7. 結びに燈る

 もしヒトの世に交わることがなければ、いったいどんな生を送っただろう。私はどうして、ユウのそばにいたのだろう。


「君って、どうしてここにいるの?」


 まだ不慣れな呼びかけ。幼さを残す声。あの頃のユウの問いかけに私はなんて答えたのだろう。

(……お話し…してみたかった、の?)

 はじめにあなたと出会って楠の枝が折られ、頭上に広がる青空が消えて、閉塞の中に囚われて。それでも、恐れや不安はあんまりなかった。――嘘。ほんとうは少し怖かった。だけど私たちのことを、私のことを、わかってくれると信じていた。そうだと知っていたような気がした。

 事実、あなたは私の望みを断とうとしたりはしなかった。用意してくれた部屋は狭くてもとても安全で、葉はときどき足りなくなっても充分に運び続けてくれていて、甘いケーキもあって。

 白詰草。

 摘まないであげて、と言ってあげられなかった。ヒトが傲慢にいのちを摘みながら形作る文化を悲しくてもいとしく思う。そうやって手渡そうとするこころを、いとしく思う。おまつり。クリスマス。ましろいシーツ。ずっとむかしに包まれたティッシュのやさしさを思い返している。

 差し入れられる手のいたわり。

 かごのお掃除を終えたあなたは、私が葉を齧るかたわらで確かに――ごめん、と言った。

 それがどういう意図を持つことばだったのか今でもわからないけれど、呟かれる音の繊細なふるえに気づいたら、心地よくて。不思議だった。

(……だから。)

 だから、お話ししてみたいと思っていたの。だからわかってくれるような気がしていた。わかってくれなくても、歩み寄ってくれると信じていた。たとえ罪を犯す身勝手さを持ち合わせていたとしても、あなたは。あなたたちは。“にんげん”は。

 そのやさしい手の使い方を知っている。



 私を抱くナナの肩越しにユウの姿が見えた。駆けつけたばかりの荒い呼吸。彼の眼は真っ直ぐに私をとらえて、それからひどく苦しそうに顔を歪める。呼応するように飛ぶ赤い蝶。

 かなしいような気がした。あなたが傷つくと。知られたくないのも、見られたくないのも、そんな顔をしないでいて欲しかったから。だけど彼がこぼす涙のきらめきに、私の名を呼ぶ声の悲痛に、私のくるしみは一つ一つ癒されていく。

 ナナから彼へ受け渡されるこの身体は息を吐いたら消えてしまいそうなほど淡い。ユウの腕は、かごを設える指と同じようにあたたかかった。確かにぎゅっと抱きしめているはずなのに窮屈にはならない。


「――気づけなくてごめん」


 ねえ、いつか知ってほしいだなんて。貪欲に思い続けていた私さえ、その瞳は見つけてくれたのかしら。

 足元に目醒める白詰草たちが彼の声に耳を傾けるように伸びていく。ユウはその名残に気づいたようで、小さくあたりを見回した。彼の周りの蝶たちもその花の香に安らぐように、静かに翅を休めはじめる。元の色を取り戻してカラフルに、ほのかに光って。

 赦して、くれたの。赦してあげられたの。彼らも――救われなかった私も。


「ユウ」


 やがて幻想がほどけるようにして、誰にともなく花々は端から摘まれ、編まれていく。蝶たちは再び舞い、待っていた。

 ひらひらと、


「私が蝶になる日を」


 ひらひらと、


「夢見てくれた?」


 ひらひらと。


 少年はこの首元に顔を埋め、いちど嗚咽して、それから懸命に、一言だけ答えてくれた。「――うん」


「よかった……」


 編まれた花々が輪になって青く染まる。蝶たちは永いくるしみを忘れてそこへ還っていく。私のいとしい生も、これでおしまい。

 ふわりと身体が解き放たれる感覚がした。環に引かれて、いきた腕ではもう私を捕まえられない。伸ばされる腕を滑るように撫でながら、せめて微笑んでいた。あなたがこの死を悼んで泣いてくれるなら。ともにその瞳に夢を見続けてくれていたのなら、ねえ、ユウ。

 わたしはずっと、あなたの蝶だったわ。

 

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