年下の男の子

 入国審査を済ませたアデッサとダフォディルは市場へと向かった。


 街に到着したら先ずは食事だ。旅のあいだは固いパンと塩漬け肉しか食べられない日々が続く。その禁欲きんよく生活のあとは新鮮な食材で作られた郷土料理や甘い物はひときわ美味しく感じるのだ。


 二人は市場の中にある大きな食堂へ入ると、お喋りな女給ウェイトレスが勧めるままに名物の肉料理や季節の野菜料理、そしてデザートと、次々にたいらげてゆく。


 すっかり満腹となった二人はお茶を飲み終えると、腹ごなしに市場の散策へ繰り出した。


 昼下がりの市場は活気に溢れている。


 人ごみと喧騒けんそう

 色鮮やかな果物や香辛料こうしんりょう

 異国の衣装に髪飾り。

 どこからか聞こえてくる陽気な歌声。


 魔王討伐以降『物が売れない時代』と言う言葉をよく耳にする。

 確かに武器屋やアイテム屋の数は目に見えて減っていた。

 だがその分、食材や日用品の店が増えているようにも見える。


「平和ね」


 ダフォディルがそう言うと、アデッサは屈託くったくなく――


「ああ。平和だな」


 と、応えた。


 ひとたび野外へ出れば『瞬殺したいスイッチ』が入りモンスターを求めて目の色が変わるアデッサなのだが、別に戦乱の世を望んでいるわけではない。


 心の中はむしろ逆。


 魔王討伐の決意の裏には、人々の平穏な生活を望む純粋な想いがあったのだ。


「あー、これで隣に彼氏がいればなぁ」


 食い気が満たされたら次は色気、と、アデッサが冗談交じりにぼやく。


「またそんなことを。あなた、仮にも王女でしょ」


 ダフォディルはいつものように淡々と応えた。

 でも……。と、ダフォディルは考える。



 ――でも、アデッサは本気で異性のパートナーを欲しているのだろうか。


 恋バナはいつも冗談めいていて、恋に恋する素振りを見せつつも、いつもどこか上の空だ。男に興味があることを演じているかのような、周りに合わせているかのような、そんな気配。


 同年代から漂う『女という生き物』の匂いが、アデッサには感じられない。

 それが、生まれ持った王家の気品と言うもの、なのだろうか。


 でも……それだけとも、思えないのだけど……。


 ダフォディルは陽気に喋り続けるアデッサの唇を、そっと盗み見た。



 そんな調子で市場の隅々まで足を伸ばしているうちに、二人はいつしか狭く入り組んだ裏通りへと迷い込む。これも、旅の定番の出来事の一つである。


 夏場の熱気を逃がすためか、ホイサの家々はみな屋根が高い。そのせいで、日が入り込まない裏通りは昼でも薄暗かった。


 家々はみな日干し煉瓦れんが漆喰しっくいで造られている。平原の街ホイサでは木材は貴重なのだ。街の中心にある市場を離れるにつれ、緑は消え、周囲は砂の色一色に染まってゆく。


「あッ」


 アデッサが裏通りの先に何かを見つけ、小さな声で注意を促す。ブツブツと考え事に没頭していたダフォディルがふと我に返ると、前方の曲がり角に少年が立っているのが見えた。


「流石に、彼氏にするにはちょっと若いんじゃ……」


 アデッサはダフォディルの言葉には反応せず、少し緊張した様子で少年に注目している。

 少年は建物の陰に立つ誰かと口論をしているらしく、二人には気づいていないようだ。


 すると、少年の話し相手が建物の陰からぬっと現れた。


 どう見ても友達には見えない。

 三十絡みの、見るからにガラのよくない男。

 男の手が少年の胸ぐらを掴んだ。


 その瞬間にアデッサが走り出す。


 こう言う時のアデッサの決断の速さ――いや、何かを判断しているようにすら見えない反射的な行動に、ダフォディルはいつも驚かされる。


 アデッサは電光石火の身のこなしで男の腕から少年を奪うと自分の背にかばった。そして敵意に燃えた眼差まなざしで男をにらみつける。腰の剣に、手はかけない。


「やれやれ、まったく。困った王女様だこと……」


 ダフォディルはため息まじりに独り言を呟きながらアデッサに続いた。



「へッ、お嬢ちゃん。悪い事は言わねぇ、そいつをよこしな。でないと怖い目に合うぜ」


 国が変われど時代が変われど、三下さんしたの台詞が変わらないのは不思議だ。


「はいはい。喧嘩は私の担当よ」


 ダフォディルは面倒臭そうにアデッサと男の間に割って入った。

 建物の陰で見えなかったが……やからは全部で三人。


 少年の胸ぐらを掴んだ男が一番大柄おおがらで腕っぷしが強そうだ。

 奥の二人はその取り巻きと言ったところか。

 三人とも冒険者崩れと言った汚らしい服装だ。


「ははははは! コイツは上玉だ」


 男たちはダフォディルを見ると下卑げびた笑いを浮かべながらにじり寄る。

 どうやら奴らの関心は少年からダフォディルへと切り替わったようだ。

 ダフォディルは視界に入れるのもイヤだと言わんばかりに、男たちから顔をそむけた。


「なにを! 私だって上玉だぞ!」


 背後でアデッサが見当違いな抗議こうぎをする。

 イラッとしたダフォディルがアデッサを振り返り、舌打ちをした。


 ゴスッ!


 不意打ち。視線をらしたダフォディルの腹を目掛けて、男が拳をたたきつける。

 裏通りに嫌な音が響いた。


「へへ、痛めつけ過ぎるなよ。楽しめなくなる」


 背後の二人は待ちきれないと言わんばかりの表情で迫ってきた。

 だが――


「ふアアアッ!」


 男はダフォディルに叩き付けた右の拳を押さえながら悲鳴を上げた。そして苦悶くもんの表情を浮かべながら膝をつき、歯を食いしばって痛みに耐える。男の潰れた拳からは血が流れ落ちていた。


 突然の出来事に、背後の二人は身をすくませて声を出すこともできない。


「あら。私に素手で殴りかかるなんて、やめた方がいいわ」


 警告は遅すぎたようだ。


 次の瞬間、【鉄壁の紋章】から青いルーン文字の帯が噴き出してダフォディルの体を覆った。薄暗い裏路地をただようルーン文字が放つ青白い光が照らす。


 二人の男はその紋章が何であるのかを見抜くほどの知識は持ち合わせてはいない。だが、それが遥かに高度な魔法であることだけはひと目でわかったようだ。一瞬にして戦意を喪失する。そして――


「お、覚えてやがれ!」


 と、定番のセリフを残し、いまだに苦悶の表情をしている男に肩を貸しつつ逃げ去って行った。


 すると――


「アデッサ!」


 ダフォディルの背後で少年が驚きの声を上げる。


 ――アデッサを呼び捨て? 知り合い?


 ダフォディルが驚いて振り返ると、少年はアデッサの腕に刻まれている紋章を食い入るように見つめて目をキラキラと輝かせていた。


「これ、【瞬殺の紋章】! お姉さん、アデッサだよね!」


 ――あら、まあ。ここにも『アデッサ派』が。

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