ハレノチナミダ

 晴れわたる爽やかな青空。遠く海をのぞむバルコニー。

 やわらかな海風が白いテーブルに飾られた青い花を揺らす。


 葡萄ぶどうジュースで喉を潤しながら、他愛のない話を楽しそうに語りづづけるアデッサ。


 一方、ダフォディルは白磁のカップに注がれたお茶の香りを楽しみながらアデッサの問わず語りへ『ええ、そうね』などと、いつもながらの気のない受け応えをしていた。だが、澄ました顔をしながらも、こうして生き生きとしているアデッサを独り占めしている時間こそがダフォディルにとっての至福の時。眠りについたアデッサの横顔をじっと見つめる切なさを癒してくれる大切な時間なのだ。


 そんなダフォディルの視界の隅に、一匹のイケメンの姿が割り込んでくる。


 男はテーブルから少し離れた位置へ立つと礼儀正しさと気さくさと男らしさをそなえた清潔感溢れる挨拶をした。


「こんにちは、アデッサ姫、ダフォディル様」


 よく響くバリトン。


 アデッサよりも明るいブロンドのショートヘア。

 アデッサのように凛々しく、しかし、男らしい顔立ち。服の上からでもわかる、程良く鍛えられた体と身のこなし。澄んだ青い瞳。爽やかな笑顔。輝く白い歯。染みひとつない白いシャツ。折り目がついたスラックス。のぞけば顔が映りそうなほど磨かれた革靴。腰に下げた細身の剣。


 ぱっと見王子様。百歩譲っても『お忍び』の王子様。


 ダフォディルは心の中でつぶやいた。


 ――何もかも気に入らない。


 だが、決して顔には出さない。


「あら、なにか御用でしょうか」


 ダフォディルは上品さにほんの少しだけとげを忍ばせた口調で迎えた。視線はあえてイケメンには向けない。


「初めまして。私はハイホ・エッサホレホレ。エッサ近衛大隊このえだいたい一翼いちよく、第三隊隊長を拝任はいにんしています。エッサ国王よりお二人の護衛を命じられ参上しました。本日は私服でとの命令でしたので、こんな格好で失礼いたします」


 この年齢で近衛隊長。


 ダフォディルがハイホを横眼でちらりと見ると、周囲にはキラッキラした王子様オーラが漂っていた。その眩しさにムスッと目をらせる。


 ――この男、『いやぁ、僕なんかぜんぜんですよ』とか言いつつ、腐る程ラブレターをもらっているタイプに違いない。


 八つ当たりである。

 ともあれ、ダフォディルのこの男への好感度は下がる一方だ。


 だが、表情には微塵みじんも出さない。


「あら、それはご苦労さま。ありがとう。もう下がっていいわ」


『帰れ駄犬だけん』と言う言葉をお上品に翻訳ほんやくして言い放ったのだが――


「はじめまして! アデッサです」


 アデッサの思いもよらぬ反応に、ダフォディルはぽかんと口を開いた。


 アデッサはスッと立ち上がり、駄犬へお手――ではなく、握手の手を差し伸べたのだ。


 爽やかに握手をかわす二人。

 ぱっと見、姫とイケメン。実際に、姫とイケメン。

 二人の周囲に舞うお姫様&王子様オーラの眩しさにダフォディルは思わず腕で目を覆う。


 ――アデッサ……

 こんなアデッサを、今まで一度も見たことがない。

 アデッサをアデッサと知って尻尾を巻かなかった男も……。


 そして、ダフォディルは握手を交わす男のシャツの袖から覗く紋章に気が付く。


「それ……【盾の紋章】」


 ダフォディルのつぶやきに、駄犬が爽やかに応える。


「はい。まさしく【盾の紋章】です。アデッサ姫……いえ、ダフォディル様の【鉄壁の紋章】には足元にも及ばないのですが、エッサ滞在中はこの私が、命に代えておまもりいたします」


 アデッサのいつもとは違うまばたきを、ダフォディルは見逃さなかった。

 そのまぶたのむこうの、ひとみの輝きも……。



 ――何もかも、昨日、頭に浮かんだいやなイメージがそのまま……。


 男たちは私にはできないことを軽くやってのける。

 ただ、男だというだけで。


 私の目から熱いものが零れおちたことに気付き、談笑する二人へ背を向けた。


 悟られぬように、そっと涙を拭く。

 不意になにかを語りかけられたような気がして、背を向けたまま『ええ、そうね』と応える。涙は止まらない。


 後ろから、肩に手をかけられた。

 振り向かなくても、肩に触れた手の感触だけで、あなたが誰だか、わかる。


「ダフォ、一緒にいこう!」


 いつもより、明るい声色こわいろ

 こんな顔のまま、振り向けるわけがない。


 私は背を向けたまま立ち上がった。


「いかないわ。今日は一人で過ごしたい気分なの」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る