第12話 紫陽花4

 ジルのエスコートで庭園の小道を歩く。


 サラの記憶にある限り、こんな風にジルから誘われるのは初めてのことだった。

 歩を進めるごとに疑問と不安がつのる。

 よりによってこのタイミングで、いったいどんな話だろうか。

 もしや、食事中にジルを盗み見ていたことに気付かれて、不審に思われているのか……。

 いつもなら気持ちを華やかにしてくれる庭園の花達を見ても、サラの緊張がほぐれることはなかった。


 ブロンデル邸の庭園は、エリーズの記憶の中にあるグラニエ邸の庭園ほどの広さはないものの、よく手入れされた庭だ。

 元々、サラの父も母も庭園にさほど興味はなく、使用人達が片手間に手入れをしていたらしい。サラが産まれてから、花の好きな娘のために熟練の庭師を雇い入れたと聞いている。

 その初老の庭師の手によって、ブロンデル邸の庭園は季節ごとに美しい花を咲かせるようになった。

 二人が歩く小道の両脇では、今が見頃の薔薇達が色とりどりに咲き誇り、華やかな香りを放っている。


「そういえば……サラお嬢さんは花にお詳しいのですよね。前世の記憶をお持ちだと聞きました」


 歩きながら薔薇に目をやるサラに気づいたのだろう。話題を探るようにジルが言った。


「詳しいと言っても、名前と花言葉くらいなんです」

 

 花に目を向けたまま、サラは答える。

 本当は、花の記憶だけではない。サラは前世の記憶のほとんどを取り戻している。けれどそれを誰かに打ち明ける気にはなれなかった。ましてやジルには。


「ジルは……花は好きですか?」


 何気ない風を装ったが、その質問を口にしたとき、サラの声は緊張でかすかに上ずった。

 ジルの返答までには、言葉を探すようなわずかな間があった。


「……好きか嫌いかと言われれば好きですが、残念ながらあまり詳しくはないですね」

「そう……」


 サラは密かに安堵の息をつく。

 ジルの答えは、彼が前世の記憶を持っていないことを示していたからだ。

 ジルが『記憶持ち』なのかどうか。サラにとってはとても重要なことだ。そうだという話はこれまで耳にしたことがなかったが、できることなら本人に確かめたいと思っていたのだ。

 ジルが『記憶持ち』でないならば、サラがエリーズの生まれ変わりだということにも、もちろん気付いていないはずだ。というより、気付きようがない。

 事実、サラはこれまで、ジルから特別な感情を感じたことはなかった。


 だけど、もし。

 もしもこの先、ジルが前世の記憶を取り戻したら、どうなるのだろうか。


 『契りの腕輪』を交わし、来世を誓い合ったエリーズとジャン。

 二人は同じ時代に生まれ変わり、再び出逢った。

 目には見えない糸に手繰り寄せられるように。

 そして、もしオレールとの婚約がなければ、サラはジルと結婚するはずだった。

 二人は結ばれる運命だったのだ。


 その運命を一方的に壊したのはサラだ。

 サラがオレールと恋に落ち、運命は壊れた。 


 ジルは知っているのだろうか。アルマンがジルをサラの婿にと望んでいたことを。

 軽はずみなことを口にする父ではないから、ジルに話したとは思えない。

 けれど、聡いジルのことだ。察しているのではないだろうか。


 もしジルが前世の記憶を取り戻したならば。

 ジルはすぐに気付くだろう。

 サラがエリーズの生まれ変わりであることに。

 サラがジルに気付いたように。

 その頃にはもう、サラはオレールの妻になっている。

 前世の誓いを違えたサラを、ジルはどう思うだろうか――。

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