第19話 部活動見学

 オーブンが開けられると甘いマフィンの香りがふんわりと漂ってきた。

 火曜日の放課後、志乃と約束した料理部への見学に来ていた。料理部の活動日は毎週の火曜日と木曜日の週二日。比較的のんびりしている文化部の一つだ。


「ごめんね、付いてきてもらっちゃって。一人だと心細くて」

「いいよ、私も来てみたかったし色んな部活を見て回りたかったから」


 流石、百花院学園。家庭科室には業務用の冷蔵庫にIHコンロやオーブンがあり、調理器具はどれも質の良いもので揃えられている。学校の、家庭科室にあるボールってもっとぼこぼこしていているものだと思っていた。


「ようこそ、料理部へ」


 入学して何度目かわらからないカルチャーショックに見舞われていたら、後ろから声を掛けられた。


「ここの部長をやらせてもらってる三年の柳田愛です。よろしくね」


 志乃と二人して振り向いた先には、ゆるりとウェーブのかかった髪をハーフアップにして、おっとりとした声とふっくらとしたほっぺが特徴的な女子生徒がいた。


「こんにちは、一年の東雲律葉です」

「同じく一年の新留志乃です」


 柳田先輩は垂れ目を少し持ち上げた。


「律葉ちゃんね。噂になってるから知ってるよ。新入生代表をやってた子よね」

「すごいね、律葉ちゃん有名人だ」

「そんなことないよ。でも、なんだろ恥ずかしいなぁ」

「すごいことだよ、新入生代表に生徒会だなんて」


 きっと噂になっているのは新入生代表をしたってだけじゃない。生徒会加入の噂に色々と尾ひれがついて出回っているところだろう。


「生徒会といえば、桜子も料理部所属だよ」

「え、そうなんですか?」


 これまでそんな話は聞いたことがなかった。


「一応、ね。生徒会の方が忙しくない時期に顔出す程度だけど。一年の頃に一緒に入部したんだもん」


 生徒会をやりながらも部活動にも所属はできる、と言っていた。なるほど、料理部のようなゆるめの部活なら生徒会との両立もできるかもしれない。


「すごいね、あの生徒会と料理部どっちもやってるなんて」

「そう、だね」


 感心するように頷く志乃にはなんだか申し訳ない気持ちになる。桜子先輩、貴女お菓子目当てで入ったんですよね?洋菓子食べたさに入ったんですよね?絶対そうですよね?


「それにしても大盛況ですね」


 いけない、いけない。脳内ツッコミで会話を疎かにするところだった。気を取り直してあたりを見回す。

 家庭科室には料理部の先輩の他、新入生も数多く来ていた。私たちの後に来ていた一年生は、家庭科室に入れずに次回の木曜日に来てね、と言われていたほどだ。


「本当に嬉しいわぁ。お菓子目当てで来ている子もいるだろうけど、興味を持ってくれるのが第一歩だからね」


 ピンク色のエプロンの紐を結び直しながら愛先輩は続ける。


「実際のところ、料理部なんて名前だけど作ってるのはお菓子ばっかりだからしょうがないね」

「どんなものを作ってるんですか?」

「洋菓子が多いかなぁ。今作ってるマフィンの他にクッキーやプリン、最近作って評判がよかったのはクレープかな。スポンジからホールケーキを作る日もあるし、文化祭ではお菓子の販売もしたりしてるのよ」

「ケーキなんて作ったことないや」

「志乃ちゃんそんなに身構えないで。楽しいよ、デザインから自分たちで考えて何かを作るのは。それに美味しいしね」


 そこで愛せんぱーい、と黄色いエプロンをした女子生徒が呼ぶ声がした。柳田先輩は、はぁーいと柔らかな声で返事をする。


「一年生には体験としてマフィンの飾りつけをしてもらってるんだ、こっち来て」


 私は付き添いで来ただけなんだけど……まぁいいか。しっかり手を洗ってから焼きあがったマフィンと飾りつけ用のホイップクリームやチョコペンやアラザン、小さなクッキーが用意されているテーブルへ移る。


「じゃあ律葉ちゃんと志乃ちゃんへの説明はわたしがするね。説明と言っても難しいことはなくって、この中から好きなものを選んで飾り付けていってね。終わったら向こうのテーブルで完成品食べながら、簡単に料理部の説明をするからね。じゃあまずは土台となるマフィンを二つ選んでね」


 オーブンから取り出されたばかりのマフィンからはまだ湯気が昇っている。プレーン、チョコ、紅茶、抹茶の四種類だ。どれもそのまま食べても美味しそう。


「うーん。プレーンと、抹茶にしようかな」


 二種類選べるのなら一つは無難なものをチョイスしておきたい派だ。


「わたしはチョコと紅茶にしよ」


 マフィンを選んだら次は飾りつけだ。


「クリームを絞る時は欲張りせずに、バランスを整えることを意識した方がいいよ」


 柳田先輩は全体の様子を見ながらアドバイスをしたり、空いた食器を下げたりとおっとりとした動作ながらも的確に仕事をこなして全体が滞ることないようにしている。

 こんなにおっとりで優しそうな人が部長かぁ、と内心思っていたことに反省だ。この人が部長で、みんなに支持されるのにはちゃんと理由があるんだ。




 あのあと、飾りつけをしたマフィンを一つ食べながら柳田先輩の説明を聞いて、もう一つはお土産としてラッピングしたものを持たせてくれた。潰さないように慎重に鞄に入れて家庭科室を出る。


「せっかくだし他の部活も見て行かない?」


 志乃の提案に二つ返事で頷いた。この学園を知る為にも、見学期間に一つでも多くの部活を見学しておくべきだ。

 新入生に配られた部活紹介の冊子には、各部活の名前や活動内容の他、場所や活動日も記載されている。A5サイズの冊子はちゃんと製本されたもので、しかもフルカラー印刷。わら半紙のホチキス止めではないあたりに格の違いを思い知らされる。


「今日やってる部活動は」

「こことかどうかな?」


 開かれたページには茶室で浴衣を着た人がお茶碗に口をつけている写真が載っていた。茶道部のページだ。お茶とお菓子をご用意してお待ちしております。と添えられている。活動日は火曜日と金曜日で、活動場所は茶室。校舎裏に別の建物として設けられているらしい。


「いいよ、行ってみようか」


 下駄箱で靴を履き替えて校舎を出る。春のうららかな日差しが気持ちいい。ぐるりと校舎を回って少し歩くと、風情ある茶室が見えた。

 砂利が敷かれていている敷地には背の低い生垣や石灯篭があり、そこだけ学園とはかけ離れた雰囲気に包まれている。

 けれど、近づいてみれば静観そうな見た目でありながらも和気あいあいとした喋り声が聞こえてきた。部活動見学は行っているらしい。


「この茶室では茶道部と華道部が活動をしています。今日は茶道部の見学会ですが中に入られますか?」

「はい、茶道部の見学希望です」

「かしこまりました。お履き物はそちらでお脱ぎください。ご案内します」


 薄黄緑の浴衣に身を包んだ女子生徒に促されるまま靴を脱いで上がる。背筋かピンと伸びていているし、私たちの前を歩く歩幅も小さい。白い帯はしゅっとしたカルタ結びで凛とした雰囲気によく合っている。


「すごいね、なんか旅館みたい」


 志乃は声を潜めてそう言った。


「こちらです。次の部になりますので正座でお待ちください」


 茶道部は静かながらも数多くの新入生で賑わっていた。浴衣を着た先輩方がお茶と茶菓子を振る舞っていて、新入生は順にそれを頂く形式のようだ。今は十人ほどの新入生がお茶を頂きながらも説明を受けている最中だった。


「茶道にも流派があり、大きく分けると表千家と裏千家と武者小路千家が有名ですね。百花院学園の茶道部は代々裏千家に属しています」


 亭主の役割をしていた女子生徒が恭しく口を開いた。


「主に作法が異なる、というのが流派の違いです。例えば、今皆さんが召し上がっているお茶は濃く、泡が立っていますが濃茶で泡があるお茶を立てる、というのは裏千家の代表的な特徴でもあります」


 半東と呼ばれる亭主のサポート役の人が説明の後ろで手際良くテキパキと道具の整理を行っている。


「茶道部ではお茶を楽しむ他、そうした茶道の知識を学び、身に着けたり、長期休みにはお茶をめぐる旅行を計画したりしております。堅苦しい、真面目だ、なんてイメージを持たれがちですがそれはこのようにお茶の場だけのことなので、肩の力を抜いてくださいね」


「そうだよ~、鈴は亭主だからってこんな風に喋ってるけど、この子普通に冗談言ったりするからね」

「ちょっと、今そんなこと言わなくていいでしょ!」


 そこで新入生の団体からふふっと笑みが漏れる。鈴と呼ばれていた先輩はこほんと小さく咳払いをした。


「とにかく、仲良く楽しい部活なので、ぜひいらして下さいね。今日はありがとうございました」

「「「ありがとうございました」」」


 折り目正しく頭を下げる先輩方に、私たちの番でないけれど思わず頭を下げてしまう。頭を上げた頃にはさっきまでの真面目で固い空気から一転、学校の休み時間と変わらない雰囲気に戻っていた。


「お菓子美味しかったね~」

「やばっ、脚痺れた」

「お茶苦すぎてびっくりしたんだけど」


 説明を受けていたいた新入生は緊張を緩めた面持ちで立ち上がってぞろぞろと部屋を出て行く。

 本来なら部屋の出入りから既に形式ばったやり方でやるべきなのだろうけど、体験ということでそこらへんは無礼講らしい。

 入れ替わるようにして部屋に入ろうとした時、視線を感じて目線を上げると部屋から出てくる一人の女子生徒の姿が飛び込んできた。

それは、あのへばりつくような粘着質な視線の目だった。


「あっ、東雲律葉さんですよね?」


 やけに高いその声は、小さな茶室には十分すぎるほど響き渡る。


「豊崎美音(みのん)です。ヨロシクね」

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