王都の死神

私だけの正義

 西の強国ヤーレンと対をなす東の大国、エッサ。

 武力のヤーレンに対し、海に面した港町であるエッサは商業の国として栄えている。それぞれ異なる道を歩みながらも、両国は深い同盟の間柄にあった。


 アデッサがエッサへ入国したことを知ったエッサ国王は世界を魔王から救ったヤーレンの第十三王女の来訪らいほうを心から歓迎した。王は急遽きゅきょ、英雄を迎えるパレードと晩餐会ばんさんかいの用意を命じる――しかし、その命令はすぐに取り消された。


 いまは一人の旅人として扱って欲しい。

 アデッサがそう望んだのだ。


 エッサ国王はアデッサのおごらない態度にいたく感銘かんめいを受けた。

 そして、たとえ『お忍び』であったとしても同盟国の姫に何かがあってはヤーレン王に申し訳が立たない、せめて宿と、私服の護衛だけでも、と、申し出る。アデッサもそれ以上は断ることはできず、ダフォディルと共に王が用意した中で一番質素な、それでも溜め息が出るほど高級な部屋を使わせてもらうこととなった。


 王が用意したのは高台にある貴族の別荘で、二人にひと部屋ずつ広い部屋が用意されたのだが……到着するなりアデッサはダフォディルの部屋に入りびたった。自分の部屋に戻る気は一切見せず、夜おそくまであれやこれやと喋り疲れると、いつもの安宿のようにすべて脱ぎ捨てて裸でベッドへ横たわり、いつの間にか寝息をたてはじめた。


 ――気をゆるしてくれているのは嬉しいけど……無防備すぎる。


 ダフォディルは眠ってしまったアデッサの髪をそっとで、羽根布団をかけた。


 いくら旅慣れているとはいえ、やはりアデッサはお姫様だ。こういう豪華な部屋の方が落ち着くのだろう。柔らかな布団につつまれて、いつもより深い眠りに落ちているように見えた。


 海からの風が部屋に吹き込み、ダフォディルの黒い髪を揺らした。


 ダフォディルはベッドを離れ窓辺まで歩くと、星空のように広がるエッサの街灯りと、その向こうに見える黒々とした夜の海を見下ろす。胸いっぱいに夜気を吸い込み、街の輝きへ『フッ』と吹きかけ、鎧戸を閉めた。室内では魔法仕掛けの灯りが飾り細工の施された家具をぼんやりと照らしている。


 ――チョイトでは羽を伸ばせなかったけど、これならばお釣りがくるわね。


 ダフォディルは服を脱ぎ、少し戸惑ってから下着も脱ぎすててベッドへ上がり、アデッサの横で半身となった。起こしてしまわぬようにブロンドをかきあげ、ひたいへそっと口づけをする。そのまま体を押し当て、柔らかな場所へと手をすべらせてみるが、アデッサは目を覚まさない。ダフォディルは満足そうにアデッサの肩へ頬をつけた。


 ふと、自分の腕に刻まれた【鉄壁の紋章】が目に入る。


 ――あのとき、あなたから受け取ったこの紋章……


 もし、この腕にこの紋章がなかったら

 もし、この紋章が他の誰かの腕にあったのなら

 あなたは、その誰かと手を繋ぐのだろうか。


 ぼんやりと、アデッサが見知らぬ男と指を絡めている様子を想像する。


 青年のように凛々しいアデッサの笑顔。だが、その視線は隣に立つ誰かへと向けられ、自分は何もできずに、ただその様子を見守っている――いや、見守ってなどはいられないだろう。もし、そうなってしまったのであれば、自分は遠く、忘れしまうほど遠く、アデッサから離れてゆくしかないではないか。


 他愛のない想像に、涙が一筋流れた。


 いちど涙がこぼれると、負の方向へ走ろうとする感情の流れをおさえることが出来ない。


 自分が世界を救った勇者と、ヤーレンの王女と、こうしてとなりあっていられる。

 その理由は、この紋章があるから。

 二人の絆はそれだけしかない。


 こうして無防備な寝顔を見られるのも、こうして腕のなかに抱きしめられるのも、すべてはこの紋章があるから……でしかない……。


 独り暗い考えに浸ってまた涙する。

 そういうのは、好きではない筈だ。


 ――きっと、私も疲れているのだろう。でも……

 なにか、確かなものが欲しい。

 それを、拒まれることが怖い。


 薄暗闇のなか、ダフォディルはぼんやりと天井をながめ、感情の波が去るのを待った。そして、落ち着きと共に睡魔が訪れる。眠りへ落ちる間際に、ダフォディルはもう一度薄目を開き、アデッサの寝顔を見た。


 ――アデッサ、あなたの正義はもろい。


 灰色のものを白や黒だと言い切れてしまう、カトレアやソイヤのような強さを、あなたは持ち合わせていない。


 けど、アデッサ。


 たとえあなたが見失ったとしても

 私の……私の正義は、あなた。



 エッサの某施設。書斎に据えられた大きな机にだらしなく突っ伏す、白いローブの男が一人。そのローブは赤いヘムで縁どられている。


 男はのそりと上半身を起こすと大あくびをし、しばらくぼんやりと天井の隅へ意味もなく視線を巡らせる。すると今度は長い脚を伸ばして椅子を2本脚で立たせ、背をそらせて顎をあげ、自分の真上の天井をぼんやりと眺めはじめた。


 中途半端に頭にかかっていたローブのフードがはだけ、黒い巻き毛があらわとなる。やや面長で、ぼんやりとした表情に無精髭。頼りない雰囲気ではあるものの、どこか隙の無さも感じられる。


 そこへノックの音。

 白いローブの男が『ああ』とぞんざいに応えると、『失礼します』と丁寧ていねいな返事が返り、男と同じ白いローブを着た男が部屋へと入ってきた。そして――


「支部長、サザンカ僧兵長から伝言です」


 と、切り出した。巻き毛の男は天井を眺めたままつまらなそうにつぶやく。


「……あぁ、今度はなんだ?」


「ヤーレンの第十三王女、瞬殺姫アデッサがエッサに来ている可能性がある。見つけ次第確保せよとのことです」


「ふうーん、確保、ねぇ……」


「難しければ殺害もやむなし、とも」


「ほぉ……」


 まるで興味なし。


 支部長と呼ばれた巻き毛の男は弾みをつけ、2本脚で立たせた椅子を深く傾けて机の上へ脚を投げ出した。そしてもう一度あくびをすると、ようやく、少し気の入った声を出す。


「サザンカめ。相変わらず面倒くせぇことを押し付けやがって」


「支部長……流石にアデッサが相手となると……」


 巻き毛の男は揺らしていた椅子の動きをピタリと止め、鋭い目で睨みつける。


「あー? お前、俺をナメてんのか?」


「いえ! しかしアデッサと言えば……現に、ホイサ支部を全滅させ、サザンカ僧兵長さえ――」


 男が弁明を始めると巻き毛の男は視線をらせ、再び興味を失ったような間延びした声を出した。


「ばーか。あんなシロウトと一緒にすんな。魔王ぐらいなら俺にだって倒せるんだぜ?」


「はあ……」


「テメエ信じてねえな。いいか、俺が怖いのはカトレア様だけだ。アデッサなんぞ目じゃねぇんだよ」


 巻き毛の男が腕を上げるとローブの袖がめくれる。


 右腕に刻まれた【死神の紋章】がのぞいた。


「よし。そんじゃあ正義の味方ヅラをした小娘によーく教え込んでやろうじゃねぇか。

 我々こそが正義だ、ってな」


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