第20話 因縁のはじまり

「豊崎美音です。ヨロシクね」


 ココアのような甘い茶髪。低い位置で結んだツインテールは首を傾けるとカールがふわりと揺れた。


「東雲律葉です、よろしく」


 こちらも笑顔で応戦、じゃなかった。笑顔で挨拶をする。


「知ってるよー、アタシB組だから体育の時間とかに見かけたし。それに、今年の新入生代表なんだから一番有名な一年生でしょ?」


 いきなり本題に切り込んできた。狙いはわからないけれど、友好的でないことは確かだ。


「有名だなんて、そんな」


 声が大きい、と言おうにも言えない雰囲気だ。「あっ、あの子が」「確かに、入学式で見た子だ」「確か生徒会の……」なんて聞こえてくる。こんなところで目立つためにここに来たわけじゃないのに。


「でも、あれだね、こうして会って見ると……」


 じっくりと、頭のてっぺんから足のつま先まで品定めするような視線が注がれる。

「思ってたよりも、ちっちゃくて可愛いね♡」

 ぷっつーん。

頭の中で何かが切れた音がした。思い違いなんかじゃない。これ、完全にケンカ売られてる。

 条件反射で前のめりになる意識をぐっと堪える。ここで感情的になっては相手の思うつぼだ。何より、それはあの人としていることが変わらない。冷静に、そして理性的に。

 入学式から時折感じていたねぼっこい、不快感を煽る視線は間違いなく目の前のこの女、豊崎美音のモノで間違いないだろう。現に、今こうして私を見下す目からそれをひしひしと感じている。


「ちょっと風の噂で聞いたんだけどさぁ」


 風の噂の内容を確認する声の大きさではない。公衆の面前で美音はハッキリとした口調で言った。


「生徒会、入るってホント?」


 まるで尋問のような問いただし方だ。私を見る視線に好奇心の色が濃くなる。こういう場合、この勢いの乗せられてはいけない。確定的な言い回しは避けた方が身のためだ。


「まだ決定じゃないよ。今は研修期間で生徒会役員(仮)みたいな感じで」

「えっ、外部生って生徒会入れたの!?」


 外部生。その単語だけ切り取られたように六畳の間にポンっと浮かぶ。一瞬にして私に注がれる視線に懐疑的なものが混じった。

 真先輩や桜子先輩が言っていたことは本当だったんだ。外部生であることで周りの目が変わる瞬間を目の当たりにしたのはこれが初めてだった。入学式後、教室で行われた自己紹介ではうまい具合に誤魔化せていたからだ。流石、私。って、そうじゃなかった。

 でも、なるほど、これが真先輩の「変えたい」と言っている百花院の現状の一つか。と腑に落ちる。百花院のブランドイメージにあやかって、努力もせずに当たり前のように地位を享受できると信じている人たちだ。

 同時に、どうして?という疑問も生まれる。真先輩は生粋の内部生だ、内部生にとってはそういう意識の人間が多い方が何かと都合がいい気がするけれど。


「外部生でも生徒会に入っている人はいるよ。司先輩やマリア先輩は高等部から百花院に入学したって聞いているし」

「あのお二人は百花院ではなくとも、有名な学校を出ているし何よりあの一条家と分家の五条家の人間よ。というか今、先輩方のことをなんて呼んだ?」

「えっ、普通に名前で、司先輩とマリア先輩だけど」

「普通に名前呼びって、馴れ馴れしいにもほどがあるんじゃないの?」


 ああもう、論点がどんどんズレていく。こんな言い合いをしに茶道部に来た訳じゃないのに。


「三年の小暮坂桜子先輩と一年の小暮坂柊が在籍していて、苗字呼びだと何かと面倒だから名前呼びにしてるんだよ。これは真先輩の提案だよ」

「なっ、真先輩って天城先輩のことまで名前呼びだなんて!」

 ……これはもしかして地雷を踏んだだろうか?真紀と同じく真先輩信者らしい。凄いなぁ真先輩、年下の女の子を夢中にさせるのがお上手なことで。


「あそうだ。ねぇ、お家は何をしているの?」

「えっ?」


 サイコロの目を振るようにまた論点が変わった。


「ご実家の話よ。この百花院に入学するくらいなのだからそれは大きな実家やそれなりの職だったりするのよね?」


 頭の中が真っ白になった。マズイ、この話題だけはなんとしても避けなきゃいけなかったのに。

 父と母の話をすればこの場は難なく切り抜けられるだろう。だけど、こんな時だけあの人達に頼るようなことはしたくない。


「まさか言えないの?その程度のお家なのかしら?なんてことないわよね、百花院の生徒会に入るような生徒がそんなちんけな家の人間なわけないわよね。アタシのパパはねいくつものアパレルブランドを運営してる敏腕経営者なの。そしてママはピアニスト。パパのこともママのことも誇りに思ってるわ」


ここで乗せられて両親の話をしたら私が両親に憧れを抱いていて、尊敬していると認識されてしまう。違う、私が尊敬しているのは、両親に捨てられた幼子だった私を引き取って、今日まで育ててくれた祖母と祖父だ。


「……有名ってわけじゃないけど、家は教室をしていたよ」

「教室?習い事ってこと?そんな稼業でこの学園に?」


 そんな稼業?今、この女おばあちゃんの仕事をそんな稼業って言った?身長でバカにされた時とは逆に、頭は凪いだ海のように冷静になる。


「どんなものかは中身を見てから言ってくれるかな?」


 私の家の稼業は大それたものじゃない。大きなお金が動いたり莫大な利益が生まれるようなものじゃないし、世紀の発見があったわけでも三桁越えの歴史がある訳でもない。


「すみません、この三味線お借りしてもいいですか?」


 だからって、バカにされるほどのものでもない。


「え、いいけど。音程揃ってないわよ、飾りとして置いているものだし」


 少し戸惑った様子ながらも亭主をしていた部長さんが許可をくれたので、床の間に飾られている三味線に遠慮なく手を伸ばす。

これ、相当いい三味線だ。それを弾くでもなく置物にするだなんて、全く金持ちは。って、いけないいけない、今はそんなこと考えてないで集中しないと。


「ありがとうございます。ちょっと失礼しますね」


 三味線の横にあった木箱には道具が入っていた。正座をして脚の上に三味線を置く。指かけを左の親指と人差し指に装着して右手で撥を握る。

 先輩が言うほど音階は狂っていなかったのでチューニングはすぐに終わった。さて、三味線らしい曲というと歌舞伎で使われる歌や民謡が有名だ。三味線と相性の良い曲だから良さは伝わっても、高校生相手ではインパクトに欠ける。

 となるとこの場合の最適な選曲は――、

 背筋を伸ばして短く深呼吸をする。大丈夫、できるよ。力みすぎると音が硬くなるのでほどよく腕の力を抜いて撥を降ろした。

 ババン♪音のチェックとともに心拍に合わせたリズムで弾きはじめる。幕開けを意識するテンポに持っていく。譜面はないけれど音は頭の中に入っていた。よかった、音楽の教科書もちゃんと目を通しておいて。


「この曲、どこかで」

「最近聞いた気がするんだけど、どこで聞いたんだっけ?」


 一番目はかつてこの学園を取り囲んでいたであろう雄大な自然、特に植物についての記述が多いからのびのびとしたテイストで演奏をする。


「あっ、これ校歌だ」


 志乃の言う通り、私が演奏しているのは百花院学園の校歌だ。歴史と伝統を重んじる百花院学園では中等部と高等部はもちろん、初等部でも同じ校歌が採用されている。百花院の学生なら知らないなんてことは絶対にない曲だ。


「へ~、三味線で弾くとこんな感じになるんだ」


 そして、絶対に貶すことはできない曲でもある。特に内部生ならば。


「ピアノ伴奏しか聞いたことなかったから新鮮だね」

「渋くてカッコいい!だけど上品だね」


 二番は学園の生徒としてのあるべき姿が歌詞になっているから少し真面目に、だけど三味線らしさをアピールするアレンジを織り交ぜていく。歌詞がない分、アレンジで曲の雰囲気を散りばめていく。

 視界の端をちらりと見やれば帰ろうとしていた見学者たちも戻って見物客になっていた。少し派手に、目を惹く演奏にする。


「すごいかっこいい」

「あの子、新入生代表やってた子じゃん」

「ピアノやヴァイオリン弾ける人は多いけど三味線ってレアじゃない?」


 おばあちゃんが私に教えてくれたことは数えきれないほど多い。その中でも三味線は人に見せられる特技としてのレベルまで教え込んでくれた。

 まさかこんな形で役に立つとは思っていなかったけど。ありがとう、おあばちゃん。

 百花院学園の発展を願った三番を弾き終えると静かな拍手に包まれた。


「そんなに大したものじゃないんだけどね」


 笑顔で美音を見上げる。三味線を差し出したけど受け取られることはなかった。


「ここでピアノを弾くのは無理そうね。機会があったら聞かせてあげるわ」

「そっか。楽しみにしてるね」


 ここでこれ以上、追従しては私のイメージの方が悪くなってしまう。大人しく三味線を元の場所に戻す。見物をしていた生徒がはけ始めて周囲が少し騒がしくなりだした。

 美音は去り際、私にだけ聞こえるように


「造花の分際で」


 とだけ言って茶室を後にした。


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