Autumn-07

 星夜が運転する車は明治通りを池袋方面に進んでいた。朝の混雑を想定して早めに自宅を出たが、この混み具合だと池袋まで30分はかかる。

ドライブのBGMはUN-SWAYEDのファーストアルバムだ。


「晴の中学時代の写真見せてもらったの。由芽さんと律さんと、悠真も写ってた」

『晴も悠真も今とあまり変わってないだろ?』

「うん。それでね、気のせいかもしれないけど由芽さんが美月ちゃんに似てたんだ」


 中学生の由芽の顔立ちはもちろん幼く、大学生の美月しか沙羅は知らない。年齢分の顔つきの差はあっても笑った時の目元や表情の雰囲気が由芽と美月はよく似ていた。


『……沙羅も気付いたか。って言うかあれだけ似てると気付くよな』

「星夜もわかってたんだね」

『俺達全員、初めて美月ちゃんを見た時は驚いたからな。一番びっくりしてたのは晴と悠真だろうけど』


北参道の交差点を直進する。ここから先は新宿の街がある。


「隼人くんは由芽さんのことは知ってるの?」

『隼人は事情全部わかってる。美月ちゃんと由芽ちゃんが似てるのも悠真から聞いて知ってるらしいよ。でもそこで隼人が晴に遠慮して、俺らとの集まりに急に美月ちゃんを連れて行かなくなるのも変だろ? 晴も隼人に遠慮されたら嫌だろうし』

「そういうものなんだね……」


 隼人はどうなんだろう。晴が昔好きだった相手と自分の恋人が似ている事実に不安になったりしないのか。


『晴が美月ちゃんを好きになるかもって思ってる?』

「うーん……。昔好きだった人にそっくりな人がいたら重ねちゃうんじゃないかなぁって」

『確かに美月ちゃんに由芽ちゃんを重ねて見てるとこはあるんじゃないかな。由芽ちゃんとはもう会えないからこそね。だけど俺から見れば、晴は美月ちゃんとはあくまでも友達の彼女として一線置いて接してるよ。晴にとって隼人は友達。隼人を裏切る真似はしないと思う』


 断言する星夜の言葉には晴への信頼が含まれていた。


「男の子の友達関係って羨ましいなぁ。私はそこまで仲良くなれる子が少なかったから……」

『沙羅の友達の話、美月ちゃん以外だと同じ大学の織江おりえちゃんだっけ。その子の話しか聞かないから気にはなってた』

「織江とは中学の吹奏楽部から一緒なんだ。私がピアノで織江がフルート。高校も二人して音楽科のある高校行って、大学も同じ。織江が一番、私の家の事情はわかってくれてるの」


中学の時に友達がいなかった沙羅が初めて友達と呼べた存在が織江だった。


「お父さんもお母さんも音楽の世界にいる人なら皆知ってる有名人だから、そのせいで悪口言われたりもしたんだ。お父さんとお母さんのことは大好きだけど普通の家の子に産まれたかったって中学の時は思ってた」

『子どもの時って少しでも誰かが決めた“普通”と違ってるだけで悪口言われるよな。俺も悪口はしょっちゅうだったよ』

「星夜も悪口言われたことあるの?」

『あるある。双子の純夜の瞳は黒なのに俺は母さんと同じこの色を受け継いじゃったからね。瞳の色が違うだけで異人異人って言われたよ。うっせーよってあえてのフランス語で言い返してたけどな』


 星夜のブルーグレーの瞳は日本の学校では目立つ。大人も子どもも“皆と同じ”が好きな生き物だ。皆と同じを“普通”と呼び、皆と同じで安心する。

少しでも“普通”から外れた異端が排除される傾向はいつの時代も変わらない。


『沙羅も音楽家の親二人だと大変だったな。しかも葉山家のこともあるし』

「そうなの。葉山の家のことは同級生のお母さん達が噂してた。お祖父さんがお金持ちだから苦労もなく音楽させられるお金があるんだね、ピアノが上手いのも音楽家の親の遺伝だからだね、高い授業料の有名な先生に習っているからなんだね、って。……中学の同級生のお母さんに笑ってない笑顔で言われたのを覚えてる」


 子どもは真顔で悪口を吐き、大人は笑顔で悪口を囁く。

沙羅がどれだけ毎日ピアノの練習をしているかなんて知らずに、親の遺伝だから、有名な講師に師事しているからと好き勝手に悪口を言われて悔しかった。


「小学校上がる前から13歳まではアメリカの学校にいたけど、アメリカの方が伸び伸びできたんだ。アメリカは他にも沢山の国の子がいて、音楽の世界に国境はないからアンサンブルを通して仲良くなれた。国籍は関係なかったの」

『その点だと日本はネチネチしてるよねぇ』


アメリカにいた沙羅とフランスにいた星夜。帰国子女の二人にしか共有できない感情だ。


「うん。14歳で日本に戻ってきて日本の中学校に通ってびっくりした。最初は転校生ってだけで近寄ってくるけど、お父さんを通じて芸能人の誰かと知り合いじゃないかって聞いてくる女の子が多くてね」

『うわっ。あわよくば芸能人とお知り合いになりたい作戦がミエミエ』

「だけど織江は違ったんだ。途中から吹奏楽部に入ってきた私を親のこと関係なく受け入れてくれたの。中学で本当に友達って呼べたのは織江だけだった」


 高校では織江の他にも友達ができた。私立の音楽科だから帰国子女も珍しくない。それでも著名な両親を持つ沙羅には当たりが強い同級生は何人もいた。


「だから晴が羨ましくなっちゃった。由芽さんのことで晴が辛い想いをしたのはわかってるよ。でも律さんや由芽さんや悠真と写ってる写真の晴は凄くキラキラしてた」


今でこそ音大生なりの青春を謳歌していても晴のような恋と友情に揺れるキラキラした思春期の思い出を沙羅は持っていない。


「……晴、朝も無理して笑ってたよね」

『晴なりに沙羅に気を遣わせないようにしてたんだ。逆にそれに付き合わせて気を遣わせちまってごめんな』


 30分かけて池袋に到着した。明治通りを離れて大学をぐるりと囲む一方通行の道に入る。星夜は学校の建物を少し過ぎた先で車を停めた。

ここなら教師にも学生にも見られる心配はない。


「送ってくれてありがとね」

『本当は毎日でも送ってあげたいなぁ。ローテーションなのが悲しい』


星夜の唇が沙羅の額に軽く触れる。抱き寄せられた沙羅は彼の腕の中で赤く染まった顔を上げた。


『さーらーちゃーん? おでこにチューじゃ物足りないって顔してる』

「そんな顔してないですっ!」

『嘘つけ。物欲しそうな目してる。海斗とのキスは忘れてそろそろ俺とのキスを思い出そうか』


 自然と目を閉じて受け入れていた星夜の唇。

海斗とのキスは息もできないくらいに荒々しくて、星夜とのキスは息をするのを忘れるくらいに酔わされる。どちらのキスにも甘く狂わされて翻弄される。

いつからこんなにはしたない人間になってしまったの?


 車内に聴こえる吐息の音。沙羅の唇を離れた星夜の唇が彼女の首筋に近付いた。


「そ、それは待って……っ!」

『跡はつけないよ。なぁんか悔しいからちょっと抜け駆けさせて?』


 何が悔しいのかさっぱりわからない沙羅を置いてきぼりにして、彼は沙羅の首筋に口付けを落とした。

首筋へのキスはくすぐったいのに恥ずかしい。鼻先に触れた星夜の柔らかな髪からはフローラルの香りがした。


 一台のバイクが車の横を通り過ぎる。沙羅の首筋に顔を埋めていた星夜は遠ざかるバイクを横目に捉えた。

沙羅は気付いていないようだが、あのバイクは家を出た時からずっと後ろにいた。素性を世間に公表していない現状で週刊誌にマークされる覚えはない。


沙羅とキスをしたのは時間稼ぎの意図もあった。業を煮やしたバイクの主がこの場を去るのを星夜は待っていた。

赤い顔をした沙羅を送り出した星夜は携帯を取り出してメール画面を開く。悠真への報告メールだ。


(俺も純夜がいなければ、ひとりぼっちだったんだろうな)


 純夜と海斗が友達だったから海斗と出会えた。海斗の兄の悠真が音楽をやっていたから星夜も音楽と出会えた。

星夜がUN-SWAYEDのSEIYAの道を選んでいるのは元を辿れば純夜がいたから。


 この世界のどこかに純夜はいる。だから彼は今日も音を奏でる。

消えた兄が、どこかで自分達の歌を聴いていてくれると信じて。

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