賢者の麻薬

 アデッサが救った少年の名はソイヤ。


 アデッサとダフォディルはソイヤに誘われるまま彼の家へと向かった。ソイヤの家は貧民街にあるようで、道を進むにつれ建物の背は低くなり、道端みちばたの瓦礫が増え、住民たちの衣服は粗末になっていった。


 到着したソイヤの家は貧困の底をつくようなたたずまいで、ところどころ漆喰しっくいが欠けた日干し煉瓦れんがの壁は『次に雨が降る前に修理しなければ』と言う状況が、もう何年も続いているように見受けられる。


 家に入ると中は薄暗くしんとしていた。


「母さんが紋章屋だったんです」


「なるほど。それでこの紋章のことを知っていたのか」


 アデッサは右腕の【瞬殺の紋章】を左手でなぞった。


「はい。そうじゃなくてもアデッサさんは有名ですけどね」


 ソイヤはそう言ってにこりと笑う。

 アデッサは少し照れ交じりの笑顔を返すと、改めて部屋の中の様子を見回した。


 内側から見てもやはり壁の手入れは行き届いておらず、すでにち始めていると言った方が良いレベルだ。もともとは作業場も兼ねていたと言う室内は広々としており、奥にも部屋があるようなのだが人の気配はなかった。部屋の隅に簡単な寝床とカラ。それ以外に家財道具らしいものが何も見当たらない。床には砂が積もっている。


「父は、冒険者だったんです」


 ソイヤは独り言のように語り始めた。


「でも、旅に出たきり戻らなくて。母が紋章屋をして育ててくれたんですが体が弱くて、去年……」


 紋章屋とは様々なアイテムに紋章を刻み込む職業である。

 魔法使いはアイテムに魔力を宿やどらせることができるのだが、その魔力は時間と共に揮発きはつしてしまう。しかし、紋章を刻むことにより、より長期間魔力をそのアイテムへ定着させることができるのだ。マジックアイテムを創り出すために、紋章屋はなくてはならない職業だ。


 だが、そんな紋章屋も魔王討伐のあおりを喰らい仕事が激減している筈だ。母子二人の生活が苦しいものだったであろうことは、アデッサにも容易に想像することができた。


 アデッサは溜め息をつく。

 そして――


「だからと言って、『そんなもの』に手を出してはいけない」


 と、冷たく言い放った。

 いつになく鋭い眼差しはソイヤには向けられていない。


「……アデッサさんは、気づいていたんですね」


 ソイヤはポケットから小さな包みを出した。

 広げると、中には丸薬が五粒。


「これ――【賢者けんじゃの麻薬】じゃない!」


 成り行きを黙って見ていたダフォディルが珍しく驚きの声をあげる。


 あの時の裏道でアデッサがあれほど迅速じんそくな行動に出た理由がダフォディルにはようやくわかった。


【賢者の麻薬】は、聖職者の高位魔法により生成される薬物だ。


 本来の機能は痛み止めなのだが、痛みからの解放と共に強烈な多幸感たこうかんいちじるしい判断力の低下をもたらす。しかも中毒性が強く、薬が切れたときに揺り返しのような精神的苦痛が襲い掛かる。


 冒険が盛んであった頃は万が一の負傷に備え誰もが用意していた薬なのだが、最近は本来の目的を離れ、まさに麻薬として利用されている。


 既に各国とも販売を禁止し、聖職者たちにも【賢者の麻薬】の製造中止が呼びかけられている筈なのだが、密売が後を絶たない。


「子供に運び屋をやらせていただなんて。アイツら、もっと痛めつけてやればよかった」


 ダフォディルが声を荒らげた。

 ソイヤはしゅんとうつむく。


「悪い事だとは知っています。でも、こうでもしなければ、生きてはこれなかったんです……」


「……」


「……警備隊に突きだしてください。警備隊は子供一人でも捕まえれば成績が上がるので喜んで捕まえますよ。僕は恨んだりしません」


 ソイヤは背中を丸めて自棄やけ気味にそう吐き捨てた。

 ズボンの端を握りしめる手が震えている。

 ひとすじの涙が零れ落ち、服に染みをつくった。


 今はどの国も【賢者の麻薬】に対する罰則は厳しい。


 少年だからと言って更生させたり、牢へ繋ぐだけの余力がないことは、このホイサとて例外ではない筈だ。末端の運び屋とは言え、最悪、その場で処刑されても仕方がない。


 アデッサは長いまつ毛を伏せ、いつになく凛々しくもうれいいに満ちた表情で部屋の隅を見つめ、口元を頬杖ほおづえで覆いながらもういちど溜め息をつく。


 だが、そのクールな面持ちとは裏腹に、頭の中はパニクっていた。


 ――やばいやばいやばい! 後のことは考えてなかったー! どーすんのヨぉ! 警備隊に突きだす? いやいや、殺されちゃうって! 無理無理無理無理、そんなの絶対無理! だいたいこの子はそんなに悪い子じゃないのよ!? てゆーかイイ子じゃない。そーよ、警備隊なんかに任せずに、ちゃんと悔い改めさせて明日から清く正しい社会生活をおくらせるのが何より大切なことよ。よし、決めた! どーせ警備隊員なんかボンクラそろいなんだから黙ってればバレっこない! ここは軽くお説教して……。


 アデッサはそう決心するとキリッとした表情でソイヤへと向き直る。


「いいか、ソイヤ――」


 そのとき、戸口から男が家の中へと入ってきた。


「チワッすー、警備隊ですがー」


「ぶッふォー!」


 突然の警備隊の来訪らいほうにアデッサが驚いて飛び上がった。


 戸口から現れたのは二十代の男。

 麻の制服の上に街の紋章が描かれた革の胸当てを着けている。この街の警備隊員であることがひと目でわかる服装だ。


 そして、その後からもう一人。

 年の頃は三十代か。先の男よりややグレードが高そうな制服。取り付けられた勲章から隊長クラスの人物であろうと察しが付く。顔のりが深く、長い髭をたくわえ、厳然げんぜんとした顔つきをしている。


「わ、私がやりましたッ!」


 アデッサはぷるぷると震えがながら両腕を差し出し、おなわ頂戴ちょうだいしようとした。


「はぁ?」


 若い方の警備隊員はそんなアデッサの態度を『たちの悪い冗談』を見下みくだすかのような視線で一蹴いっしゅうした。そして、部屋を見回しダフォディルを見つけると――


市場いちばの裏通りで魔法を使った者がここに居ると聞いたのだが。おい、そこの黒髪。貴様だな」


 と、ダフォディルをあごで指した。


 どの国でも市街地での魔法の利用は禁止されている。

 些細な魔法や緊急の治癒ちゆ目的であれば黙認もくにんされることも多いが、例え防御魔法であっても戦闘系の魔法の利用には相応の罰則が伴うのが一般的だ。


 高圧的な問いかけにダフォディルは眉一つ動かさず、左腕の紋章を差し出しながら淡々と答えた。


「確かに私よ。でもその魔法は【鉄壁の紋章】が相手の攻撃を受けて自動的に発動したもの。自己防衛のための防御魔法の自動発動は認められている筈よ」


「て、【鉄壁の紋章】!?」


 警備隊員は目を見開いてあとずさる。

 そして、カクカクと震えながら視線をアデッサへと向け、その腕に【瞬殺の紋章】を見つけると顔が真っ青になってその場へ座り込んでしまった。


「ひいぃ!」


 一方、もう一人の警備隊員はまるで動じない。

 不遜ふそんな態度のままアデッサを見下みおろしていた。


「ふん、貴様があの瞬殺姫か。魔王討伐などと余計なことをしてくれたもんだ。貴様のせいで世界はかえって混乱しているのだ」


「た、た、た、隊長ッ!」


 アデッサを刺激しないようにと、腰が抜けた警備隊員は隊長へとすがりついた。

 だが、警備隊長はニヤリと笑い、続けた。


「恐れるな。噂で聞いているぞ。貴様、人間の男は瞬殺できないそうではないか。それに【鉄壁の紋章】もこちらから攻撃さえしなければただの飾りに過ぎない、と聞いている」


 アデッサが何かを言いかけたがダフォディルは片手でそれを制し、警備隊長の前へと歩み出る。


「隊長さん。仮にもアデッサ姫はヤーレンの第十三王女。口が過ぎるのではないですか」


「ふん。我が領主とてヤーレン王とのいざこざは望んでいない。だが、第十三王女は勘当されたとも聞いているが……」


 ――さっきから『聞いてる、聞いてる』って、耳年増ミミドシマかお前は!


 ダフォディルは心の中で警備隊長にぺっぺっぺっ、と唾を吐いた。


「――我々はヤーレン王からの密命を受け、諸国を旅している身。ヤーレンの第十三王女はヤーレン王に勘当などされていないわ」


 そう言うと、ダフォディルは【真実の石】を警備隊長の目の前へ差し出した。【真実の石】が輝きを放つ。


「それは……くッ!」


「さっきは暴漢に突然なぐられたのよ。だから【鉄壁の紋章】が自動的に発動しただけ。魔法を故意に発動した訳ではないわ」


 忌々いまいましそうな警備隊長の顔を【真実の石】の輝きが照らした。


「ふん! 状況はわかった。だがとにかく、通報があった以上記録は残させてもらうぞ! 今日の夕刻までに西街の事務所へ出頭しろ。書類を書いてもらう――おい、いつまで腰を抜かしている! 行くぞ!」


 警備隊長はそう言うと這いつくばっている隊員を引き起こし、戸口とぐちから出て行こうとした。

 が、そこで一度立ち止まり……。


「ところで……なぜ、ヤーレンの王女ともあろう者がこんな所に居るのだ?」


「んんーッ!」


 今度はアデッサがビクッと青ざめてカクカクと震える。


 もうおわかりのとおり、この王女、とにかく人との関わりあいの中では咄嗟の機転が効かず、すぐにテンパる。嘘もつけずに先も読めない。黙ってさえいればクールに見えるのだが、人対人の面倒くさーいやり取りの場においては『丸っきり使い物にならない』のだ。


 ダフォディルはやれやれと首を振り、アデッサの代わりに答えた。


「暴漢に襲われたときにこの子と知り合ったのよ。ここへはお茶を飲みに来ただけ」


【真実の石】は既にポーチにしまわれている。

 ダフォディルと警備隊長はお互い無言のまま、暫く睨み合っていた。


 やがて警備隊長は何も言わずに背中を見せ、家から出て行く。


 警備隊員たちの気配が消えると、ソイヤは憔悴しょうすいし切って白くなっているアデッサに抱き付いた。


「ありがとうアデッサ! 僕を見捨てないでくれたんだね!」


 ソイヤの言葉にアデッサは力なく笑った。


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