008 急展開

 翌朝、二〇二四年四月十七日。

 アミが目を覚ますと、コトリンはキッチンで朝食の用意をしていた。


「おはよ、コトリン……」

「ええ、おはよう。アミ……」


 二人の間に気まずい空気が流れる。

 アミはベッドから起き上がると、急いでスーツを着た。


「そこ、座って。今トーストを焼いてるから」

「うん、ありがと」


 ダイニングの椅子に座り、アミはちらりとコトリンを見遣る。一見何事もないように振舞っているコトリンだが、なぜかアミと目を合わせようとしない。

 というのも、昨夜はお互いに変な感情になっていたのもあって、思わず一線を越えてしまったのだ。


 トーストが焼けると、コトリンはそれを皿に乗せてアミの前に運んだ。


「現実のお腹には溜まらないけど、とりあえず空腹感は凌げるわ」

「いただきます」


 アミはこんがりと焼けたトーストを頬張る。


「好みが分からなかったから、とりあえずそれくらいで焼いてみたのだけど。もし嫌だったらそれは私が食べるわ」

「大丈夫、美味しいよ」


 アミが微笑みかけると、コトリンは「そう」と小さく頷いてキッチンに戻る。そして、焼かれていない食パンを一口齧った。


「コトリン、焼かなくていいの?」

「ええ。食べられれば何でもいいわ」


 そう答えたコトリンは、コップに注いだ牛乳で一気に食パンを流し込んだ。


「よし、これでHP回復ね」


 コトリンはアミのアバターとは違い、プレイヤーと同じものだ。その為、視界右上に表示されたHPやMPを常に気にしておく必要がある。


 トーストを食べ終えたアミは、立ち上がってお皿をキッチンに持っていく。


「これ、ここ置いとくね」


 お皿を流しに置き、アミはコトリンの顔を見る。


「……コトリン、あのさ」

「何……?」


 再び気まずい空気が流れる。


「昨日のことは、一旦忘れた方がいいのかな?」


 アミが問いかけると、コトリンは少考して口を開く。


「……周りには隠すべきだと思うけれど、あなた自身は忘れなくてもいいわ。もちろん忘れたいのなら忘れてもらって構わないわよ」

「そっか……。じゃあ覚えておくね。無かったことにはしたくないから」


 アミが言うと、コトリンは無言で首を縦に振った。


「ミルクとコーヒー、どっちがいい?」


 コトリンがコップを手に質問を投げかける。


「んー。コーヒー貰おっかな」

「ミルクも少し入れる?」

「いや、ブラックでいい」


 アミはコトリンからコーヒーを受け取ると、それを一気に飲み干した。




 今日は水曜日なので恐らくディルハムに動きはないだろうが、念のため警戒を続ける。


「双眼鏡はテーブルの上にあるから、連絡あったらすぐに使いなさいね」


 コトリンの言葉に、アミはこくりと頷く。


「私はちょっと本部に行ってくるわ。大した用事じゃないから、一瞬で済むのだけれど」

「うん、分かった。行ってらっしゃい」


 アミが手を振ると、コトリンは駆け足で玄関を出て行った。

 時計の針は朝九時を回るところ。

 その時、アミに電話がかかってきた。


「はい、アミです」


 電話に出ると、ノブヒロの焦った声が聞こえてきた。


「たった今、ディルハムがログインした。廃ビルを確認してくれ」

「りょ、了解です……!」


 アミは慌てて双眼鏡を手に取り、廃ビルに焦点を合わせる。


「電気が点いたり、人影が見えたりした部屋はないか?」

「ちょっと待って下さい……」


 一階から順に上へと視線を移す。

 すると、三階の窓に人の姿が見えた。


「いました、三階です」

「俺とザックで今からそっちに向かう。アミはその場で待機だ」

「分かりました」


 通話が切れる。

 アミは廃ビル内の人に動きがないか、双眼鏡で監視を続けた。




 コトリンが警備課オフィスに入ると、ベクターが一人退屈そうにしていた。


「てっきりあなたが現場に行ったんだと思ったわ」

「あ? おめぇあの新米と張り込み中じゃなかったのかよ?」


 急に現れたコトリンに、ベクターは一瞬驚いた表情を見せる。


「ええ、張り込み中よ。ここでしか閲覧出来ないデータを確認しに来ただけ。ディルハムが動いたみたいだし、速攻で戻るわ」

「ふーん、そうかよ」


 ベクターは適当に頷き、椅子にもたれかかる。


「それよりあなた、暇なら野暮用を頼まれてくれるかしら?」


 コトリンがディスプレイパネルを操作しながら言うと、ベクターは面倒そうに返す。


「内容による」

「このプレイヤーについて調べて欲しいのだけど」


 ベクターの目の前に画面が表示される。

 それを覗き込んだベクターは、大きなため息を吐いてコトリンの顔を見る。


「こいつがどうかしたのか?」

「昨日、エービスで道を尋ねてきたのよ。その時にちょっと違和感を感じたから」

「違和感?」

「去り際に突然、アミの名前を聞き出そうとした。それが妙に引っかかって」


 画面に表示されているのは、昨日エービスで出会った男性プレイヤーのデータだった。

 ベクターは画面を一瞥して、天井を仰ぐ。


「……気が向いたら調べてやんよ」

「ありがとう、助かるわ」


 コトリンはベクターに微笑みかけ、踵を返す。


「私はアミの所に戻るわ。何か分かったら連絡頂戴ね」


 警備課オフィスからコトリンが出て行く。


「チッ、人使いの荒い女だ……」


 ベクターは呟くと、頭を掻きつつディスプレイパネルを起動させた。

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