第八話。助けるために。

 義手の稼働を確認する。

 握って、開いて、握って、開く。手首を回し、肩の可動範囲を確認した。

 問題無い。

 アベルの神経は基盤でいくつかの束に纏められ、それぞれがボルトに繋がり制御されている。信号は脳から脊髄を通り、神経を駆け抜けボルトに達し、人工神経基盤が義手を動かす。

 思考と反応に誤差は無い。

 十分だ。

 アベルは革のグローブを両手に嵌めた。綿が潰れて薄っぺらになった、気持ち程度のグローブでは、自分の拳も相手の顔も守れない。

 だがリングの上にいる巨漢のビグルは何も文句をつけなかった。

 ザクロが出て行った日の夕方、アベルは目を覚ました。

 傷口の腫れも収まり、そのときには既に熱も下がっていた。

 ……ザクロが出て行った。

 フィリップ=コワルスキーはパンとシチューを持ってくるなり、アベルにすぐに暴露した。


「ザクロはなんて言ってた」

「みんなを守るために出て行く、とよ。強い娘じゃ。仕方があるまいて。元より素性のわからん娘……」


 そうか、とだけ呟いてベッドに座った。

 随分と濃厚なシチューだ。玉ねぎがたくさん溶けているに違いない。じゃがいもをひとつ、フォークに刺して口に運んだ。

 むしゃむしゃと飯をカッ食っていると、部屋の外に見慣れぬ人影が見えた。

 巨漢のビグルだ。


「おい、なんでお前まだここにいるんだよ」

「試合のあとに病院に運ばれて、そのままあいつらが来たんでコワルスキー老を手伝ってるんでい」

「手伝う?」

「警備のまねごとじゃ。少なくともあやつらにスラムを荒らされるのは気に入らん」


 あやつら、というのはやはりあの二人のことだろう。

 汽車の中で居合わせた切り裂きジャックと、スーツの女。


「やっぱりミドルカッスルのやつなのか」

「ああ、そうじゃ」

「あのシルクハットも? 切り裂きジャックって呼ばれてた」


 コワルスキーの手が止まった。


「深追いするなよ、アベル」

「それは追えってことだよな、じいちゃん」

「待て、お前まだ怪我が治っとらんぞ」

「いやだ。行く。ザクロを迎えにいく」


 シチューをたいらげたアベルが真っすぐとコワルスキーの目を睨みつける。

 腕を組んで怒る老人と真摯に向き合った。


「俺の勝手だ。ザクロが勝手に出て行ったのと同じ。俺が勝手にザクロを助けにいくだけだ」

「行くなとは言わん。待てと言っておるんじゃ」

「ザクロが何されてるのかわかんねえだろ! 本当に耄碌しちまったかよ、じいちゃん!」

「この……!」


 コワルスキーが手を目一杯開いて、アベルの頬を張ろうと振り下ろす。

 だが、それはアベルの右腕によって阻まれた。稽古をつけていた頃には不可能であった反応を、今では平気でやってのける。

 血管が浮くコワルスキーの手首を捕まえたアベルが、睨んでいる。コワルスキーの目を、真っすぐと。


「じいちゃんだって騎士だったんだろ! わかるはずだ!」

「わしだって頃合いを見てお前と共に行くつもりじゃ! 今は待て、お前の怪我が治っとらんのだ!」


 唇を噛むコワルスキーに、アベルが正面から戦う。


「ザクロは! 逃げたいって言ってただろうが!」


 コワルスキーは次の言葉が出てこなかった。

 全く同じだ。ジンとサラに。あのふたりの気高き精神を、この少年はしっかりと色濃く受け継いでいる。受け継いでしまっている。

 自分の身など二の次、三の次。ただ目の前の悲劇を全力で阻止しようと、力の限りに戦うのみ。

 美しくも、必ずや身を滅ぼす道徳。

 だが、もう老人のコワルスキーにはその情熱を止める気力は無い。

 羽ばたこうとする若人を捉える鳥かごの鍵は、乾いた手の中には収まっていなかった。


「アベル!」

「なんだ!」

「絶対に死ぬなよ」

 その言葉を聞いて、アベルはようやく笑った。

 それが、答えだ。

スラムここは任せたぜ、じいちゃん」


*


「いい感じに混沌としてきたな。スラムが仕事してくれてるぜ」


 キャプテン・オーランドは酒場でビールを豪快に呷る。

 対するカレンはあきれ顔だ。船で合流したカレンは、事の顛末をリーフィから聞いたのだ。

 イルファーレの至る所でひと芝居を打ってみせ、移動要塞国家ミドルカッスルの襲来の噂を流布する。

 ひとつも嘘は言っていない、と何故か鼻高々に言ってのけるオーランドは、大層機嫌が良さそうにアルコールを流し込んでいた。

 うわさ好きのイルファーレ。

 東の端で起きた事件が次の日には街全体に知らされている。もちろんスラムの出来事など公園の掲示板に張り出されるわけがないし、蒸気式印刷機で印刷した号外を散撒くわけもない。

 全て横の繋がりで伝播する『噂』を媒介にして広がっていくのだ。

 自分たちが蒔いた種が着々と育つ様に満足気な空賊たちは、太陽はまだ頂上を過ぎたころだというのにアルコールで顔を赤らめている。


「オーランド! 水はどうすんの、水は!」

「水ぅ? ああ、水ね、水。とりあえずミドルカッスルから逃げて隠れるくらいの水はもらったんだ。あとは早く飛行艇を手入れしないとな。空焚き近いことしちまってパーツがいくつか駄目になってんだっけか。航行用の水はなぁ、まあ見てろって、この大空族オーランド=ギャッツビー様が、これ以上地面に縛られてたまるかってんだ……見てろって、見てろって……あぁ、なんてこった! ビールが切れてる! 急げ、ウェイター! ジョッキが空だ!」


 オーランドがジョッキを空にして、給仕に追加を頼んだ。

 私のも、と負けじとカレンが手を上げて続いた。

 笑いっぱなしで酒と肉に溺れているうちに、そのまま数時間が経った。

 頬の筋肉がそろそろ痙攣するかという頃合いに、店のビールが無くなったというので店を追い出されてしまった。

 仕方がないので二人はそのまま駅から汽車に乗って船に帰ろうと思ったが、


「おいおい、超かっこいいバイクビークルがあるじゃねえか」

「うーん、二連エンジン、なかなかの代物だねぇ……」

「おいおい、鎖も巻いてねえじゃねえか……まったく不用心にもほどがあるよなあ……仕方ねえから、乗ってみるか」

「乗ってみるしかないね」

「ちょっとだけ乗ってみよう」


 よくわからない理屈で、空族たちは誰のものかもわからないバイクビークルのエンジンを勝手に点火した。

 どるん、と半内燃機関の中でピストンが動き始める。ジャカジャカ鳴るうちに、熱差往復エンジンの起動も始まった。

 ふたりは真っ赤な顔でアルコール臭を撒き散らし、夕暮れの石畳を誰ともわからぬバイクビークルを勝手に乗り回す。路地を抜け、大通りを走り、また路地に入り……


「いやあ、良いねえ、これ。エンジンの音が良いぜ」

「でもウチのバイクは一番デカいのは四連エンジン使ってるよ」

「お前みたいな気狂いクレイジー蒸気機関技師スチームスミスはこれからも頑張ってほしい限りだよ」


 エンジンの音を堪能したオーランドは、ハンドルを切って引き返す。

 本当に盗む気はないようで、本当にちょっと乗りたかっただけらしい。よくわからないところで律儀な男らしい。

 

 さて、と駅に近づくと様子がおかしいことに気がついた。

 駅が騒がしい。

 真っ黒のシルクハットの男がナイフを振り回し、そして左腕が義手の少年が、切った張ったの大立ち回りを展開していた。

 騒乱の匂いを嗅ぎ取ったオーランドは、腰の革袋を取って、喉を鳴らして水を飲んだ。


「フーム……」


 面白いものを見つけた、というような顔で二連エンジンのアクセルを回す。

 夕日を背負った誰のものとも知れぬ鉄馬が、低いうなり声を上げた。


「よし、あいつらを手伝おう。面白そうだし」

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