第15話 表と裏の裏側 2

 柔らかく暖かな春の日差しが教室に差し込んでくる。細く開けた窓からそよそよと心地いい風が入ってきて気持ちがいい。

 六時間目。お昼で食べたものが胃で消化され始めて、段々と睡魔が忍び寄ってくる頃合いだ。教室内では既に数人の頭がゆらゆらと揺れている。

 やばい、超眠い。頭の中に薄っすらと立ち込めた靄を、手のひらを抓ることで追い払う。

 昨日は消灯時間までゲームをプレイし、消灯時間を過ぎたところで見回りも何も来なかったのでそのままゲームを続行して、そのあと編集作業なんかもしていていたらあっという間に深夜三時になっていた。絶賛寝不足中だ。

 六時間目は英語のコミュニケーション英語の一回目の授業。担当は1-Aの担任でもある千石先生が教壇に立っている。一回目の授業、ということで今は授業の説明が行われている。配られたシラバスには丁寧にテストの範囲も記されているので赤ペンで囲っておく。


「と、まぁ説明はこんな感じかな。赤点取ったり、成績があまりにも悲惨だと追試や補習があるからその辺り覚悟しておいてね。じゃあ、早めに終わったことだし授業でも」

「早めに終わったのにぃ?」


 出席番号一番の上戸くんが「えー」と間延びした声とともに文句をつけた。


「早めに終わったからこそ、だよ」


 千石先生の反論に今度は教室の至る所から「えー、やだー」などの声が漏れる。国内有数のお坊ちゃま・お嬢様学校といえどみんな高校生だ。


「しょうがないなぁ。あと五分だし、このまま帰りのホームルール始めるか」

「やった!」


 声を上げて喜ぶ上戸くんに心の中で感謝する。ナイス上戸くん!


「でも教室からは出さないからな。それはホームルームに入ってから。バレたら怒られるの俺なんだからな」


 こんな調子で、担任である千石先生と1-Aのメンバーは早速、いい感じに仲の良い関係を築けていた。


 千石伊織、英語科に所属する黒ぶち眼鏡がトレードマークの三十代前半の男性教諭。百花院はベテラン教師が多く、三十代前半でも十分に若い先生だ。他の先生よりも生徒との距離が近いし、仲がいいイメージだ。


「一年生は来週から本格的な通常授業になる。教科書忘れるなよ、もしノートとか用意してなかったらこの土日の間に揃えておくように。」


 先生であるべきところはしっかりと先生をしているけれど、休み時間や放課後には生徒に対してラフな対応でコミュニケーションをとっている。生徒を可愛がりながらも、そこには決して見下すような言動はない。かといって、熱血先生というタイプでもない。


「それと、部活見学も来週からスタートだな。うちにはユニークな部活が多くあるし、とにかく見に行くことをオススメする。それと、部活動説明会が来週金曜日の五・六限目に予定されているから、部活に悩んでいる人はそこでチェックできるからそれからでも遅くないからあまり焦らなくていい」


 さっきほどまでおちゃらけた様子で茶々をいれていた上戸くんも、先生が真剣に話してる間は口を挟まずしっかりと教壇を見ている。


「部活見学の期間は一応、四月いっぱいで、入部届には担任の印が必要だから必要事項記入したら俺のところまで持ってくるように。連絡はそんなところかな」


 ちょうどいい所で授業終わり、そして帰りのホームルーム開始のチャイムが鳴った。生徒たちが揃ってチャイムに嬉しそうな反応をしたからか千石先生は嘆息した。


「はいはい、じゃあ今日はここまで。慣れない事ばかりで色々と大変な一週間だったと思う。土日でしっかりと休んで、また月曜日に」

「「「はーい」」」

「それじゃあ、日直宜しく」


 千石先生の言葉を今日の日直である女子生徒が受け取る。


「起立、礼、ありがとうございました」

「「「ありがとうございました」」」

「はい、ありがとうございました。教室出てもあんまり大きな声で話さないように」


 気持ち小さめの声で帰りのあいさつをした。早速、教室を出て行く人もいれば、部活見学に行くべく話しあっているグループもある。

 部活、部活動ねぇ。生徒会に入るなら部活動は必然的にできなくなるから全く考えていなかった。


「ごめん律葉、先に生徒会室行ってて」


 表用の猫を被っている柊にそう言われたので一人で生徒会室へ向かう。プラネタリウム室は天文部が使っているって桜子先輩が言っていた。部活動の数の多さは百花院のアピールポイントの一つだ。

 生徒会役員になるのなら部活動の数と名前ぐらいは把握しておかないと。生徒会室に一覧があるだろうからそれを見せてもらうとしよう。そんなことを考えていたら生徒会室に到着していた。

 三回ノックしてから部屋に入る。


「失礼します」


 人が、倒れていた。

パウンドケーキやマドレーヌなどの個包装のお菓子をぶちまけたまま倒れている。うつ伏せに倒れているから顔は見えないけれど、暗めの赤髪は間違いなく司先輩だ。


「司先輩!?大丈夫ですか?」


 思わず駆け寄る。気を失っているとしたら一大事だ。すぐにでも助けないと。意識と呼吸の確認を、


「えっ!ちょ、律葉なんでっ」

「うわっ、起きてたんですか!?」


 肩を掴んでひっくり返そうとしたら急に自力で起き上がったので私まで驚いて尻もちをついてしまった。


「えっと、とりあえず大丈夫ですか?」


 倒れているのかと思ったけれどそういうわけじゃなさそうだ。

 それにしてもなんだろう、この違和感は。なんとなくだけど、普段と違う気がしてならない。司先輩からいつものような覇気がないような。いつもは人の目を強引惹きつけるようなオーラがある人だ。

 そしてそのオーラに見合った我の強い性格。俺様気質、とでもいうのだろうか。そんなオーラが薄い気がした。


「ちょっと、その、あれだ。躓いて、転んだだけだ」


 司先輩は分が悪そうにそう言ってぶちまけたでお菓子をいそいそと拾い始めた。どことなく背中が小さく見える。


「え?躓いて、転んだ?」


 司先輩は私の独り言に大袈裟なくらい肩を揺らした。

 あっさり聞き流しそうになったけれど、よく考えればおかしい。躓いたであろうところ見てみる。そこには段差もなければ室内なので石があるわけでもない。


「一体何に躓いたんですか?」

「……足」

「へ?」

「自分の脚に躓いてコケたんだよっ!悪いか!?」


 せっかく拾ったお菓子をぽろっと落としながら司先輩は叫んだ。うわぁ、かっこ悪ッ。ツッコミを入れるとめんどくさいことになりそうなので心の内に留めておく。


「別に悪くはないですよ。というかマリア先輩いないんですか?」


 一条グループ本家の一条家、その一人息子で長男であるのが一条司先輩で、分家の五条家は代々一条家当主に遣えてきた間柄でありだから司先輩の従者をしているとマリア先輩が言っていた。


「あいつと常に一緒って訳じゃない。学校にいる時ぐらい別行動でもいいのにあいつが付いて回るだけだ」


 司先輩は冷めた口調でそう言いながら、拾ったお菓子をバスケットに戻してから机に置いた。置いた拍子にまたお菓子が一つころっと飛び出していそいそとバスケットに戻していた。


「私、お茶淹れますね。茶葉は何がいいですか?」

「俺も行く」


 司先輩がそう言ったのでキッチンへ向かう。キッチンへのほんの数メートルに間にも「うおっ」と言っていた。多分、足がもつれたんだと思う。酔ってんのかな?


「本当に生徒会室とは思えないほど豪華ですよね」


 瓶詰になった茶葉は数十種類。ティーカップにソーサー、シュガーポットにミルクポットまで同じデザインのものが用意されているし、お菓子だって小暮坂の和菓子からブランドものの洋菓子まで揃っている。


「そうか?こんなもんだろ?」


 お坊ちゃんにとってこの程度は当たり前ですか、そうですか。嫌味をぐっと堪える。


「あ、コーヒーもあるんですね。コーヒーにしますか?」

「……いや、コーヒーはいいだろ。紅茶にするぞ。桜子先輩とか紅茶好きだし」

「わかりました」


 私がお湯を用意している間に司先輩はティーポットに茶葉を用意していてくれた。ありがたいけれど、ちょっと茶葉入れ過ぎじゃない?と思ったけれど戻すのもあれなので黙っておく。

 お湯を注ぐ拍子に「あっつ」と言っていたけれどそれについても黙っておいた。

 あれ、司先輩ってもしかして。そう言いたい気持ちがどんどん膨れ上がっていく。部屋に戻ってきて、私も司先輩も定位置に付き、司先輩がカップに紅茶を注ごうとして、


「うわっ!えっ、なんで!!」

「なにやってるんですか!?」


 注ぐのに慎重になりすぎてカップとは検討違いのところに零していた。何か拭くもの、タオルとかティッシュとか。


「落ち着いてください。服が汚れてしまいますよ」


 いつの間にか生徒会室に来ていたマリア先輩は落ち着いた様子でテーブルの上に零れた紅茶をタオルでささっと片づけていく。細くて透き通るような金髪のサイドテールが揺れる。

テーブルの外から内へ、タオルでふき取りテーブルはすぐに綺麗になった。


「マリア先輩、いつの間に」

「すみません、日直で遅くなりました。律葉、お洋服は汚れていませんか?」

「私は、大丈夫です。それよりも司先輩の調子が悪いみたいで」


 躓いたり転んだり紅茶を盛大に零したり、明らかに通常運転ではない様子だ。


「あぁ、司がポンコツなのはいつものことなので律葉は気にしなくていいですよ」


 ポンコツ。そう言った瞬間だけマリア先輩の綺麗な碧眼から光が失われた気がした。


「ポンコツって、お前、後輩にそんなこと教えなくていいだろ」

「後輩に教えていないせいでクソ迷惑をかけているんでしょう?つまらないプライドは捨てたらどう?」


 マリア先輩の一言で司先輩は一撃で閉口してしまった。

 もしかして司先輩の裏の顔、つまりは本性って、


「コーヒーが飲めない。炭酸も飲めない。実は砂糖を入れなければ紅茶も飲めない。ピーマンが苦手。カレーは甘口しか食べられない」


 さっきコーヒーを拒否したのはそういう理由だったのか。

 マリア先輩は楽しそうな表情のまま淡々と続ける。


「よく階段から落ちる。何もない所で転ぶ。朝に弱い。夜にも弱くてすぐ眠くなる。お化けが怖い。だからホラー映画もホラーゲームも無理」


 美人の真顔はこんなにも怖いものなのか。いつも、控えめな笑みを浮かべているからそこの差もありなお怖く思えてしまう。


「すぐに落ち込む。すぐに泣く。いじけて拗ねる。本当は俺様なんかじゃない」

「もういいだろっ!やめろッ!!」


 司先輩はそう叫んでキッチンとは別方向にある奥の部屋へ走って行ってしまった。バタンと扉を閉める大きな音とともに「痛ッ」という悲痛な声が聞こえてきた。


「……もしかして司先輩の本当の顔って」


 そんなまさか、普段は俺様キャラの言動を放ちまくっている人が。


「驚くほどのドジで、意気地なしのヘタレ野郎なんですよ」


 マリア先輩は綺麗な笑顔であっさりとそう言い放った。

 えーっと、つまり、普段は強気で俺様キャラの司先輩は意気地なしのヘタレでドジっ子で、ハーフで完璧メイドのマリア先輩は主人に対してのみ毒舌&鬼畜ってことらしい。

 一番表と裏が乖離しているのは司くんとマリアちゃん。桜子先輩のそんな言葉を思い出していた。

 いや、全員キャラ濃すぎですよ。そんなツッコミはマリア先輩が淹れ直してくれた紅茶とともに流し込んだ。


 今日、ツッコミを制御しすぎていてなんだか今すぐにでも叫びだしたい気分だ。

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