絶望の紋章

カトレア 1

 物心がついたころには、すでに、なにかを手伝わされていた。


 箱に入れたり、出したり。運んだり。それが当たり前すぎて、疲れるとか、嫌だとか、そんな考えが世の中にあることさえ知らなかった。ひたすら目の前の作業に集中し、ときどき失敗するたびに『もっと上手にやろう』と考える。そんな毎日。


 ある日、同年代の子供たちが自由に遊んでいる姿に視線をうばわれた。

 気が付いたら走っていた。

 悪気などまるでなく、自然に、彼らの遊びの輪のなかに入ろうとしていた。


 ピシャリと、叩かれた。

 そして、もとの暗い部屋へと引き戻される。


 世界は平等ではなく、痛みをともなうものなのだと、カトレアは知った。

 カトレアが4歳のときのことだった。



 カトレアの育ての親はダンチョネ教の修道士だ。


 だがそれがどんな人物だったのか、カトレアはまるで思い出せない。背が高くせている老人だったような気もするし、背が居低いひげづらの太った中年男だったような気もする。いや、美人で若い女だったのかもしれない。読み書きは教えてくれたのだから、悪い人ではないのだろう……多分。


 ある日、カトレアが目をさますと、その修道士はいなくなっていた。まるで、最初からそこには誰もいなかったかのように、あとかたもなく。


 そして、なぜか自分より年上の子供たちもみな、いなくなっていた。古いダンチョネ教の教会に、カトレアと、カトレアより幼い子供たち4人だけが、ぽつりと取り残されていた。


 カトレアは少しも驚かなかった。悲しみも、戸惑いもしない。まるで、いつかはそうなるということを知っていたかのようだった。


 なにが起きたのか、カトレアにははわからない。


 だが、やらなければならないことはわかってた。


 それは、自分より幼い子供たちに、ごはんを食べさせること。

 そのための、ただ、それだけのための日々が始まった。

 カトレアが6歳のときのことだった。



 重い扉を開け、ボロボロのローブを着たカトレアが教会へ戻る。

 首からさげた募金箱をはずし棚のうえにのせると、中で小銭が数枚、転がる音がした。


「今日はめぐんでもらえたんだね! カトレア姉ちゃん」


 幼いカトレアがやしっている4人の男の子。

 そのなかでいちばん年上のピイが駆けよってきた。


「むふふ。しかも、これももらっちゃったのだ!」


「うわあ! パンだ! 姉ちゃん、早く食べよう!」


「こらこら、慌てるな。みんなで一緒に食べよう」


 カトレアが言い終わるころには、ピイはテーブルの用意をはじめていた。用意といっても何があるわけではない。藁屑わらくずをまとめてつくった小箒こぼうきほこりを払い、欠けた陶器の皿と木の皿をそれぞれの席に置いただけだ。


 ピイと、その下のノムとクーもパンを食べられると聞いて急いで席についた。

 カトレアはローブを脱いで下着姿になると席につくが、一番年下のヒャラがいない。


 閑散とした教会の片隅から小さな咳が聞こえてきた。


 カトレアは席を立ち、干草ほしくさの上で丸まって寝ているヒャラのもとへと歩みよった。ひたいに触ると少し熱があるようだ。ヒャラの元気がなくなり、1日じゅう寝こむようになってからすでに1週間が経っている。


 ――パンを食べさせてあげたいけど、しばらくは無理……。


 カトレアはヒャラの髪をそっとでると、うなされていたヒャラの呼吸が落ち着き、寝顔が少しおだやかになった。


「姉ちゃん、はやく食べようよ」


 テーブルでまつピイが待ちきれなくなって急かす。



 カトレアは、育ての親である修道士に甘やかされた記憶はない。修道士と共に消えてしまった年上の子供たちからも、特別に優しくしてもらった記憶はない。


 しかし、幼い子供がどうしてあげれば喜ぶのか、どこで怒ってあげて、どこで許してあげればよく育つのかを、誰に習うでもなく心得ていた。


 子供たちはみなカトレアになつき、姉というよりも母親のように甘え、接していた。


 久しぶりにパンを食べた子供たちはたいしてお腹がふくれた訳でもないが、いつもより早く眠くなり、干草のベッドで固まって横になった。


 寝るときはいつも誰がカトレアの横にいくか奪い合いにいなる。片側は一番下のヒャラの指定席だ。残りの3人はもう一方の片側を奪い合うことになる。決め方は順番だったり口喧嘩だったり、昼間の駆け引きの報酬だったり。


 今夜、特等席を勝ち取ったピイはぴったりとカトレアにくっついて、眠りの世界に落ちそうになりながら、お話をおねだりした。


「姉ちゃん、なにか話をして……」


 カトレアの話のバリエーションは少ない。


 ひとつは子供の頃から聞かされてきたダンチョネ教の『破壊と再生』の物語だ。


 死や破壊が新しい生命の礎となり、それが繰り返されることにより、世界は幸せに向かって進化してゆく。生活の苦しみはその過程であり、我々人類はいつかみな幸せな世界に到達できる。失われた命は決して無駄にはならない。そんな話。


 もう一つは魔王のこと。


 自分たちがこうして貧乏をしているのはすべて、魔王との戦いの中では仕方がないことなのだ。みな魔王にあらがってがんばっている。だから、私たちのような子供をかまっている余裕がない。でも、冒険者のみんなが戦っている。いつか魔王が倒されれば幸せな日々がやってくるのだ……。


「姉ちゃん、俺、冒険者になるよ。そして、姉ちゃんと一緒に、魔王を倒すんだ……」


 ピイはそう言いながら寝てしまった。


 ――ピイなら立派な冒険者になれるかもしれない。

 そうだ。大きくなったらみんなで旅にでよう。でも、子供たちに怪我はしてほしくない……。


 カトレアはそんなことを考えながら、いつのまにか眠りについていた。



 ダン!


 教会のドアが荒々しく開かれる。ピイとノムとクーが驚いて振り返ると、そこには息をきらせたカトレアが立っていた。いつも朝早くに家を出て暗くなるまで物乞いをしている筈のカトレアが昼過ぎに帰ってくるのは珍しいことだ。


 カトレアの目からは涙がこぼれていた。


「……姉ちゃん。どうしたの?」


 おそるおそる、ピイが問いかける。


「魔王が! 魔王がたおされた! アデッサ姫が魔王を倒してくれたんだ!」


 子供たちはぽかんとしていたが、カトレアの涙が魔王討伐の嬉し涙だとわかるとお腹の底から湧き上がる幸せではちきれそうな笑顔となった。そしてカトレアへと駆け寄り、抱き付いてよろこび合う。


「これで、世界は幸せになるんだね!」


「ああ、そうとも!」


 部屋の奥から咳が聞こえた。

 いつも寝ていたヒャラが体を起こし、抱き合うカトレアたちをぼんやりとながめている。


「ヒャラ!」


 カトレアはヒャラへと駆け寄った。


「魔王が退治されたんだよ。これで、世の中がよくなればヒャラもお医者さまに診てもらえる……よかった、よかった!」


 ヒャラは言葉の意味がよくわからないまま、力なくわらう。


 カトレアはヒャラを抱きしめ、エメラルドのように美しい瞳を輝かせながら熱い涙を流し続けた。

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