Winter-03

7月23日(Thu)


 海の日も過ぎて夏真っ盛りのこの頃、悠真はスタジオに籠って秋にリリース予定の新曲制作に精進していた。


8月には沙羅も含めた五人で星夜の兄の純夜に会いに二泊三日の岡山旅行に出掛ける。8月の旅行までしばらくはまとまった休みはない。

怒涛の仕事浸けで昼夜問わずスタジオに籠る悠真には夏の暑さを感じている暇もなかった。


 スタジオにいるのは悠真と晴の二人。海斗と星夜は今日もボイストレーニングだ。

新曲のコード進行がどうにも上手くいかない。ギターとピアノの両方でコード進行を作っていた悠真はギターを手放して鍵盤に向かった。


『……ハァ』


悠真の口から漏れた溜息は曲が浮かばないイライラのせいか、仕事疲れか。スタジオの片隅で筋トレをしていた晴が顔を上げた。


『最近仕事し過ぎじゃねぇの?』

『岡山行くためにかなりスケジュール詰めてるからな。仕方ない』

『けどお前以外はそれなりに休みもらえてるぜ? 昼も夜も働き詰めなのは悠真だけだ』


晴は額に浮かぶ汗をタオルで拭い、ピアノ横の椅子に座った。


『リーダーには色々あるんだよ』

『色々ね。お前が裏でコソコソ何やってるのか、秘密主義の悠真さまを問い詰めたって無駄なのはよぉーくわかってますヨ』


 晴の勘の良さは野生動物並みだ。彼は最近の悠真の言動に何かしらの違和感を抱いていた。


『……もう少し待ってくれ。時期が来たら話す』

『りょーかい。悠真は秘密主義だけど約束は守る奴だ。気長に待ってるさ』


中学時代から共に過ごす晴とは言葉少なげでも気持ちが通じ合う。

再び筋トレに励む晴と鍵盤で曲を作る悠真。同じ部屋で別々の作業をしていても気が楽だった。


 スタジオの扉が開いてマネージャーの不破が悠真を呼んだ。社長からの呼び出しだ。

不破と連れ立って事務所最上階の社長室に向かう。ダンディズムの塊のような容姿の吉岡繁が社長席に尊大に座っていた。


『曲作りは順調か?』

『まあまあですね』

『そう言う時は上手くいっていない時だな』


吉岡はかつては演劇界のスターだった。悠真は彼がまだ俳優、吉岡繁だった頃からこの男を知っている。

それはつまり吉岡社長は悠真の幼少期を知っているということ。蓮しかり、吉岡社長しかり、幼少期を知られている人間にポーカーフェイスを決め込んでも見抜かれてしまう。


『12月25日と26日の2日間、場所は日本武道館』

『25日……ですか』

『お前の誕生日だ。素敵なバースデープレゼントになりそうだな。9月にメディア発表、ファンクラブ立ち上げは10月、ファンクラブ先行でチケット販売開始。詳しい日程は決まり次第お前のパソコンに送る』


社長の言葉を頭の中で反芻する。当日が12月25日ならあと半年もない。


『9月にメディア発表なら三人にはいつ話すんですか?』

『三人にも相応の心構えをしてもらいたい。8月中にお前から話してくれ。タイミングは任せる。それと結城家とは話がついてるから心配いらないと星夜に伝えておくように』

『星夜の親父さんがよく承諾しましたね』

『利害の一致と言ったところだ。これもビジネスだよ。お前ならわかるだろ?』


 上品ぶったタヌキ野郎と心の中で毒気づく。星夜の父親を納得させるためにどんな手を使ったのか大方の予想はつく。

所詮は金と人脈だろう。服飾業界のYUUKIインターナショナルグループとしても芸能界との繋がりは喉から手が出るほど欲しいものだ。


『そうそう、岡山の土産はやっぱりきびたんごかな。不破くんも悠真達にお土産頼んじゃいなよ』

『いや、僕は……』


 突如、社長に話を振られた不破は困惑気味だ。社長のテンションの落差には誰もついていけない。


『話が終わったならスタジオに戻ります』

『……悠真』


踵を返そうとした悠真は足を止めた。舞台畑で磨かれたよく通るテノールの声は旅行の土産をねだっていた時のものとは明らかに違う。

ここぞと言う時に発声を変えるのが吉岡の武器だ。


『岡山旅行、充分に注意して行きなさい』

『注意……とは?』


 吉岡の真意を探ろうと試みても悠真以上にポーカーフェイスな吉岡の腹の底は見えない。


『世間に顔を晒してはいなくとも君達が芸能人であることは忘れないように。女絡みのゴタゴタはタブーだよ。わかったね?』


女絡みのゴタゴタと指摘されてひやりとした。それは沙羅を意味している?


『旅行先で美しい女性と一夜のロマンスなんて、そんな素敵なことはしないようにね。僕は君が一番心配だなぁ。ほら、君が高校生の時もさぁ……』

『……残念ながら俺達も盛りのついた時期は過ぎましたから、軽率な行動はしませんよ。失礼します』


沙羅との関係を指摘されたのかと思って焦った自分が馬鹿馬鹿しい。それに高校時代の悪行を今さら蒸し返さないでもらいたい。


『いつまでもガキ扱いすんなっ。んなことわかってるっつーの!』


 社長室を出て人気ひとけのない廊下で独り言を吐き捨てた悠真は拳を壁に叩きつけた。


「あなたが感情剥き出しになるところ、初めて見た」


 誰もいないと思っていた廊下に響いた女性の声。数メートル先の背の高い観葉植物の向こうにスラリと細長く伸びた脚が見えた。

その脚が一歩前に出て、観葉植物で遮られていた姿が悠真の目の前に現れる。


『本庄さん……いたんですか』

「つい今しがた。あなたの手はギタリストの手なのよ。大事にして」


ヒールを鳴らして歩いてくる女は事務所の看板女優の本庄玲夏。


『社長に会うといつもイラッとくるんですよね』

「社長は人を苛つかせる天才だもの。……最近は忙しそうね」

『本庄さんほどじゃありません。再来年公開の映画の主演、決まったって聞きました』

「色々と大変だったけどお陰様でね」


 先月に本庄玲夏の身に起きた事件は悠真も周知だ。玲夏の主演ドラマのロケ中に殺人事件が起き、ドラマに出演していた玲夏と一ノ瀬蓮も巻き込まれた。

一時は玲夏も蓮も週刊誌に追われていたが事件から1ヶ月が経過して騒動は収束しつつある。

(早河シリーズ第四幕【紫陽花】)


「そっちは武道館に決まったんだって?」

『情報早いですね。俺もさっき聞いたばかりなのに』

「社長に12月の武道館はどう? って聞かれてね。タイミング的にもそろそろだと私も思ったから、いいんじゃないですか? って答えた。あなたのお父様達、emperorが歌っていた時代とは違って今のネット社会では顔を非公開にするのも限界があるのよね」


 1979年のデビューから90年の解散まで一世を風靡したemperorエンペラーは伝説のロックバンド。


メンバーは悠真と海斗の父親でボーカルのKEI、一ノ瀬蓮の父親のSATORUはベース、ギターは沙羅の父のYUKINARI、ドラムのTSUKASAの四人。

emperorもメンバー全員が現在のUN-SWAYEDと同じく本名、年齢、素顔を非公開で活動していた。解散後に本名と素顔を公開して音楽活動をしているのは葉山行成ただひとり。


『俺達のインディーズ時代のファンからも事務所に問い合わせがあるって聞きます。俺達の情報は少しずつ外に漏れてきている。この辺りが潮時だとは思ってましたよ』

「夢舞台を前にしてもあまり嬉しそうじゃないのは顔が売れると自由を奪われるからかな?」

『自由と引き換えの夢です。そこは折り合いはつけます』


 吉岡社長の“注意しろ”の苦言には女絡みだけではなく、身辺に注意しろの意味を暗に含んでいる。

先月の晴と律の一件にしても最悪の事態を想定して吉岡が各方面に根回しをしたから事なきを得た。

ここでグループに問題が起きればすべてが白紙に戻る可能性がある。


 バンドを結成した日から願い続けた四人の夢。夢を実現するには越えなくてはならない壁がある。

“覚悟と自由の天秤”は来月発売のセカンドアルバムの裏のテーマでもあった。


悠真だけではない。海斗も星夜も晴もわかっていた。

夢の実現と同時に失う自由があることを。

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