15話 わたくしの泣き顔

 「…カノ?…どうかした?…やはり…前世と同じ呼び方は、カノンにとっては…のかな?…もしかして、僕にそう呼ばれるのが…嫌だった?」


トキ様から、唐突にそう話し掛けられまして、彼がどうしてそんなことを言い出されたのか、全く見当がつきません。トキ様はとても悲しそうなお顔をされ、わたくしの方を見つめて来られます。わたくしはただ首を傾げては、何を言い出されたのか分からない、という顔で返したのですが。するとトキ様の手が伸びて来て、わたくしの頬に当たりまして。要するに、彼は…わたくしの頬を、ぬぐうようにされたのです。わたくしは、何をされたのかも分からないという顔で、目を見開いて彼を見つめ返し…。


頬を拭うようにされていたトキ様が、苦笑しながらも話し掛けて来られて。

「……涙だよ。君は…泣いているのに、気付いていないんだね?」と。わたくしはそこで、やっと理解が追いついて来て。それでも一瞬、何を言われたのかを、理解出来ずにいたのです。漸く自分がハラハラと涙を流し続けていることに、気が付いた次第でして。…ああ。わたくしは…泣いておりましたのね?


未だトキ様に涙を拭われており、わたくしはハッと致しまして、自分の懐からハンカチを取り出し、涙をハンカチで拭いております。一体…どうしたことでしょう?

わたくしの意志に反しまして、涙は…中々止まろうとしませんのよ。トキ様にこれ以上、勘違いされたままなのは…嫌ですのに。わたくしは目頭をハンカチで押さえながら、トキ様の問いに答えようとしたのですが。


 「…い、嫌では…ないの…です。…特に…あ、あの呼び方が…特別とか…では、ない…のです。…ただ…な、何だか…とても…懐かしく…思ったら、…つい…気が緩んで……。も、物凄く…う、嬉しくて………。ですから………。」

 「……もう、いいよ。それ以上…話さなくても、カノの気持ちが…十分に伝わって来たよ。まだ泣き足りないのならば、思い切り泣けば良い。僕で良ければ…いつでも胸を貸すからね?」


涙が止まらないせいか、話し方が途切れ途切れになってしまいましたわ…。

然も…しゃっくりが止まらないような感じで、ひっく、ぐすっと泣きながら話しておりまして、自分でも何をお話しているのか、分からなくなりそうで。

それでもトキ様は、きちんとわたくしの言葉を拾ってくださり、聞いていてくださいましたのよ。そして、突然にわたくしは、トキ様に抱き締められるような恰好になりまして、物凄く驚きましたわ。


トキ様はわたくしを包み込むようにして、わたくしの身体はすっぽり抱き締められましたのよ。わたくしは一瞬、心臓が止まるかと思いましたのよ。

トキ様でしたら…こういう何気ない行動でも、わたくしを殺せそうですわね?

そして、耳元で彼がわたくしに囁かれた言葉に、わたくしは一層涙を誘われたのでしたわ。実に…既にこの年齢から、女性の扱いが…お上手ですこと…。


大人の女性でしたら、この一言でかもしれません。

まだわたくしは5歳の子供ですし、恋というものがどういうものなのかを、よく分かっておりません。それでも…5歳と言えども、惚れてしまいそうな言動なのですが…。前世の記憶持ちのわたくしでしたから、何とか態勢を持ち直しましたのよ。

…危ない、危ない。半分は政略結婚、残り半分は…トキ様の同情なのですもの。

魚心あれば水心だとしましても、恋愛かどうかはまだ早すぎますし、トキ様の足元を見るようなことは、絶対にしたくありませんわ。


あれこれ考えておりますうちに、漸く涙が止まりましたわ。お蔭で、目が真っ赤に腫れぼったくなっておりますわ。はっきり言いまして…不細工過ぎますわね…。

このようなお顔をトキ様に見られたくなくて、彼から身体を離して、クルリと身体を反転させ、彼に背を向けたのですのよ。失礼な行動ではございますが、婚約者様に不細工顔をお見せする訳にも参りませんのよ。ただ単に、わたくしが…なのですが。


案外とトキ様は…天然タラシ、ということなのでしょうか?…それとも、やってみえるのかしら?…立場上、腹黒なおかたであってもおかしくないのですけれど。まあ…どちらにせよ、今のわたくしには…恋という意味では、まだ…自覚してはおりません。ですから純粋に、彼の優しさには十分に感謝しておりますわ。






    ****************************






 「……カノ。どうして…向こうを向くのかな?…僕が寂しいくなるから、こっちを向いて欲しいんだけど。それとも…何か怒っているの?…そう理由ならば…謝るから、こっちを向いて欲しい。…カノ…駄目なのかな?」

 「………。別に、何も怒っておりません。ただ単に、お顔を見られたくないのですわ。泣き過ぎてしまった所為で、今のわたくしの顔は…誰にも見せられない状態なのです。」

 「どうして?…カノは…泣いていても可愛いよ?…勿論…泣いた後の顔も、可愛いと思う。今は…他には誰もいないし、こっちを向いてくれないかな?…、そういうカノの顔も…見せて欲しいな?」

 「………。ダメですわ!…今のわたくしは…不細工なのですもの!…泣き過ぎた所為で、目が腫れていて…お化けのような顔なのです!」

 「…お化け?…お化けというものが、何だかよく分からないけど…。カノならばどんなカノでも、例えそのお化けとかでも、カノが可愛くない訳がない!…ねえ、カノ。こっち向いてくれないかな?」

 「………。」


わたくしがトキ様から離れて、彼に背を向けてしまった途端に、彼から甘えるような声で振り向くように、声を掛け続けられておりますのよ。……ううっ。今日のトキ様って、何とも…甘い雰囲気を、醸し出されておられまして…。とてもではありませんが、7歳のお子様には…見えませんわ…。然も…先程、わたくしから許可を得たばかりの『カノ』呼び。…ですわよね?!


トキ様があの手この手を使っては、わたくしに振り返るように仰られるのです。

このようにしてわたくしと彼との攻防は、暫く続いておりました。いくらお化けの意味が分からないとは言え、わたくしがどんな顔でもとか、お化けでも可愛いとか言われてしまいましては、嘘も方便としか思えませんわ。特にトキ様は、わたくしには甘いところがおありですのよ。わたくしが拗ねているとでも、思っておられるのかもしれませんが。機嫌を直してほしくて、言われただけだと思いましてよ。


わたくしは完全に油断しておりましたのよ。まさか…わたくしの向いた側に、回って来られるとは。…油断しておりましたわ。わたくしが気が付いた時には…既に遅く、満面の笑顔のトキ様が、目の前に立っておられたのですもの。…ああ。もう、トキ様のバカ!…口には決して出せないセリフを、心の中で唱えているわたくし。嫌だと言いましたのに…。その笑顔は…何でしょうね?…わたくしの顔が不細工で面白い、という意味でしたら、トキ様のことを嫌いになりますわよ!


 「…なぁんだ。カノは自分の泣いた顔を不細工だと言うけれど、ちっとも不細工なんかじゃない。やっぱり君の顔は、泣いた後も可愛いよね?…ふふふ。お化けとは…そういう可愛い顔のことを、言うのかな?…カノの言い方だと、見られないような醜いもの、という意味がしたけど。こんなにも君の顔は可愛いのに、どうして隠す必要があったの?…ふふふ。僕の婚約者は…世界一可愛いのに。」

 「 ……っ!…………。」


わたくしの目が腫れた顔は、トキ様に…しっかり見られてしまいましたわ。

目が腫れた顔にプラスして、驚いてギョッとした顔となり、きっと…酷い顔になっておりますわね…。それにも拘らず、トキ様は嬉しそうにされており、さらにとんでもない言葉を…口走られまして…。泣いたわたくしも可愛いと、べた褒めなのですわ。え~と、前々から思っておりましたけれども、トキ様の美的感覚は…少々ズレておいでなのでしょうか?…それとも、単に視力が悪いだけ?

べた褒めされたわたくしの方が、困惑してしまいますわ。世界一可愛いとか…言われ慣れておりませんのよ。…あれっ?…でも…………。


見られてしまったものは仕方がありません。わたしくは開き直りまして、お化けの正しい知識をお教え致しましたのよ。トキ様はうんうんと、面白そうに聞かれておられ、わたくしが説明し終わりますと、暫く考え込むようにされておられます。


この国には幽霊という言葉もなく、少なくとも死者が蘇るという考え自体が、ないようでした。亡くなった人間が生き返れば、奇跡が起こったと神様に感謝を致しますし、亡霊のような姿で現れれば、何か伝えたいことがあったのだと、神様の力で一時的に蘇って来た、という考え方をするようでした。悪霊=幽霊やお化けではなくて、悪霊になるには訳がある、という考えの様ですわね。要するに、この国ではお化けも怖くない存在なのですね?…まあ、悪霊という言葉もない様ですが。


勿論、超常現象でも起これば、全て神様の仕業ということになるのでしょう。

この世界での神様は、例え国が異なっても、良いことも悪いことも神様次第と考えられているみたいですわ。良いことが起これば、人間への神様からのご褒美と考えられ、悪いことが起これば、人間への神様からの試練となるのです。


全て神様の所為にするのは、原始的な考え方ではありますが、前世より白黒がはっきりしている分、逆に分かりやすくて良いかもしれませんわね?

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る