天使が宿る場所

天使とアクマ

 高台たかだいの公園から見おろすと、眼下がんか白一色しろいっしょく街並まちなみが広がっていた。

 そのむこうには、青くんだみずうみ


 白と青とのあざやかなコントラストに、おもわず『わあ』という声がもれる。


 さわやかな風が吹きぬけて、ダフォディルの髪をらした。細い指で髪を軽くかきあげると、色白な耳もとがあらわになる。その顔はめずらしく少女の無邪気むじゃきさがあふれていた。


 ここはミンヨウ大陸トップクラスの高級リゾート地、チョイト。


 アデッサとダフォディルはメインストリートのなかほどにある見晴らしの良い公園から、この地方特有の白い家々とミンヨウ大陸最大の湖であるチョイ湖をながめていた。


 公園は屋台の店主たちの威勢いせいのよいかけ声と、大道芸人だいどうげいにんたちがかなでる軽快な音楽、そして旅行者たちの喧騒けんそうであふれている。


 さすがは高級リゾート地だけあって行き交う人々もみなお洒落だ。


 だが、その合間合間あいまあいまをチョロチョロと走りまわる薄汚く小さな影。


 アデッサは寂しそうな目で、その小さな影をぼんやりと見つめている。


「アデッサ。もうお節介せっかいはやめてちょうだい」


 ダフォディルは冷たい声でポツリとつぶやいた。


 アデッサの視線の先の小さな影は、ボロ服を着た物乞ものごいの子供たちだ。富む者がいればひんする者もいる。どうやらここチョイトではその落差が激しいようだ。


 ボロを着た子供を見ると、二人ともどうしてもホイサでのソイヤとのことを思い出してしまう。


 ダフォディルだって鬼ではない。優しい心も思いやる心も持っている。ソイヤのことも残念でしかたない。


 だが、旅先で見かけるすべての不幸な子供たちをいちいち救っていたのではらちかない。民草たみくさへの慈悲じひの心が厚いアデッサとバランスを取るには、これくらい冷たい態度を取らねばならないのだ。


「……うん、わかってる」


 アデッサの気のない返事にダフォディルはフッと小さくため息をつく。そして、パッと気持ちを切り替えると、上機嫌の顔を取り戻し、重くなってしまった空気を変えようと――


「ねえ、あそこの屋台で『ドラゴン・チュロス』を買ってくるわ。待ってて」


 と、軽い口調でアデッサに言い残し、屋台へと走っていった。


 しかし、ダフォディルが去ると、アデッサの寂しげな視線はふたたび、ボロを着た子供たちへと吸いよせられてゆく。


 みな、首から募金箱のようなものをさげて行き交う裕福ゆうふくそうな人々へ小銭をせがんでいる。要領ようりょうがいい子もいれば、少しどん臭い子もいる。足が悪いのか、びっこを引いている子もいた。


 白い家々と爽やかな青い空を背に繰り広げられるそんな光景に、アデッサはやりきれなさを隠せなかった。


 すると――どん。『おまえジャマなんだよ!』と、一人の体格がよい男の子が、小さな女の子をはじきとばすのが見えた。


 男の子はすぐに、つぎの旅行者へ向かって走りだす。


 女の子はよろよろと立ちあがった。稼ぎが悪いのか募金箱はからっぽで、その表情は消えいりそうなほどに弱々しい。これからどうすれは良いのかわからずに、迷子のように不安げで、目からは涙がこぼれそうになっている。


 首から下げられた粗末そまつな募金箱には『ママ』と書かれていた。


 女の子の心のなかに悲しい気持ちが満ちてゆくのが見てとれた。


 ふわりと、その頭をなでる優しい手。


「大丈夫か」


 アデッサは女の子の前にしゃがみ、笑顔でそう言った。


 女の子はびくっとおどろいて顔をあげる。そして、目のまえの優しい笑顔に安心して、いままでこらえていた涙がひとすじこぼれてしまう。


 その涙をボロ着の袖でぬぐうと、気丈きじょうにも泣きだすのをこらえ、首からさげた募金箱をアデッサへと差しだした。


「ママが病気なの。ママが……ママが病気なの」


 声をあげまいと必死にこらえながらも、伏せた目からは大つぶの涙がぽたぽたとあふれていた。


 次の瞬間。じゃらりという音とともに、女の子がかかげた募金箱がズシリと重くなる。突然のできごとに、女の子は軽くよろけた。


 募金箱に入れられた財布をみて、女の子は目を丸くする。涙はぴたりと止まっていた。


「そのお金でママをお医者さまへせるんだ」


 女の子が募金箱から顔をあげると、目に涙をうかべるアデッサの優しい笑顔があった。


「おねえさん、天使さま?」


 アデッサは涙をそっと拭きながら『ふふっ』と笑い、こたえる。


「いいや、普通の人間だよ。いいかい、世の中には悪くて意地悪な人間もいるけど、優しい人間もいるんだ。もし、誰かに優しくされたら、今すぐじゃなくてもいい。いつか君ができるときに、誰かに優しくしてあげるんだ。いいね?」


 女の子はだまってうなずいた。


「よし。悪い大人や意地悪な男の子にそのお金をとられないように注意をするんだよ。もし、お金を取られそうになったらこういうんだ。『このお金に手を出したら瞬殺姫に言いつける』と。そして私のところに来なさい」


 女の子はもう一度うなずくと、人混みの中を走りさっていった。


 女の子の背を見まもるアデッサ。さっきまで曇っていたその顔は、チョイトの青い空のようにスッキリと晴れわたった――のもつか


「ほほう……」


 アデッサは背後に悪魔の殺気を感じてピクリと固まる。

 振り返らなくても誰かはわかった。

 名物スイーツの『ドラゴン・チュロス』を両手に持ったダフォディルだ。


「いや、ダフォ、これにはわけが……そのぉ、ママが病気で……」


「いくらあげたの」


「?」


「あの子にいくらめぐんであげたの、って聞いているの」


「……ぜんぶ」


「?」


「持ってたお金、全部あげちゃった」


「……」


「……」


「いやあああああああ!」


 チョイトのみわった青い空にダフォディルの悲鳴ひめいひびいた。


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