第三話。蒸気機関車。

 駆逐艦が諦めたのを確認して、アベル=バルトネク、ザクロ=ゼタジュール、フィリップ=コワルスキーを乗せた気球船は大きく旋回し、スラム街の発着場に降り立った。

 発着場とは言っても大層なものではなく、ただスペースがあるというだけだ。スラムの人間が飛ぶ場合は、いつもここからということになる。

 と言っても気球船を持っている者などほとんどいないため、ほとんどフィリップ=コワルスキー独占している状態である。


 発着場で、コワルスキーが気嚢に詰まったハイドロガスの回収を始める。吸入プラグを取り付けたタンクを連結し、それを気嚢の排出口に差し込んだ。

 アベルとザクロはベンチに座ってそれを眺めていたが、


「て、手伝ってきます!」

「ああ、良いの良いの。あのじいちゃんは、ハイドロガスを集めるのが生き甲斐なんだよ」

「出鱈目言ってないで嬢ちゃんに飯でも食わせてこい」

「ああ、飯か」


 行こう、と言ってアベルは立ち上がる。

 ザクロはコワルスキーとアベルを交互に見ていたが、「行ってきなさい」と言ったコワルスキーに丁寧にお辞儀をして、アベルの後を追った。道中、スラムの人々は物珍しそうにザクロを見ていた。

 アベル=バルトネクは地下格闘技チャンピオンということもあり、スラムではかなりの有名人だ。だがいつも一人でいるかコワルスキーといるかの二択だったため、女を連れて歩いていることが大層珍しい。


 そしてザクロの容姿も悪目立ちに拍車をかけているのだろう。

 人形のように整った顔立ちに、育ちの良さそうな白い肌。頬は少し赤く、後ろで纏めた長い金髪には汚れひとつ付いていない。着ている服もスラムには似つかわしくない。真白い生地に紫色の文様が入った神聖そうなロングローブに、動物の革を張った上品な靴。

 スラムの貧民はもちろん、市街の人間でもそうそう着られるものではないだろう。


「アベル兄ちゃん、この人誰ー?」


 子どもたちがアベルを見つけて、わいわいと群がってくる。

 アベルは笑いながら子どもらの頭をくしゃりと撫でた。

 その間もザクロは、見えるもの全てに興味があるという様子で、しきりに辺りをきょろきょろと見回していた。

 裾を引かれて、ふと足元に群がる子どもたちに気がついた。

 驚いて声を上げたが、屈託の無い笑みを向ける子どもたちにすぐに絆され、頬が緩む。


「おねえちゃん、アベル兄ちゃんの彼女?」


 と、ザクロの足に抱きついた少年がきらきらとした目で見上げていた。

 ザクロは目を点にして、少年を二度見。遠巻きの少女たちは鋭い目でザクロを睨んだ。

 空気が凍る。


「ち、違います、違いますっ。アベルさんとは、さっきお会いしたばかりで……」

「アベル兄ちゃんかっこいいから、早くやっちゃた方が良いよ」

「やる?」

「これだよ、これぇ……」


 少年の表情が邪悪に歪み、意味ありげなハンドサインを示す。

 何の合図かわからず首を傾げたザクロに、


「……『駄目』だな、お姉ちゃん」

「駄目!?」

「あとで俺たちがたっぷり教えてやるよ」

「おーい、ザクロ! 早く行こうぜ、汽車が出ちまう」

「あ、は、はいっ!」


 じゃあね、とスラムの子どもたちに手を振ってアベルの背中を追った。


「かわいい子たちですねっ!」

「スラム街の非常食だよ。あんまり情を移さないほうがいい」

「…………」

「嘘だよ、さすがに。……嘘だって。そんな顔するなって。人は食べないよ」


 スラムの出口は街との境目だ。

 火の国イルファーレは、城を中心に円形に広がる国で、外縁がスラム街となっている。

 風は南から北へ抜けるため、火の国を支える工場は風下にあたる北区に密集している。それでも煙突から吐き出される蒸気と毒ガスはイルファーレに充満しているが、もしも工場街が南区にあれば惨状はこんなものではないだろう。


 アベルとザクロは東区の駅についた。

 スラムと言っても、駅の周囲はまだ街並が明るく、小綺麗な格好をした紳士淑女もいくらか歩いていた。だいたいが後ろめたいビジネスに手を染めた人間か、物好きであるかの二択ではあるが、それでもぼろきれを纏っている貧民とは違う。

 駅は石細工のタイル張り。冬は寒いが夏は冷たくて寝やすいらしい。


「東五番駅まで!」


 アベル窓口にいる駅員に目的地を言った。提示された金額を簡素な革財布から取り出し、二人分払った。

 主要な路線は文字通り東西を結ぶ東西線、芸も無く南北を繋ぐ南北線とがあり、それぞれが交わる中央駅から順番に番号が振られている。

 終点……つまりスラム街の入口は、東西南北七番駅だ。

 少しの階段を上がってホームに辿り着くと、ちょうど、ボオオ、という音が地鳴りと共に聞こえた。音の方向を見たザクロの目が輝いた。

 黒い鉄の塊――蒸気機関車である。


 長い筒に突き刺さる真鍮色の管。蒸気圧で動く長さの違うピストンが、ロッドに回転運動を加えて車輪を直接力づくで動かしている。

 ブレーキの音がホームに響いた。金属同士の擦過音が耳に突き刺さる。

 ザクロは何故だか嬉しそうに笑いながら耳を塞いだ。

 アベルさん、アベルさん、とアベルの裾を掴んで飛び跳ねる。

 小躍りしそうなザクロを引っ張って、並んでいた人々の後に続く。

 車両の中には赤い絨毯が敷かれ、傷だらけの木製の椅子がずらりと両側に並んでいた。

 先頭の一等車を除いて、客車は全てこの構造だ。


「アベルさん、これカッコいい! 何なんです? いったい何なんですっ!? 動いてましたよね!?」

「そうだなぁ、カッコいい。蒸気機関車な」

「ジョーキキカンシャ!」


 わああ、と今度は窓から身を乗り出して景色を見る。

 ホームには、久しぶりの再会なのか思わず荷物を放り投げて抱き合う男女がいた。

 車掌が外に向かって手を上げた。ホームの駅員が運転席の機関士に合図を送る。

 たちまち煙室に貯まった蒸気が吹き出した。

 汽笛だ。

 耳をつんざく高音が駅に鳴り響いた。

 驚いたザクロが体を引っ込める。窓の淵に頭をぶつけてしまった。

 それを見て笑うアベルを、涙目で見上げた。


「蒸気機関車、初めてなのか?」

「初めてです! 何もかも! 初めて! すごく、すっごくきれいです!」


 きらきら目を輝かせるザクロを、アベルが不思議そうに見つめる。


「蒸気機関車が無いって、ザクロはどこの人なんだ?」

「……どこの」


 ザクロは、目を開いて首を傾げた。


「私、どこの人なのか、覚えてないんです」

「ミドルカッスルではないのか?」

「わかりません……覚えてる限りでは、ずっとあそこの、牢屋で過ごしていました」

「牢屋……」


 アベルが考え込む頃には既に、ザクロは窓の外に目を奪われていた。

 ホームを出た蒸気機関車は、緩やかな上り坂に差し掛かかる。遠くに崖が見えた。そして崖を横断する巨大な鉄橋。さらに、崖の淵には俯いて座っている巨大な像。

 うわあ、と両手を広げて窓から身を乗り出したザクロの服を慌てて捕まえる。今にも落ちんばかりの勢いだ。


「ああ、あれな。御神体って呼ばれてる。大昔に動いてたかもしれないけど、もう無理だな。整備もしてないし、石炭を馬鹿みたいに使う。ボイラーに這入ったことがあるけど、あれはちょっとデカすぎる。今は水の貯蔵庫として使われてるんだ。雨が降ると水は御神体のタンクに貯まるようになってる。汚いから飲み水とかには使えないけど」

「水……ですか」

「そうそう、この汽車だって、水と熱で動いてるんだぜ」


 アベルは得意気に機関車の動力を説明した。

 ボイラーの中で火を焚いて水を蒸発させる。蒸気を使って、ピストンを動かし、車輪を回す。


「水は、なくならないんですか?」

「蒸気になった水は空に上がって雲になって、最後は雨になってまた落ちてくるんだよ」


 ほら、とアベルは窓から見える雲の一塊を指差した。ザクロにはあの白い塊が蒸気から出来ていると言われてもピンと来てないようだが、雲についてはアベルも詳しく知らないのでそれ以上の話はしなかった。


「御神体は、何のためにあそこにあるんでしょうね……」


 御神体をよく見ると、蒸気機関車と同じように金属のロッドが複雑に入り組んでいた。

 背中に当たる部分から煙突のようなものが突き出し、確かに蒸気機関であることと、確かに巨大なボイラーで動いていたであろうことがわかった。

 巨像は何かを守るために崖を塞いでいるようにも見える格好で、沈黙している。


「あんなに大きいもの、なんのために動いていたんでしょう……」

「火の国ができる前からあるらしい。なんのためにあるかはわかんない。街の人は御神体の足元にある石の祠にお供え物とかをしてるけど、それもどういう意味があるのかさっぱりだ」

「なんのためにあるのか、わからない……」

 ザクロは、ぼうと御神体を眺めている。

「……アベルさん、私、何も覚えてないんです。名前だって知らなかった。気がついたら冷たい牢屋の中にいて……」


 日が頂点に達し、火の国は最も眩しい時間帯になった。

 茶色い崖が赤く燃え、大気の塵を浮かび上がらせる。

 ザクロはその輝きにうっとりと目を奪われていた。蒸気機関車は鉄の吊り橋を上り続け、もったいぶるような速度で火の国イルファーレをザクロに披露した。


「アベルさん、ありがとうございます、私……外に出られた……あの箱の中から、出られたんですね」


 ザクロの目が細くなった。

 イルファーレを照らす屈託の無い太陽のよう笑顔で、アベルの手を取った。


「私、本当に、楽しい!」

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