14話 前世での呼び名

 「要するに、カノンは……前世でもカノンという、いや…今のは愛称だから、え~と…『カノン』という名前だった、と…いうことなのかい?」

 「はい。そうなのですわ。正確に言いますと、『カノン』が前世では正式な名前でしたの。名前でもあり愛称でもありました。わたくしも以前から夢を見る度に、不思議には思っておりましたけれど、名前の読みが同じでしたの。ただ…前世の世界の言語は発音が同じでも、この世界とは筆記が全く違いますので、同じようで異なっておりますわ。」


トキ様に、わたくしの夢を詳しくお話致しますと、わたくしの名前について聞かれましたわ。わたくしの名前の発音が同じでしたので、気になられたのでしょうね。

あまりにも、トキ様が気にされておられましたので、わたくしの漢字での名前を、お教え致しましたのよ。「(日本語では、)こういう字を書きますのよ。」と。


わたくしの前世の名前は『乃木 花南音のぎ かのん』と申しまして、乃木家の一人娘でした。

乃木家は、明治時代では華族の家柄に属しておりまして、その頃から子供に関する商品を扱う会社を、経営しておりましたようですわ。父はその家の跡継ぎとして生まれ、母と恋愛結婚を致しまして、わたくしが生まれた、ということでしたの。


しかし、わたくしの母はとても身体の弱いお方でしたので、出産を機にドンドンと身体の調子を崩すことが多くなり、ついにはわたくしが6歳の時に…、亡くなられるのです。未だに…その辺りはよく覚えておりませんが、何故か…何となく分かってしまうのです。従姉妹いとこ杏里紗ありさちゃんを、思い出したからでしょうか?

彼女は母の姉の子供でして、母とも血の繋がりがございますし、わたくしにとっても彼女は、姉のような存在でしたので、記憶が繋がっているのかもしれません。


前世の父と母のお名前は…覚えておりません。前世の日本では、親を呼び捨てにする習慣がありませんでしたから、別に問題はございませんが。親の名前を憶えていたところで、前世の知り合いが全員…転生していないでしょうし、お互いに覚えているとは限りません。運よく同じ世界に転生しましたところで、この世界で知り合えるかも…分かりませんわね。


今のところ、杏里紗ちゃんについても、苗字は思い出せません。伯母さまも他家へ嫁がれていた筈ですから、『乃木』ではなかったと思われます。以前に読んでみたお話には、「一気に記憶が流れて来る」と記載されていた気が致します。

わたくしのようにとは、どういう意味があるのでしょうね?


この世界にも物語風のお話はございますし、前世の日本ではもっと、色々な物語が有り触れておりましたわ。5~6歳の子供が読む本は絵本だけ、と思われることでしょうが、わたくしは…父が所蔵していた、経営関連の難しい本を好んで読んでおりました。何しろ、わたくしは一人娘でしたもの。乃木家を継ぐのは、他ならぬ…わたくしだけ。婿を取りましても、乃木家を継ぐことにものね。

少しでも早く父の跡を継ぐつもりで、お勉強をしておりましたのよ。父や父の秘書だった人など大人の方々に、教わって。…この頃から、1日も早く大人になろうと努力していたのです。


母の生死が危ういということを、何となく子供ながらに…感じていたのですわ。

お父さまをお助けするのは、わたくししかいないのだと、幼いながらに思っていましたのよ。今のわたくしも同じくらいの年齢ですが、以前にも増して…今世のわたくしは、になっておりますわ。


ただ…この世界の子供達は元々、前世とは比べ物にならない程、大人びておりますのよ。わたくしだけが特殊ではございませんし、そう目立つことはない、とは思いわれます。トキ様が非常に大人びてしっかりされておられますから、今のわたくしで丁度お相手が出来ましたわ。そういう意味では…わたくしの前世の記憶も、無駄にはなりませんわね。






    ****************************






 「『花南音』と書いて……『カノン』と読むの? これが…日本語…なの?…前世は…『日本人』だったの?」

 「ええ。その通りですわ。日本語には、平仮名・カタカナ・漢字と種類があるのですわ。そして、これが日本語の漢字というものなのですのよ。」

 「これが…漢字……。これが……なんだね……。」


トキ様に、わたくしの前世の名前をお教え致しますと、わたくしの漢字での名前を見て、何とも言い難いというお顔を、されていらっしゃいまして。…どうかされたのでしょうか?…あまり驚かれていらっしゃらない、雰囲気なのですが…。

それとも、単に…日本語に興味を持たれている、だけなのかしら?…わたくしの名前をジッと見つめていらっしゃる、トキ様。彼の表情からは、特に懐かしいとか思わせるものはなく、わたくしの思い過ごしなのかしら?


 「カノンの従姉いとこの『杏里紗』さんという人は、カノンにとって…とても大事な人だったんだね?気の置けない雰囲気が…伝わって来たよ。前世では、杏里紗さんには…『カノ』と呼ばれていたんだよね?…僕も…そう呼んでもいいかな?」

 「………えっ!?」


トキ様は先程から、わたくしの前世の名前に拘っていらっしゃいますが、何故にわたくしのことを『カノ』と呼ばれたいのでしょう?…ふとその時、他にも誰かに…そう呼ばれていたような、そのような気がして来まして。…何方どなただったのかしら?


トキ様は時々、わたくし自身に関することとなりますと、変に強引な態度を取られることがございますのよ。この時も…そういう雰囲気でしたわね。わたくしへの愛称ですのに、もうそう呼ぶと決められたみたいでして、わたくしでさえ拒否を許さない、という雰囲気が見られましたわ。要するに、前世の従姉妹同様に、「今世では自分がわたくしを『カノ』と呼びたい。」と同意を求めながらも、「そう呼ぶことに決めたからね。」と、仰っておられる状態なのです。


…まあ、わたくしは別に…異論はございません。前世では、亡くなったお母さまも呼んでくださっていた愛称でもありまして、『カノン』よりも『カノ』の方が愛着を持っておりますのよ。しかしながら、トキ様が…そうお呼びになりたいとは、夢にも思いませんでしたわ。彼には…が、入ってしまったみたいですわね…。単に、前世と今世では愛称呼びの意味合いが、異なっておりますだけですのに、彼には…そう思えなかったご様子でしたわね…。


今世のわたくしの名前は、正式には『カノフィーユ』でして、『カノン』はただの愛称なのです。逆に前世では、『カノン』呼びは…呼び捨てなのですわ。

今のわたくしとしましては、カノンもカノも愛称という感じでして、今世では西洋風な世界ということもプラスされまして、呼び捨てでも当たり前の世界、という雰囲気ですわね。


前世は生粋の日本人でしたから、他人から呼び捨てされることには慣れておらず、呼び捨てはイコール親しい者という感覚でしたけれど、逆に今世では愛称で呼ぶ方が、親しい関係と考えられておりますのよ。親しくなれば親しくなる程、が欲しい、と考えられている部分もございますかしら。トキ様はこの前のお誕生会で、わたくしの正式な婚約者になられたのですし、自分だけの愛称呼びでと考えられるのは、当たり前と言えば…当たり前なのでしょう。


ただ…いつものトキ様であれば、そういう事はあまり気になさらないような、気がしておりましたのに。そう思っておりましたのは、わたくしだけ…だったのかもしれません。現在のわたくしは今のところ、今世のわたくしの方が色濃くなっております所為か、意識も今世の方が勝っておりまして、正直『カノン』と呼ばれましても、呼び捨てにされているという気持ちは、一切ございません。それにトキ様に呼ばれるのならば、寧ろ嬉しいぐらいでしてよ。前世でお母さまや杏里紗ちゃんと同じように呼ばれるのは、みたいな感じ…なのですわ。


 「勿論ですわ。トキ様にそう呼ばれるのは、わたくしも嬉しいのですもの。」

 「…ふふ。カノにそう言ってもらえると、僕も…特別な感じがして嬉しいよ。」

 「 …っ! …」


何故だか……トキ様が、わたくしを『カノ』と呼ばれた瞬間に、わたくしの心臓が止まりそうなぐらいに、特別な感覚が襲って来たのです。まるで…久しぶりに呼ばれたような、懐かしい雰囲気に…急に支配されたのです。ドキリと心臓に針が突き刺さるような痛みが、ドクンドクンと早鐘のように…心臓の動きが早くなり始め、ついになっていた片割れを見つけたが如く、嬉し過ぎて悲鳴を上げているよう感覚を、わたくしは感じておりましたのよ。


わたくしの心臓は、どうしてしまったのでしょう?…久しぶりそう呼ばれて、無意識に嬉しかったとか…。そう呼ばれるお相手が…トキ様だったから?

それとも、何か…別の理由からなのかしら?…それは、どういう理由があるのかしら、と。今振り返りますと、わたくしは不安というよりは、嬉しいと言う気持ちの方が強かったように思います。


しかしながら、この時は…まだよく分からなかったのです。まだ肝心な記憶が、のですから。

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