第6話 コーヒーをブラックで飲むか、ミルクと砂糖を入れるか。
中年男性は、俺たちの視線に気づいたのか、こちらを見ると軽く会釈をした。俺たちも、それにつられて会釈をした。すると、男性はこちらに来て、少しだけ時間をくれないかと言う。じろじろと見ていたのがよくなかったのだろうか。俺は、中村の方に目配せをして逃げようと合図を送ったが、逆に中村は男性の方に近寄って行った。
「もちろんです。むしろお話をさせていただけるなんて、光栄です」
中村が興奮した面持ちで快諾をしたために、俺たちは近くの喫茶店で話をすることになった。いかにも昭和の純喫茶といった趣の内装で、クラッシック音楽が流れていた。俺たちは、革張りのソファーに男性と向き合って座った。
「コーヒーでいいかな」
中村が、もちろんですと答えたので、男がスペシャルコーヒーを三つ頼んだ。
「ごめんね。急に付き合わせちゃって。この店は、あおぞら商店街に来た時には必ず寄ることにしているんだよ。マスターが、丹精込めて淹れるスペシャルコーヒーは格別なんだ」
俺は、中村を横目で見ると、なんだかもごもごしている。
「そうだそうだ。まだ自己紹介もしていなかったね。君の方は僕のことを知っているようだけど」
男は中村を見ながら言った。
「松永亮二と言います」
そう言いながら、松永は名刺を俺たちに渡した。名刺には「松永亮二、MATSUNAGA代表取締役」と書かれてあった。MATSUNAGAと言えば、確か今話題になっているベンチャー企業じゃないか。
俺は、名刺と男を見比べた。男はにこりと笑って、どうして代表取締役なのに、こんな服装をしているのだと思っているんだろうと言った。
「そうだね。簡単に言えば、楽だからかな。君たちこそ、そんなスーツでいるのは疲れないか」
「でも、ここはそれこそ松永さんのような成功者が来るような場所ですし、スーツを着た方がいいと思って」
中村が、そう言ったところでスペシャルコーヒーを店員が持ってきた。コーヒーの香りが俺たちをふんわりと包んだ。
松永が笑う。
「でもさ、ここは商店街だよ。会社帰りのサラリーマンが家に帰る途中に寄ったのならともかく、君たちは大学生かなんかだろう、わざわざスーツを着込んで八百屋に買いに行くのっておかしくないか。とりあえずコーヒーを飲んで飲んで」
松永はコーヒーカップを手に取り、一口飲んだ。俺はブラックは得意じゃないのだが、ミルクや砂糖を入れると軽く見られそうだったので、そのまま飲んだ。苦いというのが正直な感想だった。
「別にブラックで飲めなんて強要しているわけじゃないんだからさ。コーヒーなんて自分が好きなように飲めばいいんだ。僕はブラックが好きなだけで、君は苦手ってだけだろう」
松永はミルクと砂糖が入っている陶器を僕に差し出した。
「話は戻るけれど、ここにスーツを着込んでくる人って実は多いんだ。何を隠そう、僕も初めての時はスーツだった」
「でも、どうしてスーツをやめたんですか」
中村がコーヒーカップを片手に質問をする。
「そうだな。勘違いをしていたことに気づいたからじゃないかな。成功者が訪れる場所だと言われているけど、あくまでも商店街だということに」
松永は、そう言うと実にうまそうにブラックコーヒーを飲んだ。
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