決着
胸を貫かれたクーが倒れる。
同時に、カトレアの左目から突き出した赤黒い剣は硬さを失い、液状化した。そして、その液体はまるで意思を持っているかのように、重力に逆らい動き出す。その様子は――まるで、カトレアの左の
やがて、その赤黒いものはカトレアの眼窩から完全に抜け出した。
痛みから解放されたカトレアは、その異様な存在を横目にしつつも、倒れているクーへと這い寄る。
「クー!」
うなだれ、死にゆく幼い弟を胸にだき、絶望の表情を浮かべる幼い姉。世間の荒波に呑まれ細々とつないだ命が、得体のしれぬ魔物の前に成す術もなく、いま失われようとしていた。その姿はあまりにも小さく、弱々しい。
「カトレア様!」
サザンカが黒剣を魔物へ向けて斬りおろす。剣は魔物へ深々と食い込んだ――だが、まるで手応えがない。危険を察したサザンカはすぐに体を引こうとした、その瞬間、魔物の体の一部が鋭い鋭角へと変化する。そして音もなく、サザンカを
「サザンカ!」
「――フッ。とんだ誤算だ、カトレア……貴様にはもう少し期待したのだが……」
魔物は声を発した。男の、老人のような声。その声にカトレアには聞き覚えがある。あの日、【絶望の紋章】を自分に授けた存在……いや、この存在こそが【絶望の紋章】だったことをカトレアは悟った。
「……ねえ……ちゃん……にげ、て」
カトレアの腕の中でクーが薄く目を開ける。
カトレアの右目から溢れた涙が、クーの頬へと零れた。
いまやカトレアの表情に世界の浄化を
その表情は、絶望の淵に立たされ苦悶する、ひとりの少女のそれであった。
一人の命を捨て、万人を救う覚悟など微塵もない。
手の中のクーの命を捨て、未来を救うことなど……。
カトレアは天を仰ぎ、絶叫する。
「――――――アデッサ――助けて!」
しかし、絶望は止まらない。
魔物の体が赤黒い光を放つと【絶望の紋章】が発動し、周囲は暗闇に包まれた。
暗闇の中で、魔物の体の一部がふたたび剣へと変化していく様子が、ぼうっと浮かび上がる。魔物はその剣をゆっくりと振りかぶった。
「カトレア、ふふふ……
魔物は幼い姉弟へ向けて振り下ろした。
――甲高い金属音が鳴り響き、振り下ろされた赤黒い剣を、白く細い腕が放った剣が弾く。
「そこまでよ!」
「ふっ、アデッサ……」
顔がない筈の魔物が、にやりと笑ったように見えた。
「ふっ、ふはははは! 手遅れだアデッサ。この【絶望の紋章】の闇の中で我が力は無限! 貴様には我を殺すことなど出来ぬぞ!」
アデッサを見上げたカトレアは、異変に気づく。
「――アデッサ!?」
「大丈夫、
アデッサは低い声でそう言うと、カトレアへウインクして見せる。
一方、魔物はその体を大きくうねらせると、背中にあたる部分から無数の突起を出現させた。何本もの突起は節くれだった昆虫の脚のように姿を変え、人の背丈ほどまで伸びてゆく。まるで異様な姿をした甲虫を、背中合わせで張り付けたかのような姿。その脚の一本一本の先端は槍のように鋭く尖っている。
「アデッサ、【鉄壁の紋章】も連れずに、カトレアを説得すれば終わるとでも思ったか」
魔物の声が響く。
「ふははは! 永遠の苦しみを味わうがよい。そして苦しみの果てに我に屈し、新たなる
魔物は背中から生えた無数の脚を同時に振りかぶり、アデッサに向けて振り下ろした。
だが――青いルーン文字の帯がそれを弾き返す。
「――!? 貴様! その紋章はッ!」
アデッサはゆっくりと魔物を振り返った。
そして、こう言い放つ。
「あら、私が何の対策もせずにアデッサをカトレアの前へ差し出すとでも思ったのかしら?」
少女はブロンドのウィッグを投げ捨て、【鉄壁の紋章】が刻まれた左腕で黒髪をかき上げる。
噴き出した青いルーン文字の帯がダフォディルとカトレアを覆った。
よく見ると、【アデッサから借りた服】は胸のあたりがダボダボだ。
アデッサ、改め、ダフォディルは魔物へ向けてサディスティックにニヤリと笑う。
「あなた、この空間では無敵だそうだけど……確か、これを使っているあいだは外にいる『本体』は無防備だったわね――守ってくれる『お友達』はいるのかしら?」
「――!」
次の瞬間、魔物の体の中心を【王家の剣】が背後から貫く。
【絶望の紋章】の暗闇が吹き飛び、昼の明るさが戻る。暗闇に包まれる前の、教会の裏庭の光景が広がった。それぞれの立ち位置は、最初から変わっていない。
――だが、魔物の背後に立っているのは【ダフォディルから借りた服】を着たアデッサ。胸とお尻のあたりがキツキツだ。
アデッサの右腕に刻まれた【瞬殺の紋章】が赤い輝きを放つ。
「瞬・殺ッ!」
「ぬおおおおおッ!」
魔物は
だが、やがて【瞬殺の紋章】から噴き出した赤いルーン文字の帯に飲み込まれ、消滅してゆく。
あとには何も残されなかった。
静寂が訪れる。
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