いつものラーメン屋で、俺はお前を待ち続ける③


 殆ど無意識だった。


 離れたリゼさんの手を俺は強く握り返していた。


「……レオン……君…………?」


 リゼさんの困り顔が俺の視界に突き刺さる。


 自分でも何をしてしまっているのかわからない。


 いや、嘘だ。

 全部……わかってる。



 エリシア……。

 頭の中に浮かんだのはエリシアの笑顔だった。


 俺がもし降格になったら……どんな顔するのかな。また、ダサいって言われちゃうかな。


 笑顔じゃ、なくなっちゃうかな……。


 また、心配掛けちゃうかな。

 

 また、何処かに行っちゃうのかな。


 また……………………。



 Aランク冒険者に縋りたい。

 その気持ちが俺にリゼさんの手を握らせた。間違ったことだとわかっているのに、その手を掴んでしまった。



「わかったよレオン君。お姉さんに任せなさい!」

「リゼさん……俺……」


 覚悟を決めたのか、リゼさんは花のような笑顔で俺の手を強く、再度……握り返してくれた。


 そしてスカートの裾を強く掴み、優しく微笑んだ。


 リゼさんが居ればどんな困難にだって立ち向かえる。仮に所長の思惑があったとしてもそれを跳ね除けるだけの力を振るえる。


 だけど、それをリゼさんは望んでいない。


 リゼさんの手は俺から一度離れた。


 なにより、魔術適正もなく武術の心得もない。ごく普通の女の子が冒険者になるなんて……ありえない。


 なにやってんだよ俺は……。

 

 本当にどうしょうもないゴミ野郎だ。独りよがりのわがままを俺はまた……。



「リゼさんごめん。俺……全部わかっててリゼさんの優しさに甘えようとした。でもこんなのはダメだ。こんなことをしてしまったら、俺……俺…………一生後悔する。だから……だから……リゼさんは冒険者組合の受付のお姉さんで居てください。お願いします……」


 俺の言葉の重みを、覚悟を察してくれたのか、リゼさんは優しく頭を撫でてくれた。


 そして今の俺が欲しい言葉を的確にかけてくれた。


「わかった。私はここでレオン君の帰りを待つ、受付のお姉さんで居るね……!」


 それ以上はお互いに踏み込まない。


 だって、この一線を超えた先にあるのは…………。


 そうして今度こそ本当に、俺とリゼさんの手は離れた。

 

 しかし、そんなしんみりした空気は俺とリゼさんだけのものだった。


 ……大切なことを忘れていた…………。

 

「なにを言っているんだね君たちは? リゼ君が冒険者? スキルは魔術は? 頭でも打ったのかね?」

 

 所長から的確で鋭い正論が飛んでくる。


 ……あ!

 と、俺とリゼさんは目があった。


 これにはきっとグリードたちも唖然としていることだろうなと思ったのだけど……?




「兄貴、ちょいと待ってくだせぇ」


 俺とリゼさんのやり取りに疑問を抱く様子もなく、そう言うと所長に近付いた。


「おい腹黒たぬき、何を企んでやがる? その依頼書貸せや!」


「な、なんだね君は! 乱暴はよしなさい!」


 グリードはお構いなしに勢いよく所長から依頼書を取り上げると、隅から隅まで物色し始めた。


「……本物、か」


 それはまるで偽物があるような言い方だった。


 どうしたって言うんだよグリード……?


「兄貴! あっしは兄貴さえ良ければこの依頼、同行しやすぜ! 元よりこの命、兄貴に捧げると誓いやしたので!」


 なんだって……?

 グリードが同行してくれるならこれほどまでに嬉しい申し出はない。もとよりグリードと行くつもりだったからな。


 でもあんなに嫌がってたじゃないか……?


「いいのか?」

「ええ。兄貴を降格なんてさせません。これでも腕っ節には自信あるんすよ!」


 こいつ……!!


「グリード……恩に切る!」

「当たり前っすよ。……なぁお前ら!」


 いつから居たのか言葉の先へと振り返るとそこにはグリードの子分たちの姿があった。


   「「「へい!」」」


 ケラケラと笑いながら元気よく返事をした。そして俺の元へと近寄ってくる。


 「それにしても兄貴さん! 朝からお熱いっすね!」

 「恋人繋ぎだなんて焼いちゃいますねぇ!」

 「あぁ、心がポカポカ温まりましたぜぇ!」


 相変わらず茶化してくるだけだった。


 リゼさんに隠された力があるとか、なんかそんな誤解をしているのだろうか。


 まあ確かに、今日まで疑われることなく強者を演じて来られた。


 その強者である俺が頼る存在ともなれば、疑いの余地などないのだろうな!



 そうして俺たちは、はぐれドラゴン討伐の依頼を受けることにした。


 

「レオン君、くれぐれも気をつけてね。レオン君にもしものことがあったら私……やだよ。あのたぬき親父がポケットマネーを出してまで依頼してくるなんて真っ黒だから」


 俺にとって所長は良い人なのだが、リゼさんとグリードの中では違うらしい。


 だからをリゼさんの言いつけどおりに身を引き締める。


「はい!!」

「うん。良い子だね」


 必ず帰ってくる。

 リゼさんの居るこの場所に!


 

「リゼ君。私はまだここに居るんだがね。悪口なら聞こえないところでしてくれないか?」


 またしても所長から鋭い正論が飛んできた。



「あっしもたぬき親父は信用ならねえっスけどね、この依頼書は本物っす。しっかりと国の捺印も押されている。さすがに腹黒たぬきと言えど、この捺印を偽造したとなれば処刑は免れない」



「まったくどいつもこいつも。目上のものに対する態度がなっとらんな本当に。私を悪者呼ばわりするとは、初等教育からやり直せ!」



 そんなこんなでリゼさんと所長に見送られながら、俺たちは、はぐれドラゴンの討伐へと出発した。



 ◇ ◇



 荒廃の進んだ荒れくれた土地。


 ここに来るまでに魔獣に二度も遭遇した。正直、死ぬかと思った。


 でもこいつら、グリードファミリーは俺が思うよりもずっと強かった。



「依頼書の地図だとこの辺なんスけどね……」

「ドラゴンとは言え弱っちいやつなんだろ? どこかに隠れてたりするんじゃねえか」


「そうなると厄介っすね。俺らの中に索敵系統の魔術やスキルが使える者は居ないっスから……」


「時間はあるんだ。地道に探すぞ!」


 「「「へい!」」」

 


 不思議と安心感に包まれていた。

 グリードのことを単なる脳筋だと思っていたのだが、なかなかに頭も切れる。


 まるで威を借る狐だが、俺はあの日こいつらに殺されかけたからな。


 それこそエリシアが居なかったら確実に死んでいた。


 だからいいんだ。

 これくらい利用しても罰は当たらないだろう。


 それよりも強者を演じることに専念しなければ!!


 グリードたちには感謝をしているが、一度掛け違えたボタンは簡単には戻らない。


 なにより俺は強者を演じている。


 グリードたちを騙してこの場にいる。そんな俺が余計な感情を抱けば、それは今後の妨げにしかならない。


 だからこれでいい。

 この気持ちだけは最初からずっと、変わらない。



 とはいえ浮かれていた。持てはやされ、自分が弱いということさえも忘れていた。


 そうして、その瞬間は訪れる。


 なんの前触れもなく、忽然とそいつは姿を現した。




 ◇ ◇




「嘘だろ……? トワイライトブラックドラゴン……!」


 グリードの戦慄に駆られた声が聞こえた。


 突如として大きな影に覆われた俺たち一行は上空に目を向けると、一瞬で死を意識した。


 それはドラゴンの中でも上位種。

 ランクにしてSランク相当の凶暴なドラゴン。


 勝てる見込みなど皆無だった。



「兄貴! 羽目られたんすよ俺ら!! あのたぬき野郎……! 討伐依頼書まで偽造してやがったんだ……!」


「……………………」


 もはや言葉にならなかった。

 どうすることもできない脅威が頭上にいる。


 ──気付いたら俺は、膝をついていた。



 するとグリードは俺と子分たちをみた。


 そして、悟るような顔つきに変わると、


「お前ら、すまない」


 と、言った。

 ……と、だけ? 言った。


 なんだ、この違和感。どうしてお前が謝るんだよ?


 子分たちは互いに目で合図を送り合うと、一斉にグリードのもとに駆け寄った。


 「へへっ、グリードの兄貴。なにを謝ることがあるんすか!」

 「謝るなんて兄貴らしくもない!」

 「とっくに覚悟はできてやすぜ!」


 グリードの肩をポンと順番に叩き始めた。

 何の話をしているのか理解できない。


 俺だけが除け者にされているような、疎外感。


 そうしてグリードが俺のもとへと来ると、優しく微笑んだ。


 それはとても異質で今までに一度も見たことのない顔つきだった。


「レオンさん。いや、レオンの兄貴。着地には十分お気を付けください。おそらく兄貴では耐えられないほどの衝撃になると思いますので、これを」


 有無も言わさず、俺を片手で持ち上げると、ポケットにハイポーションを入れた。


「行きやすよ。そう長くは持ちませんので。着地したらポーションをすぐに飲んで全速力で逃げてください」


「……おい! ちょっとま──」


 次の瞬間、俺は空へと投げられた。


 弧を描くように空の旅へとご招待。



 なにもかもが、ズレていた。

 前提条件さえもズレていた。



 グリードたちが視界から離れていく。


 離れ行く景色の中、グリードの叫び声が聞こえた。



「野郎ども! 命の炎を燃やせ! 俺に力を貸せぇぇええー!」


 グリードの子分たちを薄紅色のオーラが包み込む。そのオーラはそのままグリードへと流れていく。そして一人、また一人と倒れていく。


 それはまるで、命の旋律を奏でるような儚い光景。



 《エクストラアーマー!》



 その後ろ姿は、死ぬ征く者を映していた。




 剣術の才もなく、魔術適正もゼロ。


 流れに身を任せるしかない状況に、己を呪った。



 ──ここは任せて先に行けってか?



「なんなんだよ……。ちくしょう……ちくしょう……ちくしょおおおお!!」



 お前らカスだろ。ドカスだろ!!

 どうして俺を逃がすんだよ……!!




 思い返してみるとおかしなことばかりだった。



 あの日、あの夜。グリードたちを襲った十八連撃。スケベ流が参の型、スカートめくりの舞。


 あれを目の当たりにしているなら、トワイライトなんとかドラゴンとか、倒せるだろうが!


 俺なら!!!



 なのに、どうして……。




 どうして……。




 なんでだよ…………。




 そんなことは、考えるよりも先に答えへと辿り着いている。



 それでも認めたくないから考える。


 

 考えたところで思うことはひとつだというのに。






 ──ざけんな。





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