城郭都市ホイサ

 ミンヨウ大陸は踏み潰したジャガイモのような形をしている。


 大陸の真ん中には大きな平原があり、そのまた真ん中には『城郭じょうかく都市ホイサ』があった。


 ホイサは交通の要所であり、街はそこそこ賑わっている。『俺、ホイサ出身なんだよねー』と、友達に話しても田舎者とバカにされない程度には都会で、かと言って若者が夢見るような大都市でもない。そんな街だ。


 ホイサの市街は『城郭都市』の名のとおり、周囲をぐるりと城壁に囲まれている。


 城壁の南北二ヵ所には小城門が、東西二ヵ所には大城門がそれぞれ構えられており、他所よその都市からやってきた行商人ぎょうしょうにんや旅人は東西の大城門で入国審査にゅうこくしんさを済ませる決まりだ。


 てな訳で。


 ここはホイサの西にある大城門、入国審査室。

 時刻はお昼の少し前。


 開け放たれた鎧戸よろいどから陽の光が室内を明るく照らしている。

 分厚い石材で囲まれた部屋の空気は少しひんやりとしていた。


 入国審査室のレイアウトは典型的な役所の受付そのものだ。入り口から見て手前には待ち合いのベンチが並び、奥には5、6人が一度に手続きをおこなえそうな長い受付カウンターが据えられている。


 行商人が詰めかける朝のラッシュの時間帯は過ぎており、室内はガラガラだ。

 カウンターには担当官が一人だけ、入国希望者は二人しか居ない。


 入国希望者のひとりは黒髪ショートの前髪ぱっつん娘、冷たい澄まし顔のダフォディルだ。


 旅の途中だというのに髪も服装もそのまま人前に出られそうなほど小奇麗に整っている。窓からの明かりに照らされた肌は驚くほど白い。長時間日光に晒されることを常とする旅行者の中で、ここまで色白なのはかなり珍しい。


 そしてもうひとり。


 アデッサは……さっきからしきりに寝ぐせを気にしている。


 ボサッと乱れたブロンドのショートヘアに包まれた凛々しい眼差しと精悍せいかんな顔立ちは美人と言うよりはボーイッシュ。男子より女子にモテそうなオーラを今日も無自覚にかもし出していた。


「お待たせしました!」


 受付カウンターの向こうから、ハツラツとした青年の美声がアデッサたちを呼んだ。


 この青年、美声に加えてなかなかのイケメン。


 年の頃は二十歳前後か。瞳は晴れた空のようなブルー。肌は健康的な小麦色。短く切り揃えられた飴色あめいろの髪。すらりと背が高く厚い胸板。近寄ると柑橘系かんきつけいの匂いがした。あふれる清潔感せいけつかん


 そして何よりゲイっぽくない。


 青年は爽やかな笑顔をダフォディルと、アデッサに向けた。


 ――どうやらこの人は『アデッサ派』のようね。


 ダフォディルは青年の瞳がアデッサをとらえた瞬間の微かな輝きと表情の変化を見逃さなかった。


 そして、これから起こるであろう惨劇さんげきを予想し、澄ました顔を1ミリも動かさぬまま『やれやれ』と心の中で溜め息をつく。


 一方、当のアデッサと言えば……ダフォディルの心のぼやきを知るよしもなく――受付の前に立ちながら、まだ寝ぐせを気にしている。


「ようこそ、ホイサへ――女性2人で旅を!?」


「ええ。そうなんです」


 アデッサは寝ぐせに手を添えたまま青年へ顔を向けると、問いかけにサラリと答えた。

 青年はアデッサの答えに心底しんそこ驚いて言葉を失う。


「――なんて危険な! 若い女性が街を離れるだけで危ないのに、あなたの様に美しい方が女性だけで旅をするなんて」


「は、はあ……」


 てっきり事務的な入国手続きが始まると思っていたアデッサは青年の予想外の言葉にキョトンとする。


 その脇に立つダフォディルは、間接的に『美しい人』としてカウントされなかったことに軽くイラッとした。


 ――そこは『』でしょ?


 と、心の中で青年の背中にナイフで『サクッ』と突っ込みを入れるが、表情には1ミクロンも出さない。


 ダフォディルは『外見で選ぶ』と言う条件が付くのであれば、世の中のほとんどの男がアデッサよりも自分へ興味を示すことを知っている。


 だが、まれに居るのだ。

 この青年のような『アデッサ派』の男が。


 そのタイプはどういう訳か例外なく熱血的で、ダフォディルを露骨ろこつに無視し、無視することにより自分がいかにアデッサの魅力を認めているかをアピールする。


 つまり、ダフォディルをダシに使うのだ。そして果敢かかんにアタックし――最後は尻尾を巻いて逃げてゆく……。


「なにか、危険をおかしてまで旅をしなければならない理由あるのですね。あの、お節介のようですが僕は、そんなあなたのことを放ってはおけません……そのぉ……これは入国審査とは関係ないのですが……もし、よろしければ僕に事情を聞かせてはもらえないでしょうか?」


 アデッサは突然の展開に何が起きているのか付いて行けず、口をぽかんと開けて目をパチパチとさせる。


 ――はて?


 なんだこの人、言っていることがよくわからん。寝ぐせを気にしてて、なにか大事な所を聞きらしたのか? 悪い人ではなさそうだし、なんだかいい匂いもする。それで……『事情』ってなんのことだ? アタシからいったいナニを聞き出したいんだ?


 と、アデッサは考えた。

 そして、『よし、とりあえず謝っておこう』と言う結論に至る。


「すみません……あのぉ……」


 青年はアデッサの反応を『突然の誘いをやんわりことわろうとしている』のだと、誤解した。もちろん、ここで引き下がるような彼ではない。ぐっとカウンターに乗り出して熱弁する。


「お願いします。今すぐとは言いません。滞在中、お時間があるときでいいんです。そうだ、ホイサに来るのは初めてでしょうか? 美味しいお店があるんです。よろしければ今夜、お食事でもしながら――」


「――審査官」


 ダフォディルが落ち着き払った声で割り込んだ。


 青年はハッと我に返り、照れ交じりの笑顔でダフォディルへ頷いてみせる。しかし、乗り出した体をカウンターから引いたものの『彼女を諦めるつもりはない』と顔に書いてあった。


「審査官。こちらが私たちの身分証――」


 ダフォディルはポーチからで包まれた石を取り出した。その石は色も形も玉子の黄身のように見える。表面には何かの紋章が刻まれていた。


「そ、それは! 【真実の石】ではないですか!」


 青年の注意が初めてダフォディルへ向いた。


 それもその筈、いまダフォディルが取り出した【真実の石】は非常に希少価値レア度が高いマジックアイテムなのである。


 この【真実の石】の効果とは、この石に触れた者が直前に発した言葉が真実であれば輝きを放ち、嘘であれば割れてしまうと言うものだ。


 そもそも希少な上に一度嘘に反応すると割れてしまい、二度と使えなくなるため世の中には殆ど流通していない。だがそれ故に、このアイテムを使った身分証明の信頼性は抜群だ。


「私はダフォディル・ソーランハイハイアットエンヤー。旅行者よ。もちろん、街で騒動をおこすつもりはないわ――」


 ダフォディルはそう言うと【真実の石】をなめし革から手のひらへと移した。

 石がキラリと輝きを放つ。これによりダフォディルの言葉が真実であることが裏付けられた。


 ダフォディルが名前に続けた『アットなにがし』は出身地を示している。つまり、『@エンヤー』は『エンヤー出身の――』と言う意味となる。


 加えて、冒険者パーティに所属する者は『@』と『出身地』の間に『パーティ名』を入れる習わしとなっている。つまり『名前@パーティ名ドット出身地』と言う形だ。


「ダフォディルさん。北の街、エンヤ―からはるばるようこそ」


 青年はダフォディルへ笑顔を向けたがどこか上の空だ。『そんなこと』よりも、ついに金髪の少女の名前を聞くことができる。その期待に頬がデレデレと緩んでいた。


 ――あらあら。お可哀想に。


 と言う心の中の同情とはうらはらに、澄まし顔のダフォディルの口元にはサディスティックな微笑みが浮かぶ。


「――そして、貴方の前に立っているのはアデッサ。アデッサ・ヤーレンコリャコリャ@赤のパーティドットヤーレン」


【真実の石】がキラリと輝いた。


 その輝きに照らされた青年の顔は、笑顔のまま固まっていた。


「……ヤーレン……ヤーレンの、赤のパーティ……」


「そうよ」


 ダフォディルが淡々と答えるとその言葉に応じて【真実の石】がもう一度キラリと輝く。

 青年の顔がサッと青ざめた。


「あ、アデッサ……!? 瞬殺姫、アデッサ……!!」


「そのとおり」


【真実の石】が更に輝きを放った。


 青年の視線がカクカクと下へさがってゆき、カウンターに置かれたアデッサの右腕で止まる。そしてそこに【瞬殺の紋章】を発見すると、青年の顔色は青を通り越して土気色へと変色していった。


 一騎当千いっきとうせんの冒険者たちにより結成された【赤のパーティ】、

 そのエースであり、魔王を瞬殺したヤーレンの第十三王女、

 瞬殺姫アデッサの名を知らぬ者はミンヨウ大陸には居ない。


 そしてその名と共にまことしやかに広がる、根も葉もない噂の数々。


 曰く、やれ瞬殺姫は男の肝を喰らうだの、もてあそんでから切断するだの、血をすするだの……『魔王を一撃でほふった者』と言うフレーズから生み出された勝手な妄想により、アデッサの人物像はひずみに歪んで広まっていた。


 その噂の破壊力をダフォディルは身に染みて知っている。

 一方、アデッサはその噂の存在すら気づいている様子がない……。


 さて。そんなアデッサも(さっきまでの)青年が自分に対して好意を向けてくれている、と言う事実にようやく気づく。


 だが、御存知のとおり、今更気づいても遅い。


「よろこんで!」


 アデッサはひまわりの様に天真爛漫てんしんらんまんな笑顔でカウンターに乗り出した。男子に声をかけられるなんて久しぶりだ。アデッサだって年ごろの女の子、しかも相手はイケメンで、ゲイではなさそうなのだ。


「あの、お食事、ぜひ!」


「ひいッ!」


 青年はビクッと飛び上がる。


 彼の目には既に、目の前のブロンド娘は『悪魔以下の何か』にしか見えていない。顔色は土気色を通り越して白くなり、男らしい身体は子犬のようにプルプルと震え、視線は宙を漂い、清潔なシャツは冷や汗でびっしょりと濡れた。


 流石のアデッサもこの異変にはリアルタイムに気付く。


「あ、あー! 思い出したぁ! きょ、今日は法事だ! 午後からおばあちゃんが亡くなる予定だった。お葬式の準備をしなきゃ。忘れてましたーあーなんで忘れてたんだろー残念だー。それでは、入国審査は完了です! まったく問題ありません! さようなら! よい旅を!」


 青年は早口でそう叫ぶと二枚の通行証をカウンターに置き、背後のドアから駆け足で去って行った。


 呆然と立ち尽くすアデッサ。


 ――なぜ急に態度が変わった!?

 寝ぐせか? やはり寝ぐせが敗因なのかッ!?


 と、再び寝ぐせを撫でる。


 一方ダフォディルは満足そうにカウンターの通行証を淡々とポーチへしまった。

 どうやら予想した通りの展開だったようだ。


「さ、審査は済んだわ。いきましょう、アデッサ」

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