Winter-04

 1999年8月2日。欧州の航空会社バレーナ社の旅客機が成田空港に墜落した。

事故原因は機械のコントロールトラブル。コントロールを失った機体は着陸寸前に滑走路に墜落。機体は炎上、乗員乗客のほとんどが死亡する大惨事となった。


飛行機には海外公演帰りの沙羅の母、ヴァイオリニストの葉山美琴も乗っていた。不慮の事故で命を奪われた葉山美琴死去のニュースは日本だけでなく世界を悲しみに暮れさせた。


 あの真夏の惨劇から今年で10年……


        *


 今日があの日だと思うと起きるのも億劫になる。命日が“普通の日”になることはない。

何年経っても、大切な人を失った悲しみは癒えない。


 2009年8月2日午前7時。鈍重な動きで沙羅はベッドを降りた。

室内に流れる母のヴァイオリンのメロディ。今朝のチョイスはチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲だ。


(ダルいなぁ……。何もやる気が起きない)


母の命日はいつも体調が優れない。しばらく母のメロディに耳を傾けていた彼女は部屋着に着替えて自室を出た。


『沙羅、おはよー!』


 リビングに入ってきた沙羅に最初に話しかけてきたのは晴だ。リビングには海斗と晴、キッチンには悠真と星夜がいた。


「おはよ。皆、早いね。今日の仕事はお昼からだったよね」

『今日休みになった』


ソファーで漫画を読んでいた海斗が呟いた。沙羅は目を丸くして海斗、晴、キッチンにいる悠真と星夜を順に見る。


「お休み?」

『そうだよ。全員休み。うちのリーダーが頑張ってくれたおかげでね』


 晴が指差した先にはダイニングテーブルに朝食を並べる悠真がいた。沙羅と目が合った悠真がにこりと微笑む。


「今日がお母さんの命日だから……?」

『葉山さんも今年は帰国できないと言っていたからね。命日をひとりで過ごすのは初めてなんだろう?』

『お母さんの命日にひとりなんて悲しいからな。俺だって母さんの命日ひとりで迎えろってなったらキツいよ』


悠真が答え、星夜は沙羅の頭をポンポンと撫でる。普段は意識しないが星夜も母親を亡くしている。沙羅と同じだ。


『今年はお父さんの代わりに俺達が沙羅と一緒に居てやれたらと思って』

『……墓参り、一緒に行っていいか?』


沙羅の周りに晴と海斗も集まり、四人に囲まれた沙羅の瞳にはじわりと涙が滲んでいた。


『あーっ! 誰だよ沙羅泣かせたのっ!』

『星夜がセクハラするからじゃねぇの?』


 涙を流す沙羅を抱きしめたのは星夜。それを見た悠真と海斗は兄弟同じ顔で眉間にシワを寄せ、晴が茶化す。


『俺はまだ何もしてねぇよ!』

『まだってなんだ。どさくさに紛れて抱き締めるな』


沙羅の肩が背後に引かれて今度の行き場は海斗の腕の中。沙羅の頬をむにゅっとつまんだ海斗の表情は子どもみたいに意地悪なのに、優しい瞳をしていた。


『チビスケ。いつまでも泣いてたら目が腫れて出掛けられなくなるぞ』

「チビスケじゃないもんっ!」


一応、身長は155㎝はある。四人が大きすぎるのだ。


『海斗だってどさくさ紛れに沙羅に触れてんじゃん!』

『俺はいいの』

『はいはい、沙羅の取り合いはそこまで。まずは朝飯だ。その後に皆で美琴さんの墓参りに行こう。今日は俺達は沙羅の側にずっといるからね。沙羅をひとりにはしないよ』


星夜と海斗の言い合いを打ち切った悠真の言葉にまた涙腺が緩んだ。


「皆……ありがとう」


 四人の気持ちが嬉しかった。今年はひとりぼっちだと思っていた母の命日は賑やかな朝食で幕を開けた。


        *


 葉山美琴が埋葬された墓は港区の青山霊園にある。葉山本家とは別にして行成が美琴のために作った墓だ。


 青山霊園へは渋谷駅から二駅で行ける外苑前駅で降り、徒歩7分。霊園内の小道を歩いて五人はそこに辿り着いた。


「お母さん。今年はお父さんが来れなくてごめんね。忙しくてどうしても帰国できなかったんだ。でも誰よりも今日ここに来たかったのはお父さんだよね」


白いマーガレットとカスミソウで作った花束を生ける。マーガレットは美琴が好きだった花だ。


「だから今日はとっても素敵な人達が来てくれたよ。この人達がいるから私はひとりぼっちじゃないの。お母さんが死んじゃって、お父さんが仕事でいなくて、いつもひとりだった。でも……今はひとりじゃないよ」


 墓の前で美琴に語りかける沙羅の側には四人がいて、四人は美琴の墓に手を合わせていた。

沙羅の隣に悠真がしゃがむ。彼は線香を備えて墓石を見上げた。


『美琴さん。お久しぶりです。高園悠真です』

「……久しぶりって?」


沙羅の問いかけに悠真は答えない。彼は沙羅を優しく一瞥してからまた墓に語りかけた。


『美琴さんもご存知のように僕達四人は沙羅さんと一緒に暮らしています。沙羅さんは明るくて優しくて、彼女のピアノを聴くと心が安らいで温かな気持ちになります。疲れて帰ってきても沙羅さんの笑顔を見ると元気になれます』


 悠真の一言一言が柔らかな口調で紡がれる。沙羅の左隣に悠真が、右隣には海斗がしゃがんでいた。晴と星夜の気配も後ろに感じる。


『沙羅さんにはいつも沢山のかけがえのない物を貰っています。返しても返しきれないくらいに沢山の気持ちを……。僕達が沙羅さんにできることは沙羅さんをひとりにはしないこと。……今度は僕達が沙羅さんを守っていきます』


 悠真の言葉と右隣に感じる海斗のぬくもり、後ろを振り返れば晴と星夜の笑顔があって。

皆の想いが沙羅の心にみてゆく。


幸せだった。もうひとりぼっちじゃない。

皆がいるから……。


        *


 美琴の墓参りを終えた五人は南青山のイタリアレストランでランチタイムを過ごした。ランチの最中も沙羅は悠真が美琴の墓に向けて言った一言が頭から離れない。


 ――“お久しぶりです”――


 悠真と母が知り合いだったとは父からも悠真からも聞いていない。けれど母のヴァイオリン教室でピアノの連弾をして遊んでいた“カイくん”が海斗だとすれば、同じ場所に兄の悠真がいても不思議ではない。

確かにあの場所にはもうひとり男の子がいた。


 ――“ゆうくんの音は水色だね”――


 ふいに心によぎる少女の声にドキッとする。

大学で友達が話していた初恋の話。あの時も心の中にはヴァイオリンのメロディが流れていた。

透明に近い、澄んだ水色の音色。悠真が奏でるギターの音色を初めて聴いた時にも見えた澄んだ水色。


(私の初恋ってまさか……)

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