第六話。陽気な空族。
「キャプテン、あそこの店で水を買えるようだ」
「ご苦労、リーフィ」
リーフィと呼ばれた女は、体を魅せつけるようなぴったりとしたデザインに、腰元まで裂けたロングスリットの真っ赤な服を着ていた。頭の後ろで詰めた、服と同じ色の赤い髪と鋭い瞳。身長の高さも相まって、近寄りがたさを周囲に振りまいている。
リーフィにキャプテンと呼ばれたのは黒髪の男。革袋に詰めた水を飲みつつ、指し示された『水屋』に向かった。
「オーランド。私は部品のストック買ってくるから。船で落ち合お」
「おう、頼んだぜ、カレン」
技術士カレンは厚い生地の作業服を着ていた。もっさりとしたショートカット。首から提げたゴーグルはやけに大きい気がするが、そのサイズ感がカレンの女性らしさをかろうじて現している。
そしてキャプテン・オーランド。
左目を隠す黒い眼帯。後ろに流した黒髪は獣の油で固められ、艶やかに光っていた。肘まで捲ったロングジャケットの中には、革のジレ・ベストに黒いシャツ。真鍮製のボタンが胸の位置で輝いている。腰には太いベルトと細いベルトが二本巻かれ、細いベルトには真鍮で装飾されたリボルバーとナイフが提げられていた。
イルファーレに辿り着いた空族ご一行は、燃料と水を手に入れるために船を出た。
本来、水の補給に寄るつもりだった
いったい何が起きたのか……全く理解できずガセネタだろうと鼻で笑っていたが、いざアクアドグマの上空に来るとそれはそれは酷い有様だった。
その心安らぐ湖面の国が、まさしく焦土と化していたのだ。
アクアドグマからイルファーレまではずっと追い風なので、ボイラーの熱量を下げて水の消費を節約することができたが、かなりぎりぎりな線だった。
イルファーレの東、スラム街から少し離れた場所に飛行艇の錨を降ろし、朝一の蒸気機関車に乗って街まで出てきたというわけだ。
駅に警備員が多いような気がしたが、特にお咎めは無かった。イルファーレがここまで発展できた理由に、来るもの拒まず、という国風は確実に影響しているだろう。もちろん、空族の格好がスラムの民に紛れていたということもあり得る。
「ミドルカッスルはまだ騒ぎを起こしてないようだな。まず要塞が見えなかったから、そもそも目的がここじゃないかもしれねーけど」
「キャプテン、常に最悪の状況を想定していなければならない」
「最悪の状況っつーと、何よりも水を買えなかった場合だ」
オーランドは革袋の水を飲み干してしまった。引っくり返しても、舌には雫しか落ちてこない。
二本目の革袋を鞄から取り出した。
やたらと水を飲む男だ。
「しっかし、いつ来ても立派な国だぜ、イルファーレ」
蒸気立ちこめる常熱の国。
冬はそれなりに寒くなるらしいが、家の中はきっと暖かいのだろう。
そして街のどこにいても望むことができる、聳え立つイルファーレ城。
話に聞くと先代が王権を収縮し、街の紳士淑女から選ばれた政治家たちと二人三脚で政を行うようになったという。
そうこうしているうちに、オーランドとリーフィは件の水屋に辿り着いた。
とても水を置いてあるような巨大な倉庫があるようには見えない建物だが、ここでは取引を済ませるだけなのだろう。
「水をもらいたい」
「ははん」
カウンターに座る男は腕を組んで、オーランドを頭の先からつま先まで観察した。
眼帯、ガンベルト、そして大振りのナイフ。
「空族か」
「空族に水は売れねえか?」
「まさか、金さえ払ってくれるなら、ネズミにだって売ってやるさ」
男は紙に試算を書き出して、オーランドに見せた。
「はぁ? おいおい水がこんなにするのかよ!」
「
「このやろう、場所が場所ならぶち殺してやるところだ……」
オーランドは盛大に溜め息をついた。
「あークソ。とにかく手持ちじゃ払えねえよ。悪徳業者め」
「風が吹いて桶屋が儲かったってわけさ、ガッハッハ!」
「水が無くなって水屋が儲かっただけじゃねえかチクショー……」
オーランドは革袋の分の水だけ注いでもらって引き返すことにした。
それくらいならサービスだと言って快く景気よく分けてくれた。
恐らく水の量が減っているわけではなく、ただ単にぼったくれるときにぼったくるという商魂逞しい営業作戦らしい。
これは焦って買っても損をする。
「チッ、あのくそ野郎、ここがイルファーレじゃなきゃ、ふん縛って足の指先からゆっくりボイラーの中に突っ込んでやるところだ。見たかよあの膨れた腹。よーく燃えそうだぜ」
ぴたりと、空を見上げたオーランドの足が止まる。
邪悪に笑う顔を見て、リーフィが溜め息をついた。
「何を考えてる、キャプテン」
「空族は空族らしく、自由に気高く小賢しく……」
ぐふふ、と気味の悪い含み笑いを噛み殺し、水屋のところに戻っていった。
リーフィはその場で立ち尽くし、オーランドの帰りを待つ。
こういうときは、キャプテン・オーランドに丸投げしたほうがうまくいくものなのだ。
「おい、水屋」
「おう、なんだ、空族。買う気になったか」
「水の国が蒸発したことは知ってるな」
「まぁな。俺がさっき言ったからな」
「どこのどいつがどうやって、そんなことをやったと思う」
オーランドの提示に、男は肩を上げた。「さあ?」
水屋が首を傾げたのを見て、オーランドは急に深刻な顔になる。
話に引き込まれた水屋は、カウンターに肘をついて身を乗り出した。
オーランドは誰にも聞こえないよう注意を払う振りをして、男の耳元で囁いた。
「ミドルカッスルだよ」
オーランドがそうっと体を引くと、水屋の眉がわかりやすく曲がっていた。
「信じられないか?」
「なんだその素っ頓狂な話は。根拠はあるのか?」
「根拠は無いさ。ただな、ここに来るとき、南東の方から回ってきたんだが、ぼろっちい
「南東……そういや、昨日の夜、東七番駅で騒ぎがあったとか、なんとか……」
パチン、と指を鳴らした。オーランドはそれだ、とでも言うように得意げに口角を上げている。
水屋は顎の髭を触った。荒唐無稽だと思っていた話が、だんだんと現実味を帯びて来た。
「そういや、あいつらの移動要塞も、蒸気で動いてるなぁ」
「はっ……! もしかしてアクアドグマが蒸発したから……あいつらもここで補給を!?」
「もし俺らの船の近くを通ったら、水はどこで補給できるか聞かれるかもなァ……ま、良いさ。俺はイルファーレの人間じゃねえし、義理はねえし、死にたくねえし、ヘコヘコしながらこの辺りを適当に案内してやるかぁ。じゃあな、水屋」
「ま、ま、待て!」
踵を返して戻ろうとしたオーランドの服を、がっしりと掴んで引き止めた。
笑いを噛み殺して振り返ったオーランドに、縋るように泣きついた。
「み、水をやる……言われた全部はさすがに無理だが、船を飛ばして隠れるくらいならやるから、逃げてくれ!」
「ははは、悪いねえ。燃料の買い出しもあるから、あとでまた来るわ。水運ぶためのビークルはこっちで用意するから心配すんな」
オーランドは満足そうに手を振って、水屋を後にした。
「何をした、キャプテン」
「ちょーいと、種をまいてきた。今日はそれを続けるぞ。東七番駅って言ってたな。このまま東から攻めるぜ、ぐふふ」
オーランドはそう言うと革袋のフタを開け、水を一口飲んだ。
不審な顔をするリーフィに作戦を告げて、歩き出した。
適当に見繕ったコーヒー・ハウスにオーランドが入る。席の三割程度が埋まっていた。
上々だ、とカウンターに座ってエスプレッソとマッキャートを頼む。
すぐさま完成して、オーランドにエスプレッソ、リーフィにマッキャートがサーブされた。
オーランドとリーフィはそのまま一口含んだ。
「キャプ……オーランド、そういえば、昨日、騒ぎが、あったんだってぇー?」
リーフィ=ナシメントのとんでもない
「ああ、夕方頃だろ。東七番駅。スラムの終点だな」
「また、スラムの連中が、騒いだのかー?」
壮絶な棒読みっぷりに冷や汗をかきつつ、オーランドは必死にフォローを続けた。
「いんや、そうじゃないらしいぜ。どうやら南東のほうで物騒な小型駆逐艦を見たやつがいるみたいだ」
「み、ミニデスー!?」
台詞の棒読みを取り戻そうとしたのか、リーフィは両手を上げて驚いてみせた。
両手を上げて驚くやつなどいない。
「そ、そう、
「それって」
「そう、そいつの話が本当なら、ミドルカッスルの駆逐艦だ。もしかすると昨日の騒ぎも……」
「な、なんだってぇーっ!?」
オーランドはたまらず目を見開いてエスプレッソを吹き出した。
急いで勘定を済ませてリーフィの腕を引いて店の外に飛び出す。
「お前真面目にやってる!? 万歳して『なんだってー!?』って驚くやつなんて見たことあるか!?」
「何を言ってる! 楽しくなってきたところだ! 次だ! 次に行こう、キャプテン!」
勝手にひとりで盛り上がり始めるリーフィを見て、人選を悔やんだのは言うまでもない。
オーランド=ギャッツビーとリーフィ=ナシメントは適当な店を見繕っては根も葉もない噂を散撒いて、ついでに酒場でビールを楽しんだ。
愉快な酒席を大いに満喫した二人が店を出る頃には日も沈みかけていた。
帰る予定の時間はとっくに過ぎている。いつもそうなのだ。
やってしまったと気付くのは、いつも酒を飲み干した後なのだ。
「怒られちゃうかな……」
夕暮れ時に、駄目な大人が立ち尽くす。
しかしそのおかげで、オーランド=ギャッツビーが撒いた混乱の種は、一晩のうちにイルファーレ全体を飲み込むことになる。
吉と出るか凶と出るかは、花開くまではわからない……
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