瞬殺姫アデッサ

 暗黒の空間。腕を組み胸を張り、不敵の笑いを浮かべるカトレア。


 対峙たいじするダフォディルも負けじと強気の姿勢を見せる。だが、その隣のアデッサはダフォディルへぐったりと寄りかかり、顔はうつむき、瞳は焦点を失っていた。立っていることさえやっとの状態だ。ダフォディルはアデッサの体を軽くゆすり声をかける。


「アデッサ!」


「ダフォディル、私は、私はもう……」


 すべての自信が抜け落ちて灰のようになってしまったアデッサをの当たりにし、ダフォディルの目がうるみ表情は悲しみに曇った。そして、いくばくか想いを巡らせたのちに意を決し、ふたたびカトレアをにらみつける。


ゆるさない!」


 ダフォディルは【鉄壁の紋章】を発動させた。

 噴き出した青いルーン文字の帯が二人の周囲に舞う。


「ふん。お前なんかにゆるしなんぞわんわ」


 カトレアはつまらなそうに吐き捨てた。その背後の闇の中から、金属同士がひしめき合う音と、重々しい足音が近づく。やがて鉄灰色てつかいしょくよろいをまとい、禍々しいオーラを放つむちを手にした騎士が現れた。


「くっくっく。アデッサの記憶から呼び出した魔王の衛兵だ。コイツの前では【鉄壁の紋章】など無力。じーっくり、なぶり殺してくれるわ」


 ダフォディルはうなだれるアデッサをしっかりと抱き寄せ、腰の短剣を抜いた。最低限の剣の心得はあるが、魔王の衛兵と戦えるほどの腕は持ち合わせてはいない。使える魔法はすべて悪魔払いに特化している……。



 ――遠くから、音が聞こえる。もういい。なにも考えたくない。カトレアの言うとおり。考えなければ、苦しむことなどないのだから。


 聞こえてくるのは、なにかが空を切る音と、小さな悲鳴。

 自分に、覆いかぶさっている、柔らかいもの。暖かいもの。

 もう疲れた……このまま眠ってしまいたい。


 眠るまえにもう一度、少しだけ目を開く。ぼんやりと霞む目の前に、見慣れた顔。


 なんだ、ダフォディル。そばに居たんだね。一緒に、このまま一緒に眠ろう……。


 ダフォディルの、苦しそうな顔……ダフォディル……? ……ダフォディル! ダフォディル!!


「ダフォディル!」


「クッ!」


 床に伏したアデッサをかばいその上へ覆いかぶさるダフォディルへ、魔王の衛兵は容赦なく鞭をふるう。鞭が空を切るたびにダフォディルの小さな悲鳴があがり、その体が痛みに耐えて震えた。


 アデッサの瞳に輝きが戻る。


「アタシのダフォディルに触るな!」


 アデッサは傷つくこともかえりみず、放たれた鞭を右腕で掴むと膝をついて立ち上がった。一瞬で周囲の状況を把握すると、傷つき痛みに体を震わせながらなおも繋いだ手を離さないダフォディルをそっと腕の中に抱く。


 アデッサは鞭から手を離し【瞬殺の紋章】を発動させた。

 紋章から赤いルーン文字の帯が噴き出し、傍らに放り出されていた【王家の剣】を絡め取るとアデッサの前へとかかげる。剣を手にしたアデッサの眼差まなざしに、すでに人間らしい温かみは欠片かけらも残されてはいない。そこに立つのは怒りに燃え、冷徹に敵を屠る世界最強の勇者、瞬殺姫。


 魔王の衛兵は再び鞭を振るうが――


「瞬・殺!」


 ――赤い一閃のもとに崩れ落ちる。


「カトレアァ!」


 アデッサは返す刀をカトレアに向けて叫んだ。

 その尋常ではない眼差しに気圧けおされ、カトレアがたじろぐ。


「私は私の目の前でたみを苦しめる者を許さない!」


 赤いルーン文字の帯が歓喜かんきするかのように、アデッサの周囲を激しく舞う。その様子はまるで、燃え盛る炎のように見えた。


「平和を夢見る苦しみは私が背負せおおう!

 殺すことしか出来ぬ罪は私が背負せおおう!

 我が名は瞬殺姫アデッサ!

 悪辣あくらつどものしかばねの上に正義を築く、呪われし王女だ!」


 アデッサの口上に、いままで余裕の表情をしていたカトレアが感情をむき出しにして地団駄じだんだを踏んだ。


「へーんだ! アデッサのばーか! ばーーか!! ばーーーか!!! 【絶望の紋章】の空間で私に勝てるわけなんかないんだからねッ!」


 金色のヘムに縁どられた白いローブもあいまって、年齢を遥かにこえる風格を持っていたカトレアであったが、取り乱し年齢相応のただの幼女へと戻っていた。


「みてなさい! なんどでも絶望を味あわせてあげる。なんどでも、なんどでも!」


 カトレアの背後の暗闇がにわかに騒がしくなり、アデッサが屠ってきた魔王の衛兵たちや、過去に倒したモンスターの数々が姿を現した。みな口々にアデッサへ向けた呪いの言葉を吐きつつ押し寄せる。


「おまえたち、やっておしまい!」


 カトレアの声を合図に、怪物どもは一斉にアデッサへと押し寄せた。

 アデッサは気を失っているダフォディルをきつく抱きしめながら迎え撃つ――


「うおおおぉぉぉ! 瞬ッ殺ッ!」


 ――数分後。


 もしこれが、現実世界での出来事であったならアデッサの周囲にはどれほどの屍が連なっていたであろうか。アデッサは押し寄せる敵を鬼神の強さで蹴散けちらし続けた。倒された者は霧のように消え失る。だが再び、カトレアの背後の闇から姿を現すのだ。カトレアの軍勢は数に限りがない。ましてや気を失っているダフォディルを抱きしめたままでの戦いに、アデッサは徐々に傷つき、押され、追い詰められていった。


「あはははは! 自分の無力さを思い知るのです! 自分の過ちを悔いるのです! なんどでも絶望を味わうのですよ! 幸せな未来のために、私の下僕となるまで、永遠に!」



 そのとき、カトレアの左目の上を一筋の光線が横切った。



「ん? ――ぎあああああ!!」


 カトレアは悲鳴を上げるとその場へ倒れ込み、顔をおさえてじたばたと暴れはじめる。

 と、同時に。アデッサを囲っていた敵たちがフッと消えうせ、周囲に光が満ちていった。


「――これは!?」


 アデッサは眩しさに目を細める。

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