Autumn-09
京王井の頭線の
『晴、今から来るよ』
ベッドで寝そべる律の手にある物は沙羅の携帯電話。沙羅はベッド脇のソファーに縮こまって座っていた。
『晴が来るまで暇潰しに一回ヤっとく?』
「あの……何を……?」
『まさかここがナニする場所か知らないってことはないよな?』
ここがシティホテルやビジネスホテルとは
『どうせ晴や他の三人と毎晩ヤッてんだろ。見かけによらず凄そうだよね。晴達も外で遊べない代わりに家の中でヤリ放題。いい気なもんだ』
「皆とはそんな関係じゃ……」
『昨日は車の中でキスしてたのに? 今日も男に学校まで送ってもらってたよね。あんた筋金入りのお嬢様だもんな。男からオヒメサマ扱いしてもらって嬉しいんだろ?』
ベッドを降りた律がこちらに近付いてきた。ソファーの隅で身を固くする沙羅は胸元に抱えたバッグを強く抱き締める。このバッグは晴からの誕生日プレゼントだ。
ソファーに律の体重が加わった。じりじりと距離を詰める律に対して沙羅ができる防御は律と自分の間をバッグで遮ることだけ。
『四人も相手にしてるなら俺も相手してよ。それとも晴が来てから三人でする?』
「だから……! 皆とはそんな関係じゃないんです!」
律に掴まれた肩は震えている。意外そうに目を見開いた律はうつむく沙羅を見下ろした。
『……まじに経験なし? 大学生で処女?』
大学生で処女の何が悪いのか。律の小馬鹿にする笑いに腹が立つ。恋愛だけが人生のすべてではないのに。
『四人の男と住んでてキス以上が無しって信じられねぇ。普通はヤるだろ』
「律さんの普通はよくわかりませんけど、四人は家族……なんです」
自分の基準を他人に当て嵌めないでもらいたい。律の“普通”はそうかもしれないが、四人の男と同居していても律が想像するような乱れた男女関係にはならない。
「晴とは律さんが想像しているような関係じゃありません。他の人とは……キス……をしたこともあります。でも晴は違います。晴はいつも私を気遣ってくれる、困った時は話を聞いてくれる、あったかい人です」
『……あんた、晴が族に入ってたって知ってる?』
「聞きました。それは律さんを止めるためだって」
『そんなの建前だ。晴は俺と敵対するグループに入ってグループを潰しやがった。アイツはいつもそうだ。俺の邪魔ばかりする』
律の声色に宿った晴への敵意。思春期を共に過ごした晴を彼はなぜ敵視する?
「律さんは晴と友達なんですよね?」
『友達ねぇ。都合のいい言葉だよな。友達だから、友達でいたいから……そんな綺麗事は聞き飽きた』
それからの律との無言の時間の共有は苦痛でしかなかった。律から吐き出される煙草の匂いに目眩がする。
意識が朦朧としかけた沙羅は扉が叩かれた音で覚醒した。
律が開けた扉から現れたのは晴だ。
『よう。会うのは何年ぶり?』
『……由芽が死んだ時以来だな』
『7年振りか。まぁ入れよ。オヒメサマがお待ちかねだ』
部屋に入った晴は一目散に沙羅に駆け寄った。沙羅の小さな身体は晴の両腕に包まれて、律から隠すように覆われた。
『沙羅!』
「晴、ごめんなさい……」
じわりと溢れる沙羅の涙が晴の胸元に染み込んでいく。晴が纏う柑橘系の香りは太陽と同じ匂いがした。
『律に何もされてない?』
「うん……」
『感動の再会か。泣かせるね。お前らそれでヤってないってまじなの?』
閉ざされた扉を背にして律が嘲笑っている。泣きじゃくる沙羅を抱き締める晴は顔だけを律に向けた。
『なんで沙羅を巻き込む? 用があるなら俺だけを呼び出せばいい。沙羅は関係ない』
『その子、晴達と一緒に住んでるんだろ。誰かの女かと思ったけど違うんだな。でもお前らの大事なオヒメサマに変わりはない』
『……用件はなんだ? 沙羅を盗撮して俺を呼びつけて、お前は何がしたい?』
張り詰めた空気に飛び交う冷ややかな二人の声。涙の残る沙羅のぼやけた視界にいるのは陽気な太陽の彼ではない。
『晴はいいよな。そうやって日向の下で生きていられて。UN-SWAYEDがデビューした時、すぐに
LARMEはUN-SWAYEDのインディーズ時代のグループ名。一昨日の夜、沙羅は晴の部屋でLARMEの頃に製作したCDを聴かせてもらった。
今と比べれば演奏技術や海斗の歌声の拙さはあるが、メロディや詞はUN-SWAYEDの根幹と同じだった。
『お前らが住んでるあの金持ち専用のマンションの十五階に週末になると俺のバイト先にピザ注文してくる客がいるんだ。どっかの会社の社長らしいけど、ピザ頼んで毎週ホームパーティー。俺は毎週、その社長の家にピザを届けてた。……4月最後の土曜の夜も俺はあのマンションにピザを届けた。その時、帰って来たお前とすれ違ったんだ』
4月最後の土曜が何日か沙羅は考えた。4月の末は星夜と沙羅の婚約騒動と星夜の脱退騒動があって慌ただしい記憶しかない。
『お前は俺とすれ違っても俺に気付きもしなかった。当たり前に受付の人間に頭下げられて、当たり前にオートロックの内側に入って当たり前にエレベーターに乗っていった。ピザの箱抱えた俺に見向きもしなかったんだ』
マンションのエントランスで宅配ピザ屋の人間とすれ違っても大概気に留めない。それが何年も音沙汰のない知人であったとしても話しかけられなければ気付けないだろう。
『あの時、俺がどれだけみじめだったかわかるか? 俺達は由芽を失った。同じものを失ったのにどうして俺は日陰でお前は日向にいられる? お前だけやりたいことやって成功して俺はバイトで食い繋いで……っ!』
『俺は日向にはいねぇよ。俺の周りが日向にいる奴らだからそう見えるだけだ』
『らしくねぇ謙遜するな。お前は昔から日向にいた。由芽も日陰の俺より日向のお前が好きだった。わかってんだろ? 由芽はお前が好きだったんだ』
明かされた十年越しの真実に晴が動じる気配はない。
由芽を側で見てきた晴と律。いつも一緒にいた二人には彼女の本当の気持ちがわかっていた。由芽が本当は誰が好きか。
『由芽が選んだのは律だろ』
『それは俺を傷付けたくないための由芽の優しさだ。俺を傷付けたくないから付き合ってくれただけだ』
晴は由芽と友達でいたかった。
由芽は律を傷付けたくなかった。
律は由芽が晴を好きだと知りながら告白した。
晴と律と由芽。中学生ゆえの不器用で残酷な選択が当時の彼らの精一杯だった。
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