突撃

 山間の街、ヤットナ。


 三方を山々に囲まれ澄んだ空気と水に恵まれた美しい街は、今では灰色の廃墟と化している。伝統的な石造りの家々は壊れ果て、道は瓦礫がれきで埋まり、燃えるものはすべて炭と化し、人々の姿は見えない。


 ダンチョネ教が暴力によりヤットナを乗っ取ったのはごく最近のことだった。


 侵略に先立ち、ダンチョネ教はヤットナの要人たちを賄賂わいろで骨抜きにしていった。そして、警備が手薄となった隙に、狂暴な信者たちが人員不足を補うモンスターの群れをひきいて一気に攻め込んだ。街は突然現れた敵の前にあっという間に陥落し、破壊されつくしてしまう。


 捕らえられた住民たちはダンチョネ教への入信を命じられ、拒んだ者はその場で即座そくざに『浄化』されていった。


 廃墟と化したこの街で、唯一もとの美しい街の面影を残しているのは中央広場前にそびえ建つ巨大な教会だけだ。だが、その教会も当初まつられていた神の像は打ち捨てられ、今ではその座にダンチョネ神の像が鎮座している。


 この教会こそが、ダンチョネ教本拠地だ――アデッサとダフォディルはそんな情報を掴んでいた。


「まったく……カトレアの奴、やることが魔王染みてきたな」


 アデッサは瓦礫と化した家々と中央の教会を眺めながらため息をついた。


「派手に動き過ぎたかしら……完全に待ち伏せされていたわね」


 ダフォディルは天気の話でもするように、こともげにつぶやくが、辺りは異様な状況だ。廃墟と化した街にはモンスターたちが放つの生臭い臭いが満ちていた。そして、瓦礫の山の陰からは足が瓦礫を踏み鳴らす音、粗雑な武器が擦れ合う金属音、低い威嚇の声が何重にも折り重なり、軽い地響きと共に二人に迫りつつある。


 見回すと廃墟の陰にうごめく無数の黒い影。それは次第に数を増し、やがて隠れきれずせきを切ったかのように次々と二人の前へ姿を現した――何百体ものゴブリンとオーガの群れ。その向こうでは数体のトロールがこん棒を振り回していた。ダンチョネ教が街を攻略する際に使い、今では住民に代わってこの廃墟に住み着いているモンスターたちだ。


「いくよ、ダフォディル」


 周囲の禍々まがまがしい気配をものともしないアデッサの明るく爽やかな声。

 ダフォディルは目を細めて微笑むと右手でアデッサの左手を取り指を絡ませた。

【鉄壁の紋章】が青いルーン文字の帯を噴き出し二人の周囲を舞い、【瞬殺の紋章】が赤く輝く。


 リーダー格の雄叫びと共に、街を埋め尽くすほどのモンスターの群れが地響きをあげて一斉に二人へ襲い掛かる。


 「瞬・殺ッ!」


 アデッサとダフォディルは手をつないだまま息を合わせ一糸乱れず敵の群れの中を突き進んでゆく――その軌跡きせきに無数のしかばねを連ねながら。


 毒が塗られた粗雑な槍も、びょうが打たれたこん棒も、【鉄壁の紋章】に弾かれて砕け散る。大きな瓦礫を持ち上げ投げ付けようとしたトロールが【瞬殺の紋章】により一撃のもとに崩れ落ちた。


 そこへ突然、上空から突風が吹きつける。


 見上げると、巨大なカギ爪が二人めがけて急降下してきた。空一面を覆う蝙蝠コウモリのような羽、蛇のような首、竜の顔。ワイバーンだ。


 だが――ワイバーンは二人を踏みつけた瞬間に絶命し、そのままの勢いで地面へと激突した。爆発したかのような土煙が上がり、下敷きとなったゴブリンたちがつぶされて肉片が飛び散る。


 次の瞬間、地震が二人を襲う。


 目の前の地面が山のように盛り上がり、地割れが四方へ走る。そして割れた地面の底から家ほどもある石で出来た手が、瓦礫を軽々と吹き飛ばしながら突きだしてきた。ゴブリンやオーガたちが慌てふためき逃げまどう。そしてもう一本、突きだされた石の手が地面を掴み、轟音ごうおんとともに大地を引き裂いて地表へと這いあがってきたのは――山のように巨大なアース・ゴーレムだ。


 そのあまりの大きさにダフォディルは口をぽかんと開けたまま目をしばたたかせた。


「瞬殺」


 アデッサの剣の軽い一振りでアース・ゴーレムは土塊つちくれと化し、地の底へと沈んでゆく。



 ダンッ!


 アデッサはダンチョネ教に乗っ取られた教会のドアを蹴り開けた。その背後には累々たるモンスターたちの屍の山が積み重なっている。それでも半数以上のモンスターたちは途中で戦意を失い逃走していった。一方の二人は、無傷どころか息も乱れていない。


「カトレア―ッ!」


 蹴り開けたドアの向こうは――祭壇まで、おもわず目を細めてしまうほど広く長い身廊しんろう。左右には四対もの側廊そくろうが配置されている九廊式の巨大な聖堂は――もぬけのからだった。


 アデッサが手入れされていない【王家の剣】を腰へ納める。

『ガシャリ』と言う音が聖堂に響いた。


「やれやれ、ハズレだったみたいだな」


 アデッサはあたりを見回しながら祭壇へ向けて身廊を進んだ。


「あの宗教、本拠地なんて必要ないのよ、きっと」


 ダフォディルがそのあとへと続く。

 そのとき――


「タァッ!」


 並べられたベンチの脇から小さな影が掛け声とともに飛び出し、剣でアデッサへと斬りかかる。だが、警戒していたダフォディルが【鉄壁の紋章】を発動させる方が早かった。剣は甲高い音を立てて弾かれ、飛び出した小さな影はその場へひざまずく。


「子供、――え!?」


 ダフォディルは自分の目を疑った。モンスターがひしめくこの土地に子供が居ただけで驚きだが、問題は――その姿だ。


 アデッサがダフォディルを押しのけて前に出る。


「ソイヤ!」


 アデッサへ斬りかかったのは、ホイサの路地裏でアデッサの目の前で殺されたはずの少年、ソイヤ――


「違うわアデッサ! 似ているけどソイヤじゃない!」


 ダフォディルはアデッサの手を引く。どことなくソイヤに似ているその少年は自分の剣が弾かれても諦めず、何度もアデッサへ向けて斬り付けた。だが【鉄壁の紋章】は軽々とその攻撃を弾き返す。


「くそっ! くそっ!」


「ソイヤじゃ……ないのか?」


 アデッサはまだ、目の前で何度も自分へ斬り付けている少年がソイヤでないことをまだ信じきれていない。少年はそれほどソイヤに似ていた。


「違うわアデッサ、よく見て。それと――君ねぇ、『瞬殺姫』の噂ぐらいは知っているでしょ? そんな攻撃、私たちには通用しないわ」


 まだ幼い少年。


 攻撃が通じないとわかりつつ挑みかかるその健気けなげさと無謀さに、ダフォディルの気持ちに隙が出来た。


 少年はその油断を見逃さない。


 幼く見えたその目つきが突然、暗く非情な影を帯びる。


 少年があえて失態を見せたのは、無知を装い必殺の間合いへ近づくためのフェイクだった。


 少年は手にしていた刀を捨てると、背中に背負っていたもう一本の剣を抜く。

 その剣は黒いオーラを放っていた。


 先ほどまでの無謀な攻撃とはまるで違う、少年の鋭い突きがアデッサの喉元へ向けて突き立てられた。


 鮮血が飛び散る。


 少年の剣を受けたのは――ダフォディル。


 かろうじて短剣で受け流したが防ぎきれず、剣はダフォディルの腕を大きく割いた。ほんの少しダフォディルの動きが遅れていたら、ダフォディルのアデッサを護る気持ちに僅かでも揺らぎがあったのならば、剣は確実にアデッサをとらえていたであろう。


「クッ!」


 ダフォディルが身をよじり膝をつく。


「チッ!」


 少年は舌を鳴らしもう一度突きを放とうとするが、その時、アデッサと目が合う。暗くゆがんだ己の目より、更に暗いその眼差し。少年は咄嗟とっさに追撃をあきらめ、素早くきびすを返し逃走しようとした――だが、背後から飛び掛かったアデッサに組み敷かれる。


「くそっ、離せ! 離せッ――」


 アデッサはその手を緩めずに問いただす。


「答えろ。君は……何者だ」

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