1-6 オカマと幽霊

「うぅ……この恩知らずの不孝者……」

「何とでも言え。逆に人の寝室をゴミで埋められて拳骨一発で許してくれたオレの寛容さを褒めて欲しいくらいだ」

「姉の頭を二回も打つなんて、この馬鹿弟……」


 中身がぎっしり詰まった、パンパンなゴミ袋は両手に一つずつ持ちながら、クラウドとフィーネの姉弟はまだ明るい街頭を歩いていた。

 フィーネの頭には痛々しいたんこぶが出来上がっており、さっきからブツブツと文句を垂らしている。


「……で、このゴミどうするの? ゴミ出しは早朝からだよ?」

「あんなに部屋の面積を占拠されたら、動きづらくてしょうがないからな。何個か前もって出しといてもバチは当たらん」

「条例違反」

「知ったこっちゃないね」


 全く悪びれることなく規則を破る弟に、フィーネは「少し自由に育て過ぎたかも」と、不良息子を嘆く母親のようなことを呟いていた。


 そうこうしている内に、二人は少し離れた場所にあるゴミ置場に到着した。地域指定のゴミ置場は家のすぐ側に設置されているのだが、あそこに棄てたら犯人がクラウド達だとすぐにバレてしまう。何故なら前科持ちだから。


 故に、クラウドは少し歩いてでも確実にバレない手段に出たのだ。良い子の皆は真似してはいけない。


「バレたら罰金だよ?」

「バレなきゃいい。幸い、こことウチとじゃ区画が二個分離れてる。誰もオレらの仕業とは気付きはしな――」


「あら〜、奇遇ね〜、二人共」


 ピタッと、カラス避けの網を取り外していたクラウドの動きが停止した。


 そしてどっと吹き出す首筋の汗。

 よりにもよって、この場で一番会ってはマズい人物に遭遇してしまった。


「あ、ダーレン。やっほ」

「やっほ〜、フィーネちゃ〜ん。クラウドちゃんが居なくてもちゃんと過ごせるのか心配だったけど、どうやら大丈夫だったみたいね〜」

「ん、らくしょう」


 何がだッ! と叫びたい衝動を抑えながら、クラウドはぎこちない動きで振り向いた。


 そこに立っていたのは、ハートマークのタトゥーの入ったスキンヘッドに、着ている服を内側から圧迫する程の膨張した筋肉。

 一度見たら絶対に忘れることの出来ないシルエット。間違いない。


「……お久しぶりです、支部長」


 ダーレン・マクロスフ。

 ゲラーテ総合順位18位の実力を持つ、“傭兵界最強のオカマ”。通称オカマスフ。

 そして何より、このヘレスニ都市支部を統括する支部長に当たる人物である。


「久しぶり〜クラウドちゃ〜ん! しばらくワタシに会えなくて寂しかったでしょ〜う?」

「いいえ全く」

「も〜う照れちゃって〜! ちなみにワタシは恋しくて堪らなかったわ〜!」

「グフッ!?」


 目にも止まらぬ速さで巨大な肉塊に抱きつかれ、クラウドは声にならない悲鳴を上げる。

 生理的嫌悪感もあるが、それ以上に締め付ける力が常軌を逸していた。


 まるで大型の解体用の機械に挟まれているかのような圧迫感に晒されて、クラウドの全身がミチミチボキボキと文字通り悲鳴を上げている。


「し、支部長、ギブッ、ギブだって!」

「も〜うそんなこと言っちゃって〜! 照れてる顔も可愛いゾ」


 動かない両腕の代わりに、クラウドは全力のキックをその岩のような腹筋に叩き付けているのだが、ダーレンは構わず頬ずりを続けている。


(ね、姉ちゃん、助けてくれぇ……!)


 この窮地を打開すべく、クラウドは首を動かしてフィーネに救援のアイコンタクトを送る。

 今まで目配せだけで意思の疎通を果たせた覚えはないが、きっと大丈夫。

 強固な姉弟の絆をもってすれば、即席の合図でも思いは伝わる筈だ。


 可愛い弟からの言葉なき救援要請を受け、フィーネは了解の合図に親指を立てる。そして、


「ダーレン、それ以上やるとクラウドに嫌われるよ?」

「むん? そうね〜、あまり引っ付き過ぎると返って好感度下がるって言うし〜」

「ゼェ……ゼェ……」


 フィーネの鶴の一声で、何とかクラウドは殺人ハグから解放された。

 自分の体のことだから、クラウドにはよく分かる。あのまま締められ続けていたら、両腕は無事ではなかった。

 自分の窮地を救ってくれた偉大なる姉に、クラウドは感謝と尊敬の眼差しを――


「今夜クラウド持って帰っていいから、ここは我慢しよっか」

「ホント〜!? 分かったわ。昼の間は我慢するわ〜!」

「あれ? 今オレ死刑宣告されなかった?」


 クラウドが己の耳を疑っている間に、ダーレンはステップを踏みながら遠ざかっていった。


『じゃ〜ね〜クラウドちゃ〜ん! 今度依頼でのお話聞かせてね〜!』


 凄まじいスピードだ。恐らく今からクラウドが全力で追い掛けても、追いつくことは不可能だろう。

 そして誤解は解かれることなく、夜にクラウドはあのオカマにテイクアウトされ新たな境地に……。


「これでよし」

「これでよし、じゃねえよ! アンタなんてことしでかしてくれてんだ!!?」


 こちらにVサインを送ってきた姉の両肩を揺さぶり、クラウドは鬼気迫る表情で糾弾する。

 しかし、フィーネはキョトンとした様子で、


「え、だって『イマ ハ ダメダ ヨルマデ ヒキノバシテクレ』ってモールス信号で……」

「あれそんな意味が込められてたの!? ただ切実な想いで瞬き繰り返してただけだけどぉ!?」


 どうやらクラウドが思っていたほど、姉弟間の絆は強くなかったらしい。

 クラウドが興奮しながら、あのアイコンタクトの意味を説明すると、フィーネは「あぁ」と納得して、


「まあいいじゃん。掘られてきなよ」

「嫌じゃぁああああああああッ!! アンタは弟が無理矢理掘られてもいいのか!? オレは嫌だ! 断固ヤダ!」

「え、じゃあ掘るの?」

「どっちもお断りだぁあああああああッ!!」


 いまいち素なのかボケなのか判らない辺りが非常にタチが悪い。

 「ガンバ、ガンバ」と両手の親指を立てる姉の顔面にアイアンクローしてあげたい衝動に駆られる。


「クソ……ッ! こんなことなら周りくどいことせずに適当にこのゴミ不法投棄しときゃよかった……!」


「それは見回りをしている者としては見過ごせないなぁ」


「今度は誰だ――って、なんだ、ユリウスか」


 クラウドが懺悔の涙で顔を濡らしながら首を上げると、そこに立っていたのは爽やかな金髪のイケメン傭兵。

 どうやら見回りの途中なのか、その腕には当番の証である腕章がはめられていた。


「なんだとは心外だな。絞め殺される鶏みたいな悲鳴を聞いて急いで駆け付けたのに」

「出来ればもう少し早く来て欲しかったんだが……」

「そうだね。見てて凄く面白かった」

「いや助けろよ相棒!?」


 最近このイケメン、黒い自我でも目覚めたのではないかと思うことがままある。

 いや、もしかしたらクラウドが気付かなかっただけでずっと前から芽生えていたのかもしれない。


「あ、そう言えばいいのかいクラウド。そろそろ行かないと約束の時間に間に合わないと思うけど」

「え? あ……あぁ!!」


 ユリウスの言葉で思考が一気に吹き飛び、クラウドは懐から取り出した懐中時計で時間を確認する。

 既に針は、今すぐ街を出なければ約束に間に合わない時間帯を示していた。


「約束? 何のこと?」


 一人だけ事情を知らないフィーネが首を傾げるが、説明している暇はなかった。

 何より、説明したら確実にこじれる。


「と、取り敢えずサンキューなユリウス!」

「いえいえどういたしまして。ああ、念のため『セト』はしっかり持って行くようにね。不法投棄の件は、未遂だから許してあげるよ」


 親友にお礼を言って、クラウドは姉から逃げるように都市の門へと駆け出していった。


「……ねえユリウス、約束って何?」

「(あ、やべ)……そ、そんなことよりフィーネさん、ちょっと耳に入れておきたいことがありまして……」

「そんなことじゃない。そっちを早く教えて」

「いや、まあまあ。これ実は結構洒落にならないことでして」

「ん、分かった。じゃあ後で教えてね、絶対。……絶対ね?」

「あ、はい(これ教えなかったら殺されるヤツだろうなー……)」


 一歩も譲ろうとしないフィーネの揺るがぬ意思を目の当たりにして、ユリウスは内心クラウドに謝りながら、本題について説明し始める。


「実はですね、ヘレスニのいたるところに、出たみたいなんですよ」

「出たって、何が?」

「何がって、そりゃ――」


 ここでユリウスは勿体ぶるように一拍置いて、言う。


「幽霊ですよ」


 ◆◆◆  


 “風導ブースト”という補助魔法が存在する。

 術者をマナで創り出した風で幾重にも覆い、攻撃と同時に防御もこなし、尚且つ身体能力を底上げするという、低階級だが使い勝手のいい魔法だ。


 それを全出力解放にして、クラウドは街中を駆け巡っていた。

 当然、街中での例外を除いた魔法の使用は禁止されている。だが今はその例外に含まれてもいい筈だ。


 もしクラウドが約束の時間に遅れてしまったら、気になったユキが森を出て、このヘレスニに訪れる可能性も十分ある。

 何せクラウドがこの都市の存在をユキにバラしたから。方角も距離もバッチリ伝えてしまったから。


 だから十分あり得る。他ならないクラウドが原因で、零の階位がこの都市を訪れるという事態が、十分起こり得る。


「だからその非常事態を前に魔法を何回か使用したって大したことないないな――――ん?」


 突然、全力疾走していたクラウドが急ブレーキをかける。

 地面と擦れた靴底が軽く発熱するが、クラウドの注意はすぐそこにある路地裏の方に向けられていた。


「……誰か、いるのか?」


 人がいるような気配は感じなかった。目立つ物音や異臭がしたわけでもない。

 ただ、そこに何かいると、漠然としたナニカをクラウドは感じ取っていた。

 返事は聞こえない。だがどうしても、クラウドはその予感を気のせいで終わらせることが出来なかった。


 無言で路地裏の中に入る。

 高い建物同士の隙間に発生したその空間は、昼間だというのに日の差し込まない薄暗さを作り出している。


 やはり人影は見当たらず、気のせいかと、クラウドが納得いかないように渋々路地裏から出て行くと、


 ――私が、分かりますか……?


「はッ!?」


 頭に直接語り掛けるような、ノイズの入った音声。

 何事かとクラウドが周囲を見渡し、そして路地裏の中にソレを見た。

 空中に陽炎のように朧げに蠢く、影のような何かを。


「何、だ……お前は」

『あの方を、どうか……』

「お、おい!」


 クラウドがその影の元に行くよりも早く、ソレは宙に溶けるように消えていった。

 その残滓に手を伸ばすも、クラウドの手が触れたのは、ソレが掻き消えた後のただの空気だけだった。


「何なんだ……今のは……」

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