第2話  隣の席の田淵英梨乃さん

 プロ陰キャの僕に、新学期早々こんなラブコメイベントが発生するなんて、さすがの僕も予想だにしていなかった。もし油断していたら喜びのあまり意識を刈り取られていたまである。 


 でも彼女は痛恨のミスを犯した。


『お隣さんだね、よろしくおきくん』


 このセリフだ。このセリフのワンクッションがあったから僕は耐えられた。


 もし『沖奏おきかなでくん……会いたかったよ』


 彼女がいきなりこっちのセリフをチョイスしていたら……僕はもう、完全に意識を刈り取られていただろう。


 つか何の話だっけ?


「沖くん?」


 ん……? 誰か呼んだ?


「沖くんってば!」


「あ、ああ……」


「会いたかったって言ってるのに、無反応って酷くない?」


 そうだった。


 家族意外と会話をするのなんて久しぶりだから、ついつい自分の世界に入り込んでしまった。家族なら分かってくれるが、普通会話に間を開けると無視してるって取られかねない。


 でもどうする。


 ガチで誰だかわからない。


 素直に間抜けヅラ下げて『どちら様でしたっけ?』って聞けばいいのか!


 僕の脳内wikiよ! 教えてくれ!



「もう! 沖くん! なんで頭抱えてるのよ!」


「え、いや……そ、そんな事は……」


「その手はどこにあるのかな?」


 僕の手は普通に頭を抱えていた。


 彼女は呆れ顔だ。


 これはもう、お得意の自己解決は無理だ。


 観念して彼女に聞くしかない。


 そう思った矢先、彼女はゆっくり僕に近づき、耳元でささやいた。


「私ノブチよ」


 やべっ、ゾクっときてブルブルしてしまった。


 変な奴に見られてないだろうか? いやこの際そんなことはどうでもいい。……どうでもはよくないが、今は置いておこう。


 それよりも……ノブチだと!


 ノブチってまさか……考える間もなく彼女は僕の机に座り自己紹介をはじめた。


「はじめまして、沖奏おきかなでくん 田淵英梨乃たぶちえりのよ」


「は……はじめまして」


「よろしくね」


 ゆるふわミディアム・ワンカールボブに横流しの前髪。


 ぱっちり二重が特徴的な、いかにも陽キャな田淵さん。


 彼女は髪を軽くかき上げ、眩しいまでの笑顔で僕に手を差し出した。


 その手はなんだ……握手を求めているのか?


 笑顔、エーンド(&)握手で挨拶を交わす。


 それは陽キャ同士のみに認められたイベントではないのか?


「もう! いちいち止まんないでよ!」


「あ……ごめん」


 僕はズボンの膝で手を拭いてから彼女の握手に応じた。


「よ、よろしく」


 田淵さんが席に戻り、僕を横目で見ながらニヤニヤしている。


 そんなことはどうでもいい。……どうでもよくはないが、今は置いておこう。


 それよりも彼女が名乗ったノブチ。


 僕はノブチを知っている。


 なぜならノブチは……数少ないSNSのフォロワーだからだ。


 ノブチとはいつも夜遅くまでコメントでやり取りしている。そのノリの良さと口調から絶対に男だと思っていた。


 ……それがこんなにも可愛い女の子だったなんて。


 ……しかも昨日、調子に乗り過ぎて性癖をさらけ出すような爆弾発言までしてしまった。


 これって……めちゃめちゃ恥ずかしくね?


 相手の顔が見えないからこそ出来る話しってあるよね?


 よりにもよって1番仲のいいフォロワーがクラスメイトで隣の席だと……。


「沖!」


 苦悩に悶えている僕を呼ぶ声が聞こえた。


「沖、さっきから何を悶えてるんだ? とっくにホームルームは始まってるぞ」


 クラスメイトが失笑している。くっ……目立たないつもりだったのに目立ってしまった。


 新しい担任の先生は学校でも人気の先生だった。


 髪はさらさらストレートロングで、ロックな雰囲気を醸し出すカッコいいお姉様。


 軽音部顧問の寺田先生だ。


 寺田先生は噂通りざっくばらんな話しっぷりでホームルームはあっという間に終わった。



 ——よし……帰ろう。


 帰ってじっくりノブチ対策を考えよう。


 席を立ち教室を出ようとしたその瞬間。


「パチ——————ン」


 乾いた音が教室中に鳴り響いた。


 仲良しグループが出来かけて、がやがやしていた教室が一気に静まり返った。


 田淵さんに平手で思いっきり背中を叩かれたのだ。


 痛い……どんな馬鹿力なんだよ!


 こんな痛みを味わったのは入学式のあの日以来だ。


「ちょっと沖奏! さっきの会話の流れで、何も言わずに放っておいて帰るなんて酷くない?」


 な……なんでフルネーム。


 そんなことはどうでもいい。……どうでもよくはないが、今は置いておこう。


 むしろさっきの話しがあったから急いで帰ろうとしたのだが……。


「会いたかったって言ったじゃない! とにかく付き合ってよ!」


 田淵さんの『会いたかった』って言葉で教室がざわざわしだした。


 そして……。




「あ……」




 僕は田淵さんに手を引かれ教室を出た。


 ……絶対に目立ってしまった。


 確実に目立ってしまった。


 僕は明日からこのクラスで、プロ陰キャとしての道をつらぬけるのだろうか。


 そんな不安が脳裏をよぎった高校2年の新学期だった。




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