ダフォディル、死す

 巻き毛の男が倒れたあと、駆け付けた近衛兵このえへいたちはハイホや藪で倒れていた同僚たちの救護を開始した。


 国防のエリートたちが招集され、エッサの街には何重もの捜索線が張られる。

 あたりが騒然とするなか、アデッサはクリスタルの彫像と化したダフォディルを抱きしめたまま、その場を動かなかった。


 完全発動された【鉄壁の紋章】により文字通り完全な防御力を手に入れると同時に、クリスタルの彫像と化してしまったダフォディル。


 外界からのすべての干渉を受け付けない力と引き換えに、意識が途絶え、自ら紋章の効果を解除することもできず、このまま『傷だらけの少女像』として、アデッサの故郷であるヤーレンの宝物庫の一角で永遠に眠り続け……。


 ――そんなの、冗談じゃないわよ!


 アデッサは意を決するとダフォディルを自らの手で抱え、宿泊している屋敷へ戻り、ベッドの上へそっと横たえた。


 そして、大至急でエッサ王を通じ、自国であるヤーレンからとある人物を呼び出す。


 ほどなくして、転送魔法によりやってきたその人物とは、アデッサの姉、ヤーレンの第二王女、ダリア・ヤーレンコリャコリャであった。


 すらりとした高い背に長い手足。毅然とした姿勢と、整いながらもややツンとした顔立ち。ダリアはブロンドの長い髪をサラリと耳にかけながら、アデッサを横目でチラリと見た。


「アデッサ。あなたお転婆てんばが過ぎるわ。『魔王退治』のつぎは『世直しの旅』だなんて、レディのすることではなくってよ」


「すまない、ダリア姉さま」


 ダリアははしゅんとするアデッサへ向きなおり、腰に手をあてて眉をひそめる。


「子供の頃からずっとそう。覚えてる? お父様の花瓶を割ってしまって私に泣きついてきたときのこと」


「ははは……」


 ダリアは小言をいいながらもアデッサに導かれるままに寝室へ入った。


 そして、ベッドの上へ横たえられているクリスタルと化したダフォディルを汚いものでも見るかのように一瞥いちべつする。


 ベッドの周囲にはエッサ国王付きの聖職者たちが顔を連ね、入室してきたダリアを最敬礼で迎えた。だが、ダリアは彼らには見向きもしない。


「ごきげんよう。『ダボハゼ』さん」


 ダリアがダフォディルへ挨拶した。もちろん返事はかえらない。


「ダリア姉さま、『ダフォディル』だよ」


「あら! いい顔をして固まってるじゃない。好きで固まってるんだし、このままにしておいてあげたら?」


 ダリアはくるりと振り返ってアデッサにわざとらしい笑顔を見せた。


「ダリア姉さま……」


 泣きそうな顔をするアデッサ。


 ダリアは腰に手を当ててフッとため息をつくと、これ以上かわいい妹をじらすのも可哀想か、と、右手を出しかけ……やっぱり引っ込める。


「私、この子のことあんまり好きじゃないのよ。この子は……あなたを信じすぎている。だからこそ、あなたを危険な目にあわせてしまう」


 アデッサは小言ばかりでなかなか先に進まないダリアを恨めしそうににらんだ。


「はいはい、やればいいんでしょ。わかったわよ」


 ダリアが再びダフォディルへ右手を向ける。


 その薬指に刻まれた【時の紋章】が銀色のルーン文字の帯を噴き出し、ダフォディルを包みこんだ。

 銀色のルーン文字の帯が輝きを増し、直視できぬほどの光が部屋に満ちる。

 やがて光が消え、もとの明るさが戻るとともに、少女が弱々しく咳き込む音が部屋に響いた。


「ダフォ!」


「【鉄壁の紋章】を完全発動させる直前ぐらいまでは時間を戻せたけど、怪我をする前までは無理ね」


 ダリアの言葉のとおり、ベッドの上にはクリスタル化する前の――血を流しうめき苦しむダフォディルがいた。見る見る間にベッドが血に染まってゆく。


「ダフォ!」


 近寄ろうとするアデッサを聖職者が制する。


「姫、ここはしばしお待ちを。さあ、皆の者! ダフォディル様を治癒するのです!」


 その声を合図に周囲の聖職者たちが一斉に動き出した。

 大小様々な治癒魔法を浴びせられると、苦痛に歪んでいたダフォディルの顔に安らぎが満ち、顔に血色が戻ってゆく。


 やがて治癒魔法が止み、聖職者がアデッサに笑顔で頷いてみせる。

 同時に、ダフォディルが目を覚ました。


「ここは……」


「ダフォ!」


「アデッサ……!?」


 アデッサはベッドに飛び込み、ダフォディルをきつく抱きしめた。

 そして、想いのままに、ダフォディルの頬にキスをする。


 ダフォディルは何が起きているのかわからずきょとんとした表情をしていたが……アデッサにキスされている状況を把握すると、表情が溶けて顔が真っ赤に染まり、耳の穴からは蒸気を噴き出し、口から魂が抜けだしていった。窓から光がさし、天使がダフォディルの魂を迎えにくる。


「司教! ダフォディル様の脈が止まりました!」


「蘇生だ! 早く蘇生するんだ!」



 そんなこんなで、聖職者たちが立ち去ったあと。


「アデッサ。わかってるわね? 私がこの子の時間を巻き戻せるのは一度きり。この子が大切だと思うなら物騒なことはお父様にまかせて、ヤーレンへ帰って……」


 と、小言を続けるダリア。

 だが、アデッサはいまだにダフォディルへぺったりと寄り添ったまま、ダリアの言葉には上の空だ。

 一方のダフォディルは……いつもの澄ました顔を取り戻してはいるが、微妙に上がっている口角か、または頬の緩み加減か、どことなく満足そうな幸せそうな面持ちをしている。


「まったく。昔は私にべったりだったくせに……」


 ダリアは小声でぼやき、腰に手を当てて顔をそむけた。

 ダフォディルが姿勢を正し、ダリアへ向き直る。


「ダリア様」


「あら、『ドアホディル』さん。ごきげんよう。お目覚めはいかがかしら」


 ダリアはダフォディルの存在にいま気付いたかのような声色で応えた。だが、顔はそむけたままだ。


「この度は、なんとおびをすればよいか……」


 ダリアはゆっくりとダフォディルへ視線を向ける。


「――いやな子。どうせ私が来ることまで計算ずくだったんでしょ?」


 ダフォディルは視線を落とす。


「あなたからはいずれ対価をいただきましょう。安くはないわよ。それと、もしアデッサの身に何かがあったら……まあ、あなただけが生きて帰ってくることはないのでしょうけど」


 ダリアはそう言い残すと寝室を離れ、転移魔法でヤーレンへと戻っていった。



 長い騒動のすえようやく二人きりとなったアデッサとダフォディル。


 昼の戦いもさることながら、その後の人の出入りに疲れはて、二人同時にベッドへ仰向けに倒れ込んだ。そして天井を眺めながら、どちらともなく、いつものように手をつなぎ、指をからめる。


「ダフォ」


「なあに」


「ごめん……」


 アデッサは何のことかは言わなかった。

 ダフォディルもアデッサが何について謝っているのかは、よくわからなかった。


「いいわ」


 ダフォディルはそう言うとアデッサに向けて寝返りをうち、アデッサの肩へ手を回す。

 そして思い切って――いつも出来なかったこと――アデッサの頬へ唇を近づけた。


 ――クリスタルから解放されたときの、お返し。


 と、茶目っ気混じりで言うつもり、だったのだが……。


 アデッサが突然ダフォディルの方へ振り向いたので目測がずれ、二人の唇と唇が触れる。


 驚きの表情のまま固まっているダフォディル。


 窓の外にはいつしかエッサの夜景が広がっていた。

 輝く街灯りの向こうから海風が吹き込み、窓辺に飾られた花をゆらす。

 魔法仕掛けの灯りが、見つめ合うふたりを優しく照らす。


「ねえ、ダフォ……」


 アデッサは少しうるんだ瞳でダフォディルを見つめた。


「ダフォ、わたし……」


 アデッサはそこで異変に気付いた。


「ダフォ!? ダフォディル!!」



 エッサのとある教会。司教の書斎。

 エッサ王からの緊急指令を受け、ドンドンドンと、ドアを叩く司祭。


「司教! ダフォディル様の脈がふたたび止まりました!」


「あー、適当に蘇生しておきなさい」

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