死神の紋章

 巻き毛の男は宙をつかむかのように右腕を高くかかげた。

 その手のひらから黒い霧が噴き出し、霧はみるみるうちに巨大なかまへ変化する。


「さぁて、鉄壁さんよぉ。そろそろ死んでもらうぜ」


 巻き毛の男が無精髭ぶしょうひげで覆われたくちもとをゆがめた。


 次の瞬間、突然――


 巻き毛の男の目の前に何かが立ち塞がる。


 その一瞬ののち、周囲へ強風が吹き付けた。


 風よりもはやく駆け付けたが巻きあげた強風に、巻き毛の男は思わず飛び下がり、あおられた花壇の花や葉が吹き飛んでゆく。


「へへへ、コイツぁ驚いた。おめぇ、どんだけ足が速いんだよ」


 風と共にあらわれたのは――


「エッサ近衛大隊このえだいたい第三隊隊長。ハイホ・エッサホレホレ」


「優等生さんよぉ。その脚で光ってんのは【俊足しゅんそくの紋章】かい? だがなぁ、そんなもんじゃぁ俺様は倒せねぇぜ」


 巻き毛の男の挑発に乗る様子もみせず、ハイホは左手で細身の剣を抜く。

 右腕の【盾の紋章】から灰色のルーン文字の帯が噴き出し、半透明の盾をかたどった。


名乗なのれ」


「やめとくよ、面倒くせぇ」


 巻き毛の男はしまりのない笑い顔をうかべた。

 隙だらけな表情を見せながらも、禍々まがまがしい大鎌おおがまをおおきく振りかぶる。


 同時に、ハイホの姿が消え、

 同時に、巻き毛の男の背後へと現れる。


 そして、ハイホの姿が現れたときには既に、その細身の剣は巻き毛の男の胸を、背後からつらぬいていた。ひと呼吸のちに、ふたたび風が巻きおこり過ぎさっていった。


 勝負は正に一瞬でついたように見えた。

 だが、ハイホの表情は驚きに固まる。


 ――これはッ!


 巻き毛の男は何事もなかったかのように大鎌を振り下ろす。

 その軌跡は【盾の紋章】が作りだした半透明の盾を透過とうかして、ハイホの左足を横切る。


「くっ!」


 ハイホの左足から血が噴き出した。

 ハイホはびさがり、剣を構えなおす。


 その体の動きから、すでに左足は動かなくなっていることが見てとれた。

 しかし、その構えは傷を負う以前と変わりなく、一分いちぶの隙も無い。痛みを無視する精神力、そして片足で完全なバランスを取る運動能力のなせるわざだ。だが、その出血量はおびただしい。


「その力、【死神の紋章】!」


「ははは、気づくのが遅過ぎたな優等生さんよぉ! 鉄壁を倒したのはただの心理攻撃だとでも思ったかい? ところでなぁ、その【俊足の紋章】とやらは――足が動かなくても使えんのかよ」


 巻き毛の男は卑屈な笑いを浮かべた。

 そして大鎌を振り上げ、もてあそぶようにゆるくハイホへと振り下ろす。

 何度も、何度も。


 ハイホは【盾の紋章】や剣で斬撃を受けようとするが、【死神の紋章】の大鎌はすべての防御をすり抜け、服さえもすり抜け、肉体のみを切り刻んでゆく。


 ――血の通うもの以外はその体へ触れることができず、血の通うもの以外はその攻撃を受け止めることができない。それが【死神の紋章】の力だ。


 何度も深手を負いながらも、ハイホは巻き毛の男へにじり寄ろうとする。


 唯一の勝機は素手による攻撃。

【俊足の紋章】が使えれば倒すことができたかも知れぬのだが……今となっては大鎌を相手に間合いを詰めることさえままならず、仮に近付けたとしても、既に相手を打ち倒すだけの体力は残されていない。


「ははは、こいつは面白れぇ! やっぱ足がねぇと動けねぇのか。ひとつ賢くなったぜ、優等生さんよぉ。はははは!」


 巻き毛の男は手を止めた。


 そして、血まみれとなったハイホに向けてにやりと笑う。


「なあ、ひとつ教えてやるよ。

 あのなぁ『瞬殺』なんかできなくったって、人は殺せるんだぜ?

 なぁ、瞬殺さんよぉ!」


 巻き毛の男の背後には、ハイホに大きく遅れながらも、息を切らせ駆け付けてきたアデッサが立っていた。


 ハイホが叫ぶ。


「姫、逃げてください! あなたの力では【死神の紋章】は倒せない!」

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