裏通りの罠

 お腹を空かせているソイヤに手料理をふるまうため、アデッサとダフォディルはソイヤを連れて再び市場へ向かい、食材や鍋や食器を買い込んできた。


 そしてソイヤの家へ戻るとなれた手つきで早めの夕食を作りはじめる。


 なにもない簡素な台所だが、野営に慣れているアデッサとダフォディルにとってはで鍋が使えるとだけで、普段よりも十分に条件が良い。言葉すら交わさずに阿吽あうんの呼吸で次々と料理をテーブルへならべてゆく。


 焼き上がったピタで豆のペーストと干し肉をくるんだサンドイッチをつくり、甘辛い肉団子とサラダとスープもできあがった。


「さて。私は警備隊のところへ行ってくるわ。書類にサインをしないと」


 ひととおり料理ができたところでダフォディルは出かける準備を始める。

 そういえば、さきほどの警備隊長に『夕刻までに出頭するように』といわれているのだ。


「ダフォは食べないのか?」


「まだ夕方前よ? 昼にあれだけ食べたのに。入らないわよ」


 ダフォディルはそう言うと、すれ違いざまにさりけなくアデッサの耳元へ口をよせた。


(こんなの、いつまでも続けられない。別れがつらくなるだけよ)


(……わかってる)


(こんな子供、この街だけでも何百人といるのよ。忘れないで)


 ダフォディルの警告にアデッサは口をへの字にまげてみせた。

 ダフォディルはやれやれ、と首を振り――


「すぐ戻るわ。私がいないあいだは無理しないでちょうだい」


 と、言い残して家をあとにした。



「ごちそうさま! 久しぶりにお腹いっぱい食べたー! アデッサさんありがとう!」


 食事を終えたところでソイヤはとびっきりの笑顔をアデッサへむけた。

 アデッサの頬が幸せそうにゆるむ。


 ――くー、やっぱり子供は可愛いなぁ。

 この屈託のない笑顔がたまらない。


 だが、頭の中でミニ・ダフォディルが『いつまで面倒を見る気?』『その子の母親にでもなると言うの?』と、突っ込んでくる。確かに……でも可愛い。


 しかし、ソイヤの笑顔は長くはつづかなかった。


「……いつまでも甘えてはいられないよね。アデッサさんたちがいなくなったら……またもとの生活が始まるんだ……」


 さっきのダフォディルとの話を聞かれたのかも知れない。

 そう思い、アデッサは唇を噛んだ。


 しばらく沈黙の時が流れる。


 やがて、アデッサは意を決し、立ち上がった。


「ソイヤ。私を【賢者の麻薬】の売人バイニンのところまで連れて行ってくれ。悪い奴らがこれ以上君に関わらないよう、説得してみる」


「……アデッサさん」


「そして君はまっとうな道をあゆむんだ」


 アデッサの笑顔に、ソイヤが笑顔でこたえる。



 表へ出ると街は既に薄暗くなり始めていた。


 砂の色一色だった周囲の家々は、暮れゆく紫色の空の下で影絵のように闇に染まっている。その闇の中で、まるで祭りの日ようにたくさんのランプがらめいていた。その幻想的な風景にアデッサはしばし見とれる。


「行こう、ソイヤ。ちゃんとした生活を取り戻すんだ」


 ソイヤの先導でアデッサは怪しげな裏通りを進んだ。



 ほどなくして、二人は三方を壁に囲まれた路地裏の空き地へといきつく。

 空地の中央では焚火がたかれ、周囲にたたずむ三人の男たちの影を壁へ投げかけていた。


 男たちはアデッサたちの気配に気づくと傍らの武器へ手をかけて立ちあがる。すぐには攻撃せずに、何者かといぶかしげに睨みつけていたが……すぐにその表情が変わった。


「ふぁ! お、オマエは!」


「ひいっ、昼の!」


「やいソイヤ! そ、そいつ『』じゃねぇか! な、なんでそんな奴を連れて来やがった! てめえ、俺たちを殺す気か!」


 どうやらアデッサが何者であるか、調べがついているようだ。


 二人の三下さんしたが腰を抜かしてその場へ座り込んだ。昼間、ダフォディルへ殴りかかったリーダー格の男はひるみながらもその場に立ち、アデッサを睨みつける。潰れた右の拳は粗末なボロ布で首から吊り下げられていた。


「お願いがあって来たのだ」


 アデッサが前へ出ると、リーダー格の男が固唾かたずをのんだ。

 三下どもが距離をとりながらおずおずと立ちあがる。


「これ以上、ソイヤへ関わらないでほしい」


 アデッサが頭をさげた。


 突然の申し出に三下どもは顔を見合わせる。そして、おろおろとリーダーの出方をうかがった。リーダーの男も突然の話に状況を把握できていないようだったが――


「ま、まずは武器だ! 武器を捨てて膝をつきやがれ!」


 と、アデッサに命じた。


 アデッサが言われるままに【王家の剣】を脇へと放り投げ、その場に膝をつく。

 その様子を見て、ようやく三人の顔に余裕が生まれた。


 すると、リーダー格の男はロープをソイヤへ投げ――


「おい、ソイヤ。女を後ろ手でしばれ」


 と、命令する。


 アデッサは一瞬、反撃をしそうになるが、踏みとどまる。いまは黙って命令に従うしかなかった。ソイヤは慣れた手つきでアデッサの両腕を背中で縛り上げる。


 アデッサが縛られると、三人の男たちはゲラゲラと勝ち誇ったかのように笑い声を上げた。


 そして、アデッサを縛り終えたソイヤが――三人の男の横へと歩み寄り、にやりと笑う。


「――ソイヤ!?」


「はははッ、やっと気づいたの!? 俺はずっと笑うのをこらえていたんだぜ、アデッサ」


 ソイヤが声を上げて笑い出す。


「お前たちをどうやって一人ずつここに誘いだそうか悩んでたんだ。まさか自分から来ると言いだすとはね」


 そういいながらソイヤは足下あしもとに転がっている棒きれを拾い上げ、腕を縛られ膝をつくアデッサに近づくと――


 ガツッ!


 と、頬を殴りつけた。


 アデッサがその場へ崩れ落ちる。アデッサの頬に青々としたあざが浮かびあがり、割けた皮膚からは血がしたたった。


「お、おい、ソイヤ!」


 報復を恐れたのか、三下どもが再びあわてた顔をする。


「大丈夫だ、コイツは人間の男を瞬殺することはできないらしい。それに、縛ってしまえば手も足もでないさ」


 ソイヤの言葉を聞き、男たちは再びニヤニヤとした笑顔を取り戻す。


「なら安心だが……コイツは高く売れる。傷を付けるな」


「ふん」


 ソイヤはつまらなそうに鼻を鳴らすと這いつくばっているアデッサの背に足を乗せ、体重をかけた。アデッサが小さくうめき声を上げる。


「俺とコイツらは元々売人仲間だ。昼間は取り分のことでちょっとめてただけだよ」


 ソイヤは二度ほど、アデッサを足で小突いた。


「さて、『アデッサさん』にはこれからクスリを飲んでガッポリ稼いでもらわないとね。ははは! 一国の王女、魔王を討伐した勇者様を抱けるんだ、貴族どもが金をガッポリ持って行列を作るぜ!」


 四人の笑い声が空地に響く。


「なあ、アデッサ。アンタがいうとおり、これでセコイ商売から足を洗って贅沢ができそうだ」


「おい、暴れたら面倒だ。サッサとコイツにクスリを飲ませな。たっぷり教え込んでやれ!」


 男たちがアデッサを押さえこむ。


 ソイヤが【賢者の麻薬】をポケットから取り出した。


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