第11話 生花と造花

「また何かあったらいつでも質問してね」


 桜子先輩はそう言うとふわりと微笑んだ。どんな仕草も品と余裕がある、まさに女子高生版の大和撫子のような人。


「ありがとうございました」


 温室のあと、学校の敷地内をぐるりと一周してから教室に戻ってきた。学校案内の時間はゆうに一時間を超えていた。体育館二つに室内プール、そして舞台とシート座席のある記念ホールなどなど、校舎の外にも新しく立派な設備が整っていた。


「桜子先輩、すごく優しかったね」


 真紀は桜子先輩がいなくなった廊下をぽーっと眺めていた。芹那が真紀を教室まで引っ張ってくる。


「でもまぁ確かに、三年生になった自分があんなに立派になれているとは思えないよね」


 芹那の意見に同感だった。たった二年しか違わないはずなのに、もっと年が離れているように思えて仕方がない。私が卒業する頃には桜子先輩や天城先輩のように成れているのだろうか。

 けれどそれ以上に、誰かから言われた『造花』という言葉が気になって仕方がなかった。


「美人だし落ち着きもあって憧れだよね、って律葉ちゃん?」

「あ、ごめん志乃、何?」

「ぼーっとしてたから。何か考え事してた?」

「ごめんごめん、なんでもないよ」




 生徒会室は特別教室棟三階、図書館の隣にある一番奥の部屋。


「失礼します」


 生徒会室には天城先輩と桜子先輩、そして小暮坂が到着していた。


「おはよう律葉」

「おはようございます、天城先輩」


 天城先輩はいつも通り部屋の正面にある重厚そうな椅子に腰かけていた。


「そういえば、生徒会って座席とかあるんですか?」

「席?特にない、よな?」


 天城先輩は不思議そうな顔をして桜子先輩を見た。


「正式に決まっているわけではないけど、なんとなくここがみんなの席になってるかな」


 桜子先輩はここ、とガラステーブルを囲んだボックスソファを指差した。


「自分が居心地よかったら別にどこを使ってもいいよ。あれとかさ」


 そう言って天城先輩が指さした先にあったのは、窓際に一セットだけあるアンティーク調のテーブルと脚の長い椅子。あれ置物じゃなくて使ってもいいやつだったんだ。明らかに高そうなものだからインテリア寄りのモノかと思っていた。

 いきなりそこに座るのも気が引けて大人しくこれまで座っていたボックスソファ、柊の隣の席に腰を降ろした。


「そうだ律葉、強制するつもりはないけど生徒会メンバー間では名前で呼び合うのが通例みたいになってる。それに、今年からは小暮坂が二人いるしね」

「えっと、じゃあ……真先輩」

「それでいい。苗字に役職で呼び合うのなんて正式な場だけでいいから、肩が凝る」

「真先輩、早速質問してもいいですか?」

「いいよ、なんなりと」


 真先輩がこのことを知っているという確証はないけれど、この学園のことなら生徒会長に聞くのが一番の近道だろう。


「造花ってなんですか?」


 『造花』紙や布などを使って本物の花に似せて作った枯れることのないまがい物の花のこと。最近は百均でもクオリティの高いものがたくさん売られている。

って、そうじゃなくて。そんなことは誰でも知っている。


「誰に言われた?」


 冷たい声だった。真先輩特有の、知性を感じさせながらも年相応の柔らかさを纏った雰囲気などそこには欠片も残っていなかった。


「面と向かって言われたわけじゃないので……誰かまでは。噂しているのを偶然聞いた感じで」


 自分が悪いことをしたわけではないのに少し呂律が乱れた。座っているのに足元がぐらつくような感覚。

 真先輩は長く重い溜息を吐いて、ややあってから口を開いた。


「造花、またはレプリカは外部生のことを指す隠語だ」


 こちらに向き直った表情はいつもの落ち着きを半分ほど取り戻したようだった。


「使用禁止を暗黙の了解レベルに落とし込んだつもりだったけど――まだ使うヤツいたのか」


 天城先輩が見やる先には、柔らかな春の光が降り注いでいる中庭がある。柔らかな芝生、色とりどりの花、自然の源となる水が流れる噴水。天気がいい日の中庭の風景はきっと絵にしたらとても美しい。

 けれど、この温かく美しい場所の地中奥深くにはしっかりと根付いた黒いものがある。


「昔はね、今よりも内部生と外部生の溝が深かったみたいでかなり険悪だったらしいの」


 桜子先輩がぽつりぽつりと話し出した。


「この私立百花院学園は、由緒正しき歴史と品位ある学校よ。昔から大企業の跡取り息子や有名な資産家の愛娘が多く在籍してきた。自分で言うのも気が引けるけれど、この学園にはある程度の頭とそれなりのお金がないと入れない。そういう人たちが集まるから、百花院というブランドは意図せずとも成長して知名度を上げてきたの」


 百花院学園、日本でもかなり有名な学校法人の一つ。世間的な評価は桜子先輩が言ったようにある程度の頭脳とそれなりのお金。偏差値、という点以上にお金持ちが通う学校という認識の方が世間的には広まっている。


「そのブランド力が大きくなり過ぎたのかそのうち学園の在籍期間で優劣をつけるような考えが広まったようでね、百花院という名前にちなんで在籍期間の長い内部生は生花、途中入学の外部生は百花院の偽物・まがい物というレッテルとして造花、そこから派生してレプリカなんて隠語が生まれたのよ」


 桜子先輩は「勿論、今ではそんな考え方をする人の方が少数派なんだけどね」と少し明るい口調で付け加えた。


「立場に胡坐かいて虚構にブランドぶら下げて何がプライドだ。他人を貶めなきゃ自己肯定感上げられないようなものをプライドなんて言わないんだよ」

「真、少し言いすぎなんじゃない」


 真先輩の顔も見ずに桜子先輩はあっさりとした口調で言い放った。


「……悪い、頭冷やしてくる」


 それだけ言うと真先輩は、イラついた足取りのまま奥の部屋へ引っ込んでいってしまった。桜子先輩の嘆息が部屋に響く。


「姉ちゃん……じゃなかった、桜子先輩、真先輩放っておいて大丈夫?」


 柊が伺うように顔を上げる。


「大丈夫よ。と言いたいところだけど、真はこういったこと大っ嫌いだからね。すぐ感情的になるのよ」


 嘆息した桜子先輩は柔らかな笑顔で私たちに語りかける。


「このメンバーの前じゃなければあんなすぐ感情むき出しにしないから平気よ」

「そっちの心配じゃなくて造花って単語にあそこまで反応した方が気になったんです。造花って言われたのは私で、真先輩が侮辱されたわけじゃないのに」


 私が名前も知らない誰からからちょっと陰口を言われただけ。それだけのこと。真先輩があんなに思いつめた表情をする必要はないはずだ。


「真はね、じゃれ合いの冗談ならともかく、誰かを貶めてそこに価値を見出すってやり方が許せないのよ。特に、私たちのような家に生まれるとそういう人間をよく目にするの。自分の力じゃない、ただ運が良くって多少恵まれていただけなのに、それを自分の実力だと勘違いし、他人を自分勝手な定規で計っては見下し、威張り散らかしているような人をね」


 目の前にいる私たちを見つめながらも桜子先輩の目はどこか遠くを見ているようだった。


「さっきはみっともないところを見せてごめん」


 さっぱりとした表情になった真先輩はティーセットを乗せたトレーを手にして戻ってきた。


「お詫びにもならないけどお茶淹れてきた」

「ごめん真先輩、会長にそんなことさせて」


 柊が慌てたように立ち上がったのを真先輩は緩く制した。


「会長とか気にしないで。冷静になりたくてやってきただけだから。ちなみにお茶はハーブティーだよ」

「ハーブティーの主な効果は自律神経を整える」

「桜子、聞こえているよ」

「聞こえるように言っているのよ。ありがとう」

「いいえ。はい、律葉の分」


 ソーサーと同じ柄のカップがセットされる。


「ありがとうございます。いただきます」


 口に含めば、はっと目の覚めるような爽やかな香りが口いっぱいに広がった。真先輩は正面の机ではなく、桜子先輩の隣に座った。

 誰も喋らない。どこからか合唱部の歌声や廊下を走る足音、運動部の号令が聞こえてくる。学校が生きている音がしていた。


「もし今後、特定の誰かに造花と言われたり、外部生であることを執拗に糾弾されるようなことがあったらすぐに言って欲しい」


 真先輩からは至極真面目な、確固たる意志を感じる気迫があった。


「個人的な意図もあるけれど、それ以上に生徒会長として学園で起きている問題は把握しておきたいから」


 ティーカップから口を離して暫く考える素振りを見せてから真先輩はそう言った。その表情も声も、すっかりいつもの好青年のものに戻っていた。


「わかりました。何かあったらすぐに報告しますね」


 この時の私は、自分を取り巻いている状況をまだ正確に把握できていないからこんなことを簡単に約束できたのだった。

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