邂逅

 ここはミンヨウ大陸トップクラスの高級リゾート地、チョイト。


 メインストリートの中ほどにある、見晴らしのよい公園。眼下には白一色しろいっしょく街並まちなみと、その向こうに広がる青くんだみずうみとのコントラスト。街ゆく人々のざわめき。大道芸や屋台の呼び声。


 カトレア・チョイトヨイヨイは公園の脇で立ち止まり、白いローブのフードを脱いだ。淡い金色の長い髪が風になびく。陶器のような肌、細い手足。その左目を横切る、鎖の眼帯。

 そのかたわららにはサザンカ・ズンドコソレソレが不動の姿勢で立っている。


「なつかしい」


 カトレアは独り言のようにつぶやく。その視線の先では、募金箱を持った子供たちが道をゆく人々の間をて駆け回っている。

 サザンカは何もいわず、微かに頷いた。


 かつて、カトレアもこの場所で、この子供たちと同じ様に、毎日募金箱を持って走りまわり、幼い弟たちを必死で育てていたのだ。


 ――もし、あのとき。

 病気のヒャラを医者に診せてあげられるだけのお金を誰かが恵んでくれていたなら。いや誰かひとりでなくても、みんなが少し、少しずつだけでも分け与えてくれたのなら……。


 カトレアは嫌な考えを振り払うかのように、こうべを振った。


 死んでしまったヒャラ、ピイ、ノム……消えてしまったクーも、もう生きてはいないだろう。四人の、血のつながらない弟たちの笑顔がよみがえる。


 人類が悲しい出来事を二度と繰り返さないために。この世界を浄化し、聖なる子供達による新しい社会を打ち立てなければならない。大陸中から集めた『聖なる子供』たちは本当に良い子ばかりだ。あの子たちが再建すれば、世界は必ずよくなる。


「あとで浄化しにくる。待っていろ」


 カトレアはそう言い残すとサザンカを引き連れ、街はずれの古い教会へと続く道を歩き始めた。かよいなれた、毎日歩いた道。道幅も、まわりの家々も、記憶の中のそれよりも二回りも小さく、短く感じる。


 やがて、あの古い教会が視界に入った。姉弟そろって、ただ走りまわるだけで楽しかった、そんな思い出がカトレアの脳裏によみがえる。教会へ近寄り、壊れた入り口から中をそっとのぞくと、誰かが片付けたのか、中にはあの祭壇も粗末なテーブルも干草ほしくさを敷いただけのベッドも残されてはいなかった。


 裏庭へまわる。


 ヒャラとピイとノムを埋めて、それを、大きなハイエナが掘り返した墓穴も今では雑草が生い茂り、周囲と見分けがつかなくなっていた。だが、それがどこにあったのかを、カトレアは決して忘れない。カトレアは墓穴があった位置でしゃがみ込み、暫く黙りこんでいた。


 風が吹き抜ける。


 サザンカがゆっくりと、誰もいない建物の角へと振り返り、黒い剣を抜き、構えた。

 カトレアは地面へ視線を向けたまま、つまらなそうに言った。


「来たか、アデッサ」


 壁の陰からアデッサが歩み出る。

 ダフォディルの姿はない。


「そこまでだ、カトレア」


 アデッサの、暗い声。

 カトレアはアデッサを振り返った。そして、同じように暗い声で淡々と語る。


「アデッサ。【封殺の紋章】の効果はすでに消えている。今日こそ私のしもべとなり、世界の浄化のために働くのだ。永遠に、人々が苦しまない未来のために」


 カトレアの言葉にアデッサが応える。


「私は、いま生きている人々も、未来の人々も、救いたい」


 カトレアは大きく息を吸い、ゆっくりと吐いた。


「ふっ。殺すことしかできぬお前が、どうやって未来を救うと言うのだ。もうわかったであろう? 魔王を倒しても世界は変わらない。悪は、人間の心の中に巣食っている。悪しき心は連鎖しているのだ。その連鎖を止めずに世界は幸せにはなれない。世界は浄化を――」


 その時、アデッサの背後から少年がカトレアの前へと飛び出した。


 ヤットナで、アデッサとダフォディルを襲った少年だ。


「姉ちゃん! もうやめて!」


 カトレアはその少年の姿に目を見開く。


「……クー!?」


 久しぶりに口にだした『クー』と言う言葉。だが、口はその形を覚えている。


 何が起きているのかわからずに、もっと近くで確かめようと、カトレアは立ち上がり、警戒するサザンカを押しのけてよろよろと少年へ近づいた。紛れもない、見間違えるわけがない、生きていた、あの日突然いなくなったクーが、生きて帰ってきたのだ。


「クー!」


「姉ちゃん!」


 幼く血のつながらない姉弟は互いに駆け寄り、きつく抱き合って草の上を転がった。二人の目から涙が溢れる。


「急に消えて! 心配した! 心配したのだぞ!」


 昔のままのカトレアの声にクーは押し黙った。

 そして視線をそむける。


「姉ちゃん、もう人殺しはやめて」


「クー……。おまえ、まさか……アデッサに」


 カトレアは憎しみの形相でアデッサを睨んだ。


「違うんだ! 違うんだよ、姉ちゃん……違うんだ……」


 クーは顔を赤くしながら否定した。

 カトレアはクーの様子からすぐに、これから語られるであろうことを予感した。


「よせ……クー……」


「僕が……僕がノムを殺したんだ!」


「よせ! クー!」


「ノムと……ノムと僕が二人で決めたんだ。このままじゃ姉ちゃんがおかしくなっちゃう。だから、だから……僕がノムを殺して、僕も居なくなれば、姉ちゃんは……姉ちゃんはッ!」


 カトレアは何も言わずクーを抱きしめた。


「ごめんなさい! ごめんなさい姉ちゃん! 僕が、ノムを……ノムを……」


 嗚咽しながら泣きじゃくるクーを、カトレアはただ抱きしめ続けた。


 長い、沈黙。


 やがて、クーはカトレアの手をやさしく振り払い、立ち上がり、まだ零れ続ける涙を腕で拭きながら、言った。


「本当に幸せにならなきゃいけないのは、姉ちゃんなんだ」


 クーは自分を見上げているカトレアへと手を差し出す。


「姉ちゃんはそんな人じゃない。だから、もう人殺しなんか――」


 カトレアはその手をしばらく呆然と見つめる。

 そして、まるで吸い寄せられるかのように、クーの手を取ろうとした。


 その時――


 カトレアの左目から、赤黒い剣が鎖の眼帯を突き破って現れ、クーの胸を貫いた。


 カトレアの白い肌とローブがクーの血に染まる。


「……クー!!」


 カトレアの叫び声が響く。

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