでザクロを撫でた。
唸り上げる鉄馬(バイクビークル)が前足を上げて駅に乗り込んでくる。
急停止した蒸気機関車に集(たか)る紳士淑女は引っ繰り返ったように散り散りに逃げた。
バイクビークルは横滑りで止まった。
操縦していたカレンが大きなゴーグルを外して首に掛けた。
目の前で立ち尽くすアベルとザクロに、にっと笑いかけた。
オーランドは後ろの座席から飛び降りる。
「やるじゃねえか、アベル!」
がっはっは、と豪快に笑ってアベルと拳を打ち合わせた。
「あんたたちのおかげだ、ありがとう」
「いいねえ。お礼が言えるやつは嫌いじゃない」
オーランドは何か言おうとしたが、自分を見上げるザクロを見て、止めた。
「おい、カレン、この嬢ちゃん怪我してないか見てやれよ」
何かを察したカレンは、仕方がない、と溜め息をついて笑ってみせ、ザクロをバイクの元へ呼び出した。
オーランドはアベルに近づいて、耳打ちをする。
「金くれ」
「ああ、そうだったな。まずスラムに戻らなきゃ」
「スラム!? お前、スラムの子どもか? ええ、金持ってんの?」
「四万だろ? 持ってるよ。大丈夫」
つくづく良いやつだ、とアベルは思った。
ザクロの前で金の話をすると、ザクロが自分のせいだと思ってしまう。
そう考えたから、オーランドはザクロを遠ざけたのだろう。
アベルは駅員のところまで行って、汽車の復旧の予定を聞いた。
数時間後に復旧した蒸気機関車に乗ったザクロは、すぐに眠りこけてしまった。カレンはカレンでいびきをかいている。
オーランドとアベルは、二人席の通路側に、向かい合うようにして座っていた。
「四万ドルって、スラムの子どもがどうやって貯めたんだよ」
「賭け喧嘩。あぶく銭だよ」
「ギャンブルか?」
「違う。俺は闘う方」
ほう、と目を丸くした。
あの腕っ節の強さは、現場で叩き上げられたものらしい。
「ていうか、あのバイクビークル置いてきていいのか?」
「ああ、いいのいいの。あれ俺たちのじゃないから。カッコいいけど、もっと良いの持ってるから別に良いわ」
「滅茶苦茶なやつだな……」
呆れるアベルに、オーランドは吹き出した。
「滅茶苦茶はどっちだよ! わっはっは! 走る汽車に飛び込んで、敵を振り落として恋人でもない女の子を助けるやつがよ!」
傑作だ、とばしばし頭を叩いて、そのあと乱暴に撫でる。
嫌いじゃない、とアベルは思った。
コワルスキー以外の者に頭をこういう風に撫でられるのは久々だ。
黒髪のオールバック。明らかにちんぴらに見えるが何者だろう。考えているうちに、だんだん目蓋が重くなってくる。
つい昨日まで高熱を出していた。傷口だってまだ塞がっていない。縫い付けた糸が残っている。
昨日の今日での大立ち回り。体力もそろそろ限界に近い。
「寝てろよ。スラムってことはどこだ。東七番駅で良いのか?」
夢うつつの中で、アベルはこっくりと頷いた。
「ザクロおねえちゃん!」
東七番駅を出ると、子どもたちがワッと飛び出した。
ザクロは足元に群がるスラムの子らを抱き寄せて、ただいまと笑った。
子どもたちは狂喜乱舞と言った様子で、ザクロの周りではしゃぎ回る。
「なんだ、いつの間に仲良くなったの」
「アベルさんが寝てるときです。この子たち、一所懸命アベルさんを看病していたんですよ」
「なあ、そんな丁寧な言葉使わなくていいよ。それにアベルで良い、アベルで」
え、え、と顔を赤くして仰け反るザクロを気にせず、アベルはすたすた進んで行った。
オーランドはそれに続き、カレンはザクロを茶化している。
「なんだ、帰ったか、くそ坊主」
家に着くと、コワルスキーが巨漢のビグルとともに戦闘準備をしていた。
装着しかけたガントレットのベルトを外し、壁に立てかける。
「ただいま、じいちゃん」
「怪我は無いか」
「うん、無い」
そのタイミングで、ザクロがひょっこり顔を出し、お辞儀をする。
コワルスキーは、そうかと頷いて、煙草に火をつけた。
ビグルは手を上げて、アベルに挨拶する。
「ビグル、スラムは大丈夫だったか」
「何も無い。戦う用意はしてたが、杞憂だったな」
「その後ろの二人は誰じゃ」
オーランド=ギャッツビーとカレン=アップルヤードが「ども」と手を上げた。
コワルスキーの顔が曇る。
元一等騎士であるコワルスキーは、二人の格好を見るだけでどんな素性なのか、だいたいの検討がついた。
「ああ、そうだ、ザクロ、子どもたちと遊んでやって」
アベルがザクロを家から出す。
ザクロは何の疑いもなく、笑顔で返事をして出て行った。空から小鳥のような歓声が聞こえた。
「オーランドとカレンだ。二人がいなきゃザクロを助けられなかった」
「言うほどのことはしてねえよ」
へへへ、とオーランドは笑って部屋の中に入る。
コワルスキーの前で、礼儀正しくお辞儀をしてみせた。
「オーランド=ギャッツビーと申します」
予期せぬ礼儀正しさに面食らったたコワルスキーが、煙草を取り落とす。
燃えさしが剥き出しのつま先に落ちるかというところで、ビグルが人差し指と中指で挟んで受け止めた。コワルスキーに煙草を返し、やってやったというしたり顔でアベルを見る。アベルは唇を曲げて目を反らした。「こっち見るな」
アベルが自分の部屋から木箱を持って来た。
中身を一度確認して、オーランドに渡した。
「お、おい、坊主、それは」
「良いんだ。金はまた貯めるよ、じいちゃん」
四万ドル。アベルが骨身を削って血を流しながら稼いだ全額。
未練も何も無く。
まるで左腕を分解して自分に与えてくれた、あの育ての親のように。
「確かに受け取った」
オーランドは箱の中身を確認しなかった。
大切に仕舞い込み、アベルの肩を叩く。
「お前は強いやつだ。きっと、なんでも出来る。ザクロちゃんの手を離すなよ」
「ああ。ありがとな」
オーランドはアベルをもう一度乱暴に撫でて、家を出た。
ザクロの声が聞こえた。オーランドとカレンに、深く礼を言っている。
「良かったのか、アベル」
「良いって言ってるだろ。うるせーな」
どかりと椅子に座って、ビグルとコワルスキーの間にある酒瓶を奪った。
直接グイと飲む。喉が焼けるように熱くなった。
外でザクロと子どもたちが遊ぶ声が聞こえる。
「ってことでもういっぺん稼がせろ、ビグル。ボコボコにしてやるぜ」
ひひひと笑って、ビグルを小突いた。
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