第18話 親と実家と豚骨ラーメン

 学園の寮で生活していると三食全てが食堂での食事になる。平日のお昼ご飯は学園の食堂で、その他は寮の食堂で、といった具合だ。

自分でご飯の用意をしなくていい、そして食費が一切かからない生活というのは大変ありがたい。

 学園の学食は校舎とは別の棟にあるから少し移動が不便だけどその分、広いスペースに多くのテーブルと椅子が設けられている。

学食メニューは主に、ご飯中心の和食とパン中心の洋食と麺類全般の三種類。お弁当などを持ち込んでここで食べることもできる。


「律葉、志乃ちゃん、こっちこっち」


 受け取ったラーメン餃子セットを落とさないように人混みの中を歩く。真紀の声がした方を見れば、すでに芹那と一緒に四人のテーブル席に座っていた。空いている席に私と志乃が並んで座る。


「ありがと、席取っておいてくれて。麺の列すごい混んでてさ」

「ここのラーメン人気だからね。なんでもOBでラーメン屋やってるところがあって、そこで使ってる秘伝のスープのレシピ教えてもらったって噂だよ」

「へー、食べるの楽しみ。いただきます」


 なんだかこの学園に来てから食べてばかりな気がするなぁ。蓮華でスープを掬う。コクがあって豚のうま味がしっかりと残されている豚骨スープだ。うん、美味しい。麺もストレートの細麺でスープと相性抜群だ。

 芹那と真紀は注文したパンのランチを食べている。グラタンパンとサラダにコンソメスープ、見ているだけで美味しそうだ。

 それにしても、食堂にシャンデリアがある理由ってなんだろう。高い天井にいくつもぶら下げられているシャンデリアをこっそりと見上げる。寮とは仕様人数が違うため学園の食堂はかなり広い。テラス席も用意されているみたいだし高校の規模じゃないよなぁ。


「ていうか、律葉って豚骨ラーメン食べるんだ」


 芹那はシーザードレッシングかけたサラダを頬張っている。


「え、ラーメンくらい食べるでしょ」


 ラーメンは好きだ。簡単な調理で美味しく食べられるからおばあちゃん家に移る前はよく食べていた。


「いやいや、あたしらのような家はともかく本物のお金持ちのお嬢様なら豚骨ラーメンなんて食べたことない子とかいるよね?」


 芹那の言葉にパンを食べている真紀がうんうんと頷く。まさかそんな。芹那のお家も、真紀のお家のこともよく知らないけれどいくらお嬢さまだからってラーメンを食べないとかそんな。


「ラーメン食べたことないって、まさかそれはねぇ、志乃?」

「……実は、わたし今日で二回目」

「え!?」

「あっ、豚骨以外なら何回も食べてるよ!でも、豚骨ラーメンは家族旅行で九州に行った時に初めて食べて、それ以来食べさせてもらえなくて……」


 まさか隣に箱入りお嬢様がいらっしゃった。すごい、ラーメンを食べさせてもらえないってパワーワード。


「いつかまた食べたいなぁ、とは思っていたんだよ。そしたら今日のメニューで豚骨ラーメンあるし、律葉ちゃんが食べるっていうからわたしも食べようと思って」


 志乃はそっと掬ったスープを飲む。


「美味しいね、このスープ。ラーメンって体に悪いイメージあるけど美味しい」

「そこがまた美味しいんだよ、糖と油は美味しいんだよ」


 体に悪いとわかっているからこそ、罪深さというスパイスが効いて三割増しで美味しく感じる。


「志乃ちゃんのお家って厳しそうな感じする。ラーメンとか出なさそうだもんね」


 真紀の意見には概ね同意だった。志乃のお家のことは詳しく知らないけれど、上品ながらも控えめな立ち居振る舞いは箱入り娘という言葉をそのまま体現させたようなものだ。


「厳しい、のかな?パパもママも優しいけど……確かにお家でラーメンを食べたことはなかったかも?お手伝いさんが作ってくれることもなかったし」


 お手伝いさん。あっさり出てきた単語に驚きそうになったのを何とか抑え込む。そうだ、ここはお金持ち学校なんだからお手伝いさんが家にいる事くらい普通のことなんだ。司先輩なんて、分家といえど同い年であるマリア先輩を従者として連れているくらいだし。


「お手伝いさん変わるとご飯変わらない?」


 芹那の口からも一般常識のようにお手伝いさん、という単語が出てきた。耳馴染みのないその単語を口に出そうとするとなんだかとても他人行儀になって、馴染みのない存在だとバレてしまいそうだ。


「それわかる!でもなんだかんだでママのご飯が一番なんだよねぇ」


 真紀もママ呼びらしい。ママ、という単語も耳馴染みがない。口馴染みもない。空っぽになった体を埋めるようにラーメンを啜る。


「二人ともまだホームシックにはなってない?」

「まだまだ平気だよ」


 ようやく話したいと思える質問を振られたので笑ってそう返す。芹那と真紀は実家組だ。百花院学園は中等部と高等部でエスカレーター式だけれど、中等部には寮がない。寮生活ができるのは高等部からなので、内部生でも実家組と高等部から寮組になった人で別れる。


「いいなぁ、寮で生活するの楽しそう」


 そう言うと真紀は無邪気な笑顔で違ったパンに齧りついた。

 パパ、ママ、お手伝いさん。イマイチ脳に浸透してこない単語がぐるぐると回る。

 父の記憶は殆どない。小学生になるよりも早くに家を出ていってしまった。当時、父親がいなくなったことを母親に何度か尋ねたことがあるけれど、適当にはぐらかされるかヒステリックな癇癪を起して関係のないことで怒鳴られるかの二択だったのでその内、聞くのを辞めてしまった。

ないものはないんだ、仕方ない。

 そう自分を納得させた。仕事中心で家に居る時は仕事をしているか怒鳴っているかどちらかという母だったけれど、幸い勉強だけはさせてくれた。というか勉強をしていないと怒られるので勉強をしていた、と表現した方が正しい。

 私立の、いわゆるお受験をして入るような小学校に入れられた。家にお金はあったけれど、母は私に対して勉強以外で使うお金は全て無駄だと考えていたのか、お小遣いは貰えなかった。

 教育熱心と言えば聞こえはいいけれど、その表現が相応しいとはとても思えない。ただただ、自分の物である私が優秀でないことを許せない人だった。

 中学校もそのまま私立へ行かされるかと思っていたけれど、公立の学校に行くことになった。

理由は簡単、邪魔になったから捨てられたのだ。母の仕事が望む方向へと軌道にのり、望むような優秀さを発揮できなかった私は存在するだけで母のお荷物になった。

 十歳の時に母方の祖父母の家に引き取られる形で田舎へ越した。小学五年生の秋という変な時期に転校をした。捨てられた、と明言されることはなかったけど、なんとなく察した。

 寂しくはなかった。それどころか、怒鳴られないで済む、温かい手作りの温かい食事が出てくる祖父母の家はそれまでの人生で一番ストレスを感じない家だった。

 躾は厳しかったけれど、のびのびと育ててくれた祖父母には感謝している。綺麗な水と深い緑、小さな集落がぽつぽつと点在して穏やかな時間が流れるあの場所。学校まで遠いし、バスは一時間に一本だし、コンビニはないし、最寄り駅と呼べる範囲に駅がないようなド田舎だったけれど人のぬくもりに触れながら成長できた大切な場所だ。

 中学一年の冬におじいちゃんが亡くなってからはおばあちゃんと二人で暮らしてきた。

 田舎らしく平屋のあの家に預けられてから母とは会っていない。時々、ネットニュースで会社の名前とともに写真を見る。記事を斜め読みした感じ、会社は大きくなっているようだし成功を収める道を着々と進んでいるみたいだ。

 子どもとしては、捨てたんだんだから成功くらいしておいてくれ、という気持ちと死にたくなるほどの大失敗をしてこの世で地獄をみてくれ、という気持ちが半々である。

会いに行く気も今のところはない。

 よく、しっかりしているとか大人っぽいと言われるけれど、あれは達観しているわけじゃなくって諦観しているだけのこと。ないものをねだれるのは、相手がそれをもたらしてくれるような恵まれている場合だけ。ないものはどう頑張ってもないので、ねだる暇があるなら別の方法を探して努力した方がよっぽど賢明だから。

 そうしていたらいつの間にかしっかりしていて大人っぽいと認識されるようになっていた。昔から優等生でなければいけない私にとって、それは好都合だった。


「律葉、どうしたの?麺伸びちゃうよ?」


 はっと気が付いた時には向かいに座っている芹那が目の前で手を振っていた。


「あっ、そうだね。急いで食べちゃう」


 気がつけば、まばらながらも人が減り始めていた。残していたチャーシューに箸を伸ばす。

 家や親の職業といった話題に全く触れずにこの学園で生活していくことは難しいだろう。けれど嘘をつくのは避けたい、一度嘘をつけばその上にまた嘘をついて芋づる式に嘘の連鎖を編み上げることになってしまう。

となると明言はせずにうまい具合にはぐらかしていくしかない。

 芹那や真紀、志乃が相手なら煙に巻けるだろうけど……。懸念すべきは生徒会の人たち、特に真先輩相手には腹の探り合いのようなことはあまりしたくない。なんとなく、相性が悪い気がする。

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