2-6

 静けさが包む夜の街。

 人気のない通りを走る、いくつもの足。

 城門が開かれ、そこから何人もの兵士が走り出てくる。

 向かう先には黒い影。

 城内より逃げ出たアルフォンスが、脇目も降らずかけていく。


 右へ左へ。

 裏から表、表から裏へ。

 何度も何度も道を変え、追手たちを巻いていく。

 負けじと兵士たち、アルフォンスの後に続いていく。


 しかし、闇夜に溶け込む彼の背中は、すぐに見えなくなってしまった。


 遠くに聞こえる、兵士たちの声と足音。

 建物の影でそれを聞きながら、アルフォンスは足音忍ばせ、歩いていく。


 そこは、街の裏通り。


 一件の建物の前。

 古びた鍵を開けて、中に入る。

 虫食った廊下を進み、二階へと上がる。

 腐食し穴の開いた天井から、夜空に輝く星々が、彼と部屋を見下ろしている。


 部屋にあるのはごく限られたものだけである。

 寝袋にランタン。

 道具とナイフをしまう背負い鞄。

 数日分の食料。


 生活する上で必要最低限なものしか部屋にはない。

 飾りっ気のないどころではない、

 人の気配がわずかにある程度で、彼がいなければ、およそ人が暮らしているとは思われない。


 寝袋に腰を下ろす。

 そばに置いた酒瓶を取り、ぐいとあおる。

 ラムのきつい匂いが鼻を抜け、食道を焼く。

 酩酊には程遠い。

 戦の興奮は、早々に頭から抜け出てくれない。


「一筋縄には、いかないか」


 アルフォンスは、1人呟く。

 わかっていたとは言え、やはりギルモアは強い。

 だてに、魔王と渡り合っていた人間じゃない。

 一年近く戦がないため、少しは腕が鈍っているのではないかと期待はしたが。

 

 酒を飲みながら、取り出したのは塗り薬。

 手に頬に、兵士とギルモアによってつけられた傷がある。

 人差し指で緑色の粘液をすくいとる。

 体についた赤い筋に、塗っていく。


 肉に染み、痛む。

 反射的に表情を歪めるが、これも慣れたものだ。

 ふと壁に目をやった時だ。

 

 そこに、一枚の紙が画鋲で留められていた。

 

『仕事が終わりに、廃教会へ顔を出せ。 E.H』


 エドガーからの招集だろう。

 アルフォンスは紙を引き剥がすと、マッチをすって炎を灯す。

 灰になった紙を足で踏みつぶして、火種が燃え広がらないよう注意する。

 

 薬を塗り終えると、袋に薬をしまい窓から外に出た。


 屋根伝いに進んでいくと、尖塔が見えてくる。

 管理主の消えた、荒れ教会。

 祭壇に飾られた神の像も。

 美しいと褒め称えられたステンドグラスも過去の幻影。

 見る影もなく、朽ちるのを待つばかりである。


 レンガの外壁をよじ登り、鐘つき台から中に入る。

 螺旋状になった階段。

 降りた先のドア、そこを潜って地下へと続く階段を降りる。


 ホコリ臭い地下。

 壁には燭台がかけられ、点々と炎が灯されている。

 蜘蛛の巣がはられたワイン棚。

 転がった酒樽を避けて、奥の大扉を開いた。


 古びた教会の中に似合わない、真新しい長テーブル。 

 テーブルには白いテーブルクロスが敷かれ、その上に燭台が並んでいる。

 両脇には椅子が並んでいるが空席はない。

 いずれも仮面をつけた紳士淑女が座っている。


「やぁ、待っていたよ」


 長テーブルの最奥に座る男。

 彼もまた仮面をつけてはいたが、その声から誰かは想像がついた。

 アルフォンスの前だからと、仮面の男は臆せず仮面を外す。

 仮面の下から出てきたのは、エドガーの顔だ。


「よろしいのですか」


 側に座る男が、エドガーを見る。

 

「いい。奴は私の顔馴染みだ」


 軽く男の心配をいなすと、エドガーはアルフォンスの顔を見る。


「勇者と一戦交えたそうだな。知り合いから聞いたぞ」


「申し訳ありません。奴の命、奪うことかないませんでした」


「謝る必要はないさ。こちらとしても、そう上手くことが運ぶとは、思っていなかったからね」


 それに、とエドガーは集まった面々の顔をそれぞれ見渡す。


「むしろ皆に君の実力を紹介できたから、御の字だよ」


「ご覧になっていたのですか」


「他人の目と耳を介して、だがね」


 エドガーの視線に応えるように、彼ら彼女らは首肯する。


「残念なことに、君の実力を疑う輩も中にはいてね。一度君の実力を見させる必要があったんだ。ああ、彼らを責めないでくれよ。何せ君の働きを知らなかったんだからね」


「責めるつもりはありません」


「それはよかった。ありがとう」


 両手をぽんと打つと、手のひらの中で空気を揉む。


「今日の働き。というか。君の真の実力だね。それを彼らに見せられただけ、は私たちも満足のいくものだったよ」


「そうですか」


「引き続き、勇者殺しに専念してくれ。私たちは、いつも君をみているよ」


「……話は、これだけでしょうか」


「ああ。君の顔を彼らに見せたかっただけなんだ。悪かったね。急に呼び出したりして」


「いえ。それでは、自分はこれで」


「よかったら、一杯飲んでいくかい?」


 空いたグラスを傾けて、エドガーが笑う。


「いえ、結構です」


 アルフォンスはさっと踵を返して、怪しげな集会を後にする。





「素っ気ないな、相変わらず」


 グラスをテーブルに置いて、エドガーは肩をすくめる。

 

「よろしかったのですか、あの男をここに招いてしまって」


 側の男が言う。


「何、構いはしないさ。奴の口は硬い。そうそう秘密を漏らす事はない」


「ですが、万が一にも奴が口を開くようなことがあれば」


「そんな軽率な事はしないさ。お前は心配がすぎるぞ」


「……申し訳ありません」


 男は頭を下げる。

 エドガーはため息をつくと、ワインをグラスに注ぎ入れる。


「それで、あの件はどの程度まで進んでおられるのですか」


 仮面の女が、おずおずと尋ねる。


「ああ、順調そのものだ。このままいけば、近いうちに臨床実験にとりかかれるだろう」


 ざわめきが聞こえる。

 エドガーの言葉に、彼らは皆笑みを浮かべた。


「いよいよですね」


 小柄の男が言う。


「ああ。全くだ。だから、その祝いに君らにみてもらいたいものがある。


 エドガーが指を鳴らす。

 すると、別の部屋から給餌服の男が、ワゴンを引いて現れた。

 ワゴンの上には何かが乗っており、布が被され隠されている。


 給餌の男は、それをテーブルの上に置く。

 衆目が集まる中、エドガーは布を掴んで、引き剥がす。


 息を飲む音が聞こえた。

 布の下にあったのは、黒い首。

 鋭い牙。額から突き出たの角。

 この世の悪をこれでもかと詰め込んだような、見るだけで怖気の走るその首。


 魔王の首である。


「あと少しの辛抱だ。あと少しで、この世界は私たちのものになる」


 エドガーがグラスを掲げる。

 すると彼ら彼女らも続いてグラスを掲げる。


「皆の協力と、未来の繁栄に向けて。今一度、結束を高め合おうじゃないか」


 乾杯。乾杯。乾杯。 

 聞きとした乾杯の合唱。 

 グラスに入った赤い酒。

 怪しく輝く美酒を、彼らは一様に傾けた。

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