悪夢と悪魔
――ッサ! アデッサ!
誰かが呼ぶ声がきこえる。
ここは、どこだ……。
呪文の
爆発音。叫び声。
ふと、左腕を見た。
左腕の【鉄壁の紋章】。
なにかが違う。けど、思いだせない。
「アデッサ!」
そうだ。私はヤーレンの第十三王女、アデッサ。左腕の【鉄壁の紋章】、右腕の【瞬殺の紋章】。
そしてここは……魔王の間!!
「アデッサ! しっかりしろ!」
ロルフの呼びかけで我にかえった。
私へと放たれた数本の矢が【鉄壁の紋章】に弾かれて床へおちる。
「ごめん、もう大丈夫!」
私は顔を上げて【瞬殺の紋章】を発動させた。
巨大な
「どうした、姫! 幻術にでもやられていたか!」
背後からバーンの声。
振り向くと軽装の騎士バーン、エルフのルリ、ドワーフのロルフ、隊長、そして、【赤のパーティ】のみんなが……魔王の衛兵たちと激戦をくりひろげている。
魔王の
「隊長! このままでは全滅だぞ!」
屈強なドワーフのロルフが叫ぶ。
「姫、やれるか!」
隊長の、落ち着いていてよくとおる声。
「やれます!」
私は応えた。左腕の【鉄壁の紋章】から青いルーン文字の帯が噴き出し、私の周囲を舞う。【瞬殺の紋章】から赤いルーン文字の帯が噴き出し獲物をもとめる蛇のように
魔王軍はすでに私の【鉄壁の紋章】への対策をしている。武器に【鉄壁の紋章】を貫通する呪いをかけているのだ。無敵であった防壁も、いまでは気休め程度にしかならない。
それでも、可能性を握っているのは、この私だ。
私は巨大な玉座にこしかけ、黙ってこちらを見ている魔王を
魔王と私との間に立ちはだかる何十人もの衛兵たち。
「ぐはっ!」
仲間の断末魔。最強を誇った我々【赤のパーティ】のメンバーたちが、一人、また一人と倒れてゆく。早く、早く奴を倒さねば――
「ロルフ、姫の援護を!」
「まかせとけ!」
隊長の声を合図にドワーフのロルフが
「くゥッ!」
背後でバーンが声を上げた。視界の隅で彼が血を吹きながら倒れてゆく。バーンが敵の攻撃を受けるのを見たのは、これが最初で……最後だ。
私は歯を食いしばり、ロルフのあとに続いた。
【鉄壁の紋章】を
何本もの呪いの
禍々しい黒いオーラを放つ槍が、私をめがけて放たれた。
強烈な攻撃。だが、避けている時間はない。
【鉄壁の紋章】ごと左腕を失う決心をして、私はそのまま突き進んだ。
だが次の瞬間、金色の輝きが私を包み、槍が地面へと落ちる。これは、ルリの防御魔法――だが、それでは――私を守っていたのでは、ルリが……。
「ギャッ!」
背後でルリの悲鳴が聞こえた。
目の前ではロルフが、何本もの剣と矢を体に受けながら、なおも突進している。
「アデッサ! 俺を踏み台にしてゆけ!」
血の泡を吹きながら、ロルフが叫ぶ。
私はロルフの肩を踏み、衛兵たちの頭を飛び越え、玉座の魔王へと斬りかかった。
全身を激しい痛みが襲う。
それが、敵の剣によるものなのか、魔法によるものなのか、もうわからない。
だが、これで終わる。
これで、人々を苦しみから救うことができる。
平和な世界が訪れる。
無益な、終わりなき戦いから解放される。
なのに……
なのに……
私たちがこれだけ、
これだけ苦しんでいるのに、
魔王よ!
貴様はなぜそんなに優しい目をしているのだ!
私たちが血を流し
これだけ必死になっているのに
悪である貴様が、なぜ、そんなに……
「瞬ッ・殺ッ!」
私は剣を魔王へと突き立てた。
広間のすべての動きが止まる。
完全な、静寂。
「おおおおおおお!」
怒りと喜びと悲しみと希望とが
だが、魔王が――玉座からゆらりと立ち上がる。
「ば、バカな!」
髪一本でも触れれば、相手を瞬殺できる力が……効かないだと!?
魔王。銀色の短い髪。若く凛々しい顔立ち。魔の者というよりも、世を
「アデッサ……瞬殺姫」
低く、優しい声。
周囲が突然暗くなる。
「敵を一瞬で殺す力があれば
世界を幸せで満たせる
とでも思ったかい?」
その言葉と共に闇の中にぼうっと浮かぶ、死んでいった【赤のパーティ】のメンバーたちの姿。警備隊長。村人たち。【賢者の麻薬】の元締め。倒してきた敵、モンスターたち……何人も、何百匹も。
そして、魔王が立っていた場所には――ソイヤ!
「ねえアデッサ……」
「ソイヤ……」
「足もとを見てごらんよ。その死体の山を。殺すことしか出来ない紋章のせいさ。殺して、殺して、また殺して。死体の山を積み上げて。それでもまた悪は生まれてくる。世界は変わらない。殺すだけ無駄さ」
「ソイヤ、聞いてくれ、私は平和のために!」
「だからさ、それは俺の平和じゃないんだよ、アデッサ。あんたが言う平和っていうのは国民が当たりさわりのない範囲で人生を
「違う!」
「違わないさ。それに、この世界のどこが平和だって言うんだい? 今じゃどの国も失業者で溢れてかえって、そこらじゅうで戦争の準備を始めてるんだぜ? 人間が人間を殺す生き地獄さ。これがお前の望んでいた平和ってやつかい?」
「違うんだ!」
「違わないさ。結果から目をそらすなよ。お前は単なる偽善者で、単なる
違う。
救いたかったんだ。世界を救いたかったんだ。
困っているひとを、苦しめられているひとを、救いたかったんだ。
いつの間にか、私は泣いていた。
「ならば、私とともに来なさい」
白いローブの、女の子。ローブよりも白い肌。金色の長い髪。金色のヘム。ダンチョネ教の女教皇。綺麗な、エメラルドのようにキラキラと輝く瞳。
「カトレア……」
「苦しいのですね。あなたは世界を救いたい。でも殺すことしかできない」
カトレアが手を差し伸べる。
「足りないのは世界を救う力。ならば私がそれを担いましょう。救いの苦しみは、私がすべて引き受けましょう。もう、あなたは苦しまなくて良いのです。何も考えないで良いのです。私の
優しい声。救い。何も考えなくても救われるのであれば、平和になるのであれば。それで。それで良いではないか。それで、みんなが幸せになれるのであれば……。
私は剣を落とし、右手をカトレア様へと伸ばした。
その時、左手が後ろへ『ぐぐっ』と引っ張られる。
さっきまで何も持っていなかった筈の左手の指が、何かにしっかりと絡まっていた。驚いて振り返ると左腕の【鉄壁の紋章】が……消えている!?
「うわっ!」
思わず左腕を引き寄せると、闇の中から何かがズルリと引きずり出されてきた。
「ダフォ……」
「しっかりして、アデッサ!」
強烈な往復ビンタ。
「ぶふぉ!」
闇の中から引きずり出されてきたダフォディルは私の左手を右手で握り指を絡ませたまま、空いている方の左手で
「嫌な空間。カトレア、アンタの力ね!」
「ダフォ、私は……」
「半分聞こえてたわよ! なによ、アデッサらしくもない。この程度の幻術につけこまれるなんて」
ダフォディルはカトレアをビシッと指さしてこういった。
「調子のいいことばっかり言っても私はだまされないわ! 『働かざる者食うべからず』ってやつよ!」
「……いや、そんなことは言ってないし」
カトレアはぷるぷると首をふって否定した。
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