第26話 嵐の前の……

「以上で新入生歓迎会リハーサルを終了します。お疲れ様でした!」


 二部最後、軽音楽部の発表が終わって体育館の照明が全て点いた。このあと部活で使われるので真先輩以外のメンバーで機材の撤収をしたり遮光カーテンを開けたりとせわしなく走り回る。


「どこの部活も問題なし、だけど今よりもいいものに出来るはずだから今日の反省点があったら改善して本番に臨んでほしい」


 スピーカーから響く真先輩の声は少し上ずっていた。ラストの軽音部の熱にあてられたのか、それとも全体の士気を高めるためにわざとそうしているのか。後者だとしたら猫かぶりどころのレベルじゃない。あれはもはや詐欺師だ。本人に行ったら怒られそうだから口が裂けても言わないけれど。


「当日は明後日、何かわからないことがあったら遠慮なく生徒会に聞いて!それじゃあ解散ッ」


 体育館からバタバタと人が出て行く。私の仕事は遮光カーテンを全て開けたら次は音響関連の片づけだ。


「真先輩、マイク片しちゃってもいいですか?」

「あぁ、そっちまで持っていくよ」


 マイクの電源を全て切ってから舞台袖の所定の位置に戻しておく。スピーカとの接続も切って、コンポの電源も切って、と。


「律葉」

「はい、なんですか?」


 名前を呼ばれたので顔を上げる。思っていたよりも近くに真先輩はいた。


「茶道部の発表、良かったよ」

「本当ですか!?」

「本当だよ、本当。俺が嘘つくように見えるの?」

「……いいえ」


 ほんの数十秒前にもはや詐欺師、とか思ってたなんて口が裂けても言えない雰囲気だよコレ。この人本当に声と顔の使い分けが上手いなぁ、なんて関心している場合じゃない。


「今の間は何?間を絶妙に使うのは登壇している時だけでいいんだよ」

「ハイ、覚えておきます」


 歯切れのよさを意識してお行儀のいいお返事をする。東雲律葉、不肖な新入りですが、その言葉しかと胸に刻んでおきます。


「とにかく、茶道部の発表が良くできたものだったというのは本心だよ。新歓とは相性の悪い性格だと思っていたからどう対応するか楽しみだったんだけど」

「え?」


 私が茶道部の担当になったのって、部活動見学で見に行ってたからって流れじゃなかったの?


「本番でもあの調子で頼むよ。頑張ろう」

「……はい」


 あまりにも素直な激励に思わず思考が停止する。悪い人、じゃないんだよね真先輩って。計算高すぎてどこまでが計算の範疇かわからないから疑ってしまうだけで。


「だけど前日に備品申請書を書き換えたのは驚いたなぁ。しかもBGMだけ後づけって、運営としては一台のパソコンでまとめたいんだけど」

「それには色々と訳がありまして」


 石山先輩の仕事を残すこと、やりがいと達成感を持ってもらえるようにしたいからと説明すれば真先輩は納得してくれた。


「なるほど。そういう理由があるならいい、本番失敗しないように」

「はい。まぁ、タイミング合わせてCD流すだけなんでそんな難しいことじゃないですよ。あ、部活の人たち来たんで早く撤収しちゃいましょう」

「お、そうだね」


 コンポの開ボタンを押せば黒のマジックペンで茶道部BGMとだけ書かれたCDが出てくる。お手本のような字体はきっと石山先輩の字だ。

 なんとしても成功させなくては。取り出したCDを透明のケースに入れて書類の間に挟んだ。




「じゃあ律葉ちゃん生徒会の仕事あるの?」

「うん、二部だけはどうしても離れなくちゃいけなくて」


 木曜日の食堂、志乃と芹那と真紀の四人でご飯を食べることにももう慣れてきた。今日の日替わりランチはカレーセットとオムライスだ。ぼんぼん学校だから食事も毎回キャビアやフォアグラが出てくるかと思っていたけれど案外そうでもないらしい。

 どんな料理でも味は百点満点で美味しい。オムライスだって卵はトロトロだしケチャップソースとデミグラスソースまで選べたし文句のつけようがない。このご飯に文句つけるなんてバチがあたりそうだ。


「へ~、じゃあ新歓の部活発表二部は一緒に見れないんだ」

「一緒に見れないっていうか、そもそも並びは出席番号順だよ?」

「新歓はすっごく盛り上がるから列なんてあってないようなものだよ」


 芹那の言っていることは納得できた。リハーサルであの盛り上がりなら本番は相当なものだろう。


「二部になってる頃にはもう列なんてぐちゃぐちゃでそれぞれのグループで見てるって。志乃ちゃん、わたしらと一緒に見ようね」

「え?いいの?」

「勿論だよ」


 志乃よりも驚いた表情で真紀はそう言ってケチャップのかかったオムライスを口に運んだ。


「というか、律葉新入生なのに忙しそうだね。授業中、こっそり明日の資料みてたでしょ?」 


 牛すじカレーにトッピングした温玉の黄身を割りながら芹那は言う。


「入学の時に貰った百花院のファイルに新歓の大事なもの色々入れてるんでしょ?ちょっとでいいから見せてよ~」


 真紀の言う通り、そのファイルには当日の詳細の段取りなんかも記載された資料や茶道部のBGM用CDなんかが入れてある。というかいつの間に私がそのファイルに新歓の資料を入れているところをチェックされたのか。全く、油断も隙もあったもんじゃない。


「だーめ。明日には分かるんだから、楽しみにしてて」

「え~、いいじゃんケチ」

「真先輩が一年生を喜ばせようと頑張ってるんだよ?」

「ならオッケーです!文句ないです!」


 立派な返事に安心してオムライスを食べる。デミグラスソースにコクがあるのは赤ワインでもいれているのだろうか。


「五限なんだっけ?まだ時間割覚えられないよ~」

「古文だよ、それで六限は、えーっと」

「千石先生の英語だったけ?」

「うん、そうだよ。眠くなりそう」


 古文に英語、眠くなる午後の授業ツートップだ。そして放課後は生徒会室に行って最後の打ち合わせをして。


「そんなこと言って、律葉は授業中寝ないでしょ~。新入生代表だもんね」

「睡魔を前にしたら新入生代表でも勝てないって」


 そんなくだらないことを言い合いながら、私たちは呑気にお昼ご飯を食べていた。この時、もっと周りに気を使っておくべきだったのかもしれない。

例えば、私にいい感情を抱いていない人物が私たちの会話に耳をそばだてていないか、と注意しておくべきだった。




 第一体育館は広い。とにかく広い。百花院学園高等部の全生徒と教師が入ってもスペースが余っている。

 体育館前方の上手に桜子先輩を除く生徒会メンバーが集まっていた。今一度、手元の資料を確認する。


『3年F組の生徒が入ったわ。後方扉を閉めるわね』

『了解。終わったらこっちに来て』


 真先輩の握っているトランシーバーから桜子先輩の声が聞こえてきた。


「どうした?まさかこれがわからないとかじゃないよな?」

「トランシーバーくらい知ってますよ。いや、ここでそれ使ってることに驚いたんです」

「あぁ、スマホでもいいけどいちいち電話かけなきゃいけないし、新歓は照明落として動き回るからノーハンドで通話ができる機械の方が都合がいいんだよ」

「生徒会で仕事してると何かとこれ使うぞ。文化祭とか二日間つけっぱなしだったしな」


 司先輩がイヤホンを調節しながら説明してくれる。トランシーバーとかの無線機ってなんだかわくわくしてしまう。アナログ的だし音声でしかコミュニケーションが取れないけれどそこが無骨でかっこいい。


「俺らのはないんですか?」

「あるわけないだろ」


 司先輩は何をわかり切っていることを聞くんだ、とでも言いたげな様子でぶっきらぼうに答えた。真先輩が優しい口調で付け加える。


「律葉、柊、確かに仕事はあるし完璧なおもてなしは出来ないかもしれないけれど、今日行うのは新入生歓迎会なんだよ?君たちの歓迎会だ。裏方の話なんて気にしなくていいんだよ」


 そう言われてしまえば私も柊も何も言えなかった。生徒会の仕事を知ってもらう為に手伝ってもらうけど、基本はおもてなしされる側だからね、とこれまでも散々言われてきた。


「もし伝えなきゃいけないことがあったらわたしが走って伝えにいくから。安心して」

「マリア先輩、わかりました」


 そこで桜子先輩がやって来た。


「ほら、早くA組の席に戻りな。二部の前の休憩までは何も気にせず楽しんで」


 今日の資料やBGMのCDが入ったファイルを片手に、柊とともに席に戻る。

それぞれの持ち場に向かう先輩四人の背中はいつもより大きく見えた気がした。


「先輩たち、カッコイイね」


 独り言でも構わない、と思って呟いた言葉に柊は「そうだね」と優しく肯定してくれた。

 そんな会話をしていた私たちは、人混みの中から射抜くような鋭い視線が向けられていることに気が付けなかった。

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