絶体絶命

 地下大聖堂。いきなり最奥さいおう


 押し寄せる何十体ものゴースト。スケルトン。レイス。


「瞬殺!」


 アデッサの剣の一振りでゴーストはき消え、スケルトンは崩れ落ち、レイスが断末魔だんまつまを上げる。【瞬殺の紋章】の前では不死の怪物アンデッドさえ一撃でほうむられるのだ。


 だが、再び押し寄せてくるアンデッドたち。


「くッ、きりがない!」


 アデッサの目の輝きはまだ失われてはいない。

 しかし、息は既に上がり始めていた。


 ――このままでは……。

 ここは一旦引くしかないか。


 そんな思いが頭をよぎった瞬間、判断に迷いが生じる。

 撃ち漏らしたスケルトンが振り下ろした剣が、アデッサの右肩を掠めた。


「――! 瞬、殺ッ!」


 アデッサが返す刀でなぎぎ払うと、部屋の中に残されていた敵が一掃された。

 大きく息を切らせ、ひざをつき、剣を地にして体を支える。左手を右肩の傷口へ当てた。思ったよりも深い。疲労と酸欠さんけつで目の前がくらくらする。


 だが、休んではいられない。


 視線を上げると、既に次の敵の波が押し寄せてきていた。


 歯を食いしばり立ち上がる。


 ふうっと大きく息を吐き、一息で呼吸と気持ちを整えた。

 静かな気持ちで剣を構える。


 右腕の【瞬殺の紋章】から赤いルーン文字の帯がき出し、アデッサの体を取り囲む。


「うぉらああああ! 瞬ッ殺ッ!」



 再び膝をつくアデッサ。

 その体は何度も敵の剣を受け血を流し、瞳の輝きは消えかけている。


 大聖堂最奥の大広間は静まり返っていた。


 ――これで……すべて。けど、おかしい。こんな数のアンデッドは不自然だ。


 とっくに気づいていたが考える時間がなかった疑問に思いを巡らせる。

 可能性は一つしかない。


「……罠、か」


 そして、自分はまだ敵の罠の真っただ中にいる。

 この広間へ入ってからずっと感じている、肌にまとわりつくような邪悪な気配。


「そこの者、いい加減出て来てはどうだ」


 アデッサは崩れ落ちた祭壇さいだんかげに向けて声をかけた。

 二呼吸ほどの沈黙。


 そして、赤いで縁どられた白いローブをまとった聖職者が祭壇の陰から姿を現した。


「フッ、気づいていたか」


「……」


 聖職者は目深にかぶっていたフードを引き上げる。


 ローブの下から現れたのは、赤毛のウルフカット。鋭い眼光。キリリとした顔立ちの女性。年の頃は二十代か。


 そして、ひたいに刻まれている【審判の紋章】。


「あなたは! この集落への道を……」


 ――クソっ、ダフォの言うとおり、チョイトへの近道だと言ってこの森へ誘い込んだのはコイツだ。あれは死者を操る【審判の紋章】。どうりで、これだけの数のアンデッドが湧いて出るわけだ。


 アデッサは聖職者をにらみつけた。

 疲れ切った目の焦点は合わず、視界がにじむ。


「フッ。カトレア様が目にかけているアデッサとやらがどれだけのものか、試させてもらったが他愛たあいもない。魔王をほふった【瞬殺の紋章】と言えども無敵ではない筈……とは思っていたが、こうも簡単につぶせるとはな」


 聖職者は広間に声を響かせた。


「カトレア……ダンチョネ教か」


「いかにも! 我はダンチョネ教近衛このえ兵長サザンカ。サザンカ・ズンドコソレソレ!」


 ――ダンチョネ教。

 女教皇カトレアの名は聞いたことがある。

 子供ながらに【愚者の紋章】をう者。


 アデッサは立ち上がった。


 ――腕が重い。足が動かない。意識が……遠い。


「ヤーレンの第十三王女アデッサ。アデッサ・ヤーレンコリャコリャ!」


 震える手で、サザンカに向けて剣を構え、名乗った。


「……ほう。王女の命乞いでも見れると思ったが、死を選ぶか。それでいい。死んでしまえば貴様の体はこの【審判の紋章】の思うがまま。その死体がちるまでたっぷり使ってやるぞ。安心して死ね」


「この、【瞬殺の紋章】が狙いか!」


 サザンカは冷たい眼差しでアデッサを見据え、こう言った。


「世界平和だ」


「せ、世界……平和!?」


 ――なんだ、と?


 意外過ぎる言葉にアデッサの思考が空転する。


「カトレア様が望むのは世界の平和! アデッサ……瞬殺姫よ。その目を開いて人の世を見てみろ。貴様が魔王を倒したその後、愚か者どもが取った行動はなんだ?」


 サザンカの言葉に熱が入る。


「平和な暮らしを、慈愛じあいに満ちた暮らしを……。魔王なきいま、求める心さえあればいつでも手に入るはずの平和な世界を求めようとせず、愚か者どもは愛すべき隣国へ、あろうことか剣を向けたのだ! たかだか経済のために!」


 アデッサは呆然ぼうぜんとサザンカの言葉を聞いていた。


 ――世界平和?


 なんだ、いい人じゃないか。

 いい人が、私を退治しにきた、ということなのか?

 そんなに私が悪いのだろうか。


 これでは、私が魔王みたいじゃないか。


 でも……。


 ソイヤもそんなことを言っていたような気がする。

 警備隊長もそんなことを言っていた気がする。


 そうか……。


 私が居なければ、私が居なければ世界は平和に……なるのだろうか。

 よくわからない。


 けど、皆が言うなら……そうなのかもしれない。


 薄れゆく意識のなかで、辛うじて剣をかかげるアデッサの心にひとつの答えが浮かぶ。



 ――よかった。

 私がこの人に殺されれば、世界に平和がおとずれるのであれば。



 心の中に残されていた、敵へあらがとげが溶けてゆく。



 いや……溶けずに残っているこの塊は……なんだったっけ?



「だからこそ! 我らダンチョネ教は戦争を加速させ、愚か者ども同士を殺し合わせ、麻薬で国力を奪う! そして勝ち残った一国いっこくをカトレア様の手で支配し、ミンヨウ大陸全土を統一するのだ! フフフ……ハハハハハ!」


「……」


「清き心を持つ子供以外は、男も女も大粛清だいしゅくせいだッ! 無垢な国民をゼロから育て上げ、この世界に理想郷を実現させるのだ! ハハハ、アハハハハハ!」


「……」


「さて、貴様にはその【瞬殺の紋章】で国を亡ぼす手伝いをしてもらいたかったのだが……」


「……あんぽんたん」


「なんだと?」


 アデッサは背筋を伸ばし、王家に伝わる決闘の構えを取った。


 もう手は震えていない。その目は異様な輝きを取り戻し、顔は無慈悲な獣のように険しく、その体は触れれば切れるほどの気迫に満ちている。


 右腕の【瞬殺の紋章】から赤いルーン文字の帯が噴き出して宙を舞い、アデッサの体を包んでいった。


「そんなの聞いて、おちおち死んでられっかアホ聖者ッ! 【賢者の麻薬】を作ってたのも貴様らだな! ソイヤの仇だ、今すぐ瞬殺してやるッ!」


 アデッサは声の限り叫んだ。


 ――奴に触れられれば

 髪一本でも触れられれば

 私は奴を瞬殺できる。


 だが……。


「フッ。言い残すことはそれだけか」


 サザンカはニヤリと笑うと【審判の紋章】を発動させた。

 額の紋章から黒いルーン文字の帯が噴き出し、宙に魔法陣を描く。


 死者を無限に呼び出すその力が冥界めいかいの扉を開こうとしていた。


 啖呵たんかは切ったものの、アデッサの視界が白くかすんでゆく。


 ――これまでか。

 ごめんよ、ソイヤ。私には幸せな世界はつくれなかった。


 と、後ろから、何かが駆け寄る音が聞こえてくる。

 既に振り向く気力さえない。


 ――敵か?

 もう、ゴースト一体を瞬殺する力さえ残されていないのに。

 踏んだり蹴ったりじゃないか。



 もう、これで最後。

 そう思った瞬間に。


「ダフォディル……」


 口からこぼれ出たのは、大好きなその名前。

 まぶたに浮かんだのは、大好きなその笑顔。


 やっと気づいた。

 これが、心の中で、溶けてしまわずに残っていたもの……。


「ダフォディル……」


 アデッサはもう一度そう呟くと、目の前に浮かんだダフォディルのまぼろしへ手を伸ばした。



「……ぁぁぁ」


 背後からアデッサに迫る足音に加えて、何か鳴き声のような音が……いや、これは悲鳴だ。


「ぎやああああああああ! ぎやああああああああ!」


 バタバタという足音が叫び声と共に、一気に大広間へと侵入してきた。


 アデッサが反射的に振り返ると、そこに居たのは――


 涙をちょちょ切らせ悲鳴を上げながら走ってくる、ダフォディル。

 ……と、ダフォディルを追いかける爺さんと、村人たち!?


「ダフォディル!?」


「ぎやああああああああ! ぎやああああああああ!」


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