006 星空

「お待たせー。コトリンの言う通り、仮想世界のシャワーも気持ち良かった……って、あれ?」


 タオルを首に掛けて脱衣所から出てきたアミは、リビングをキョロキョロと見回す。

 ここでテレビを観ていたはずのコトリンがいないのだ。


「どこ行っちゃったんだろ……」


 アミが腰に手を当ててどうしたものかと考えていると、ベランダに人影が見えた。

 そっと窓に近づいてみると、コトリンがベランダの柵に肘をついて空を眺めていた。

 アミは窓を開け、ベランダに出る。


「コトリン、何してるの?」


 話しかけると、コトリンは一瞬ビクッと体を震わせてからアミの顔を見た。


「アミ、もうお風呂上がってたのね」

「うん、気持ち良かったよ」


 アミはコトリンの隣に並んで、柵に寄りかかる。


「で、何してたの?」


 するとコトリンは再び空を見上げ答える。


「星が綺麗だったから……」

「うん。東京と違って、この世界の星空はとっても綺麗」


 アミも空を見上げて言う。


「アミ、あなたも星が好きなの?」


 コトリンが問いかける。

 それに対し、アミは優しく微笑んで返した。


「嫌いじゃないよ。うん、嫌いじゃない」


 アミのその返事を聞いたコトリンは、しばらくアミの顔を見つめ口を開く。


「ここでリアルの話するのはどうかと思うけれど、やっぱりあなた……」

「そうだよ、古藤ことうりんさん」


 アミがコトリンのリアルネームを呼ぶ。


「っ! アミ先輩も、気付いていたの……?」


 顔を真っ赤にして動揺するコトリン。


「だって私、運営側の人間だよ? プレイヤーの情報を調べるのなんか簡単」

「いつ調べたの?」

「昨日の夜。ログアウトした後に気になって調べちゃった」


 ごめんごめんと軽く謝るアミに、コトリンはもじもじしながら言う。


「私、最初に会った時すごく驚いたの。どうしてアミ先輩がここにって。でもアミ先輩は私の正体を知らないし、そもそも私のことを覚えてくれてるなんて思わなかったから、その……」


 言葉に詰まるコトリン。

 するとアミはコトリンの頭を撫で、微笑んだ。


「忘れる訳ないよ〜。星空の下で急に後輩の女の子にキスされて、『好きです』なんて言われたらさ。しかもそれが私のファーストキスなんだから」

「アミ先輩……」




 アミがコトリンとリアルで初めて出会ったのは、中学三年の夏休み。

 当時生徒会長だったアミは、生徒会の用事で学校に来ていた。


「どうしよう、結構遅くなっちゃった……」


 時刻は夕方四時を回り、日が傾き始めている。

 少しでも時間を短縮しようと、アミは隣の校舎までショートカット出来る外廊下に出た。

 その時、隣の校舎の屋上に人影が見えた。その人は大きな望遠鏡のようなものを設置している。


「あれ、許可取ってるのかな?」


 アミは首を傾げ、とりあえず用事を済ませるべく隣の校舎へと向かった。


 三十分後。用事を済ませたアミは、先ほどの人影が気になり屋上にやって来た。


「さっきの人、まだいる……?」


 音を立てないようにゆっくりと扉を開ける。

 扉の隙間から覗いてみると、屋上の端の方で半袖の制服姿の少女が柵に肘をついて立っていた。その隣には望遠鏡が置いてある。


「……ねえ、こんなところで何してるの?」


 アミが恐る恐る話しかける。

 するとその少女は驚いた表情でアミの顔を見た。


「えっと、その……」


 恥ずかしそうに俯いて視線を逸らす少女。

 長い黒髪が顔を隠し、表情は読み取れない。

 だが、上履きの縁が緑色であることから、一年生だということは分かった。

 アミは歩み寄って話を続ける。


「私、生徒会長の新桐しんどう亜美あみ。入学式とかでスピーチしてたんだけど、覚えてるかな?」

「生徒、会長……」

「まあ、全然威厳もないし、普段は影薄いんだけど……」


 そう言って頬を掻くアミに、少女は首を振った。


「いえ、アミ先輩は、とても素敵だと思います……」


 少女から返ってきた意外な言葉に、アミは照れ笑いを浮かべる。


「そうかな? そんなこと言ってくれたの、あなたが初めてだよ」

「あの、私、古藤凛です……。ここに来たのは、星空を見る為で……」

「星空? 古藤さんは星が好きなの?」


 アミが問いかけると、凛はこくりと頷いた。


「星を眺めてると、心が落ち着く感じがして。アミ先輩は? 星、好きですか?」


 凛に聞き返されたアミは、少考してから答える。


「嫌いじゃないよ。うん、嫌いじゃない」


 アミが笑顔を作ると、凛は表情を歪めて口を開く。


「アミ先輩、興味無いなら正直に言ってください。そういう気遣い、余計に腹が立つので」

「ごめん、古藤さん。でも、興味が無い訳じゃなくて、あんまり詳しくないだけ。もし良かったら、星について色々教えて欲しいな」


 手を合わせて謝ってから、アミがそう申し出る。

 すると凛は、虚をつかれたような顔で瞬きをした。


「……それって、私と一緒に星を見たいってことですか?」


 動揺を隠せない様子の凛に、アミは首を傾げもう一度聞く。


「駄目、かな?」

「そんなことないです。アミ先輩なら大歓迎です」


 凛は顔を上げ、しっかりとアミの目を見つめる。

 その表情は嬉しさと緊張が交じったような感じだった。




 二人で星について会話をすること二時間。

 日が落ちた空にようやく星が瞬き始めた。


「望遠鏡、覗いてみてください」

「うん」


 凛に促され、アミは望遠鏡に目を近づける。


「うわぁ、綺麗……!」


 すると目に飛び込んで来たのは、キラキラと輝く満天の星。


「ねえ、これって何かの星座だったりする?」


 アミが凛の方を見る。

 しかし凛は黙ったままこちらを見つめている。

 どうしたのだろうと考えていると、凛が急にこんな言葉を口にした。


「アミ先輩、今付き合ってる人っていますか?」

「えっ、いないけど……。どうして?」


 きょとんとするアミに、凛はぐっと顔を近づけ囁く。


「好きです。私、入学式の時にアミ先輩を見てから、ずっとアミ先輩のこと考えてました。だから……」

「ん? ちょっと待って、えっ……?」


 突然の後輩の女の子からの告白に戸惑うアミ。

 直後、凛はアミの頬に右手を添え、ゆっくりと唇を奪った。


「えっと、あの、古藤さん……?」


 アミは何が起きたのか理解できず、目を泳がせている。


「分かってます、アミ先輩にそういう趣味がないこと。もうしないので、忘れてください」


 凛はそう言い残し、逃げるように駆け出して行ってしまった。

 バタンと扉が閉まり、一人屋上に取り残されたアミ。


「私、今古藤さんに告白された……?」


 アミは凛の感触が残る唇を触り、ぽつりと呟いた。

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