1-5 姉
支部から歩いて数分の位置にある、二階建ての一軒家。ここがクラウドの家だ。今は同居人の二人で生活している。
その自宅の玄関の前で、クラウドは何故か緊張の面持ちで佇んでいた。
しばらくそのまま直立不動の体勢で過ごしていたのだが、意を決したかのように、そのドアノブに手をかけた。
「ただいま……」
そっと、音を立てずにクラウドは自宅のドアを開けて中に入る。
いつもは雑に脱ぎ捨てる靴も、丁寧に足を抜き取って、抜き足差し足で廊下の先のリビングへと向かった。
「……いませんように」
祈りながらドアを僅かに開けて覗いた先は、どうやら無人のようだった。クラウドは感覚を研ぎ澄ませて、この薄い木の板の先の気配を探るが、やはりそれでも人の存在を感じない。
恐らく、何かしらの用事で出掛けていると見て間違いない。
ホッと胸を撫で下ろして、クラウドはドアを開けて中に入った。
「……汚ねえ」
その先に広がっていたのは、一言で言い表すなら『ダメ人間の部屋』だった。
床には無造作に脱ぎ捨てられた衣服が乱雑し、キッチンは食器が洗われることなく山のように積み上がり、生臭い異臭を発している。
六日前に家を出たときとは、悪い意味でビフォーアフターしてしまった我が家の惨状に、クラウドは一つ盛大に溜息を吐いた。
まさか、一週間も経たない内にここまでされるとは思っていなかった。いや、想定はしていた。だが考えたくなかっただけだ。
「ったく、ちゃらんぽらんは……。生活力壊滅的にも程があるだろ」
もう既に昼前だというのに、部屋のカーテンは閉められたままだ。
せめてこのジメジメした部屋に陽の光を浴びせようと、クラウドはベランダのカーテンを――
「(カシャッ)お帰り」
――開けた先には、浅緑色の少女が気配無く立っていた。
「…………」
二秒後、ウラノアス宅からこの世のものとは思えない大絶叫が響き渡った。
◆◆◆
「イタイ……」
「痛くなかったら罰になんねえだろ、しばらく反省してろ!」
「いいじゃん別に、ちょっと驚かせただけじゃん」
「オレがそんなことで拳を出すか! たった六日でここまでの惨状を作り出したことに怒ってんだよ!」
涙目で頭をさする浅緑の髪の少女に、クラウドはそこいら中に転がるゴミを指差してそう叫ぶ。
「掃除機かけろとか、食器洗えとは言わねえよ。けどせめて整理整頓くらいはしてくれよマジで! これ全部掃除するオレの身にもなれ!」
部屋に明かりが入ったことでより鮮明になった部屋の惨い有様に、クラウドは床から崩れて絶望していた。
何かこう、ゴミ屋敷だった。ゴミや服や何かよく分からないものが山のように積み重なって山脈を形成してた。
だと言うのに、原因である少女は呑気に冷蔵庫から取り出したプリンを頬張っている。その幸せな笑顔、壊したい。
「? 何そんな苛ついてるの? 私でよければ相談に乗るよ」
「アンタが原因なんだよ! いい加減にしろよ姉ちゃん!」
姉ちゃん。
それは一般的に、弟もしくは妹に当たる人物が、姉的存在を呼ぶ際に使われる呼称である。
だが、クラウドの目の前でプリンを食べる少女は、どう見ても『少女』だ。正確には只今絶賛第二次成長期の入口付近といった肉体の持ち主だ。
誰がどう見ても、クラウドの方が歳上に見える筈だ。――筈なのだが、
「なあアンタもう成人だろ? 立派な大人だろ? 一人暮らし出来ないとおかしい年齢だよなぁ!?」
「見たら分かるでしょ?」
「分からないから確認してんだよ」
そう、成人。
目の前の少女は立派な成人だ。二十歳だ。お酒も飲める。パチンコも打てる。
彼女の名は、フィーネ・ウラノアス。
可愛らしい見た目をしているが、そこからは想像も出来ない実力を持った傭兵である。
共に年少期からとある老師の下で切磋琢磨し合った仲であり、家族のいないクラウドにとっては、血が繋がっていないとはいえ唯一の家族だ。
「そんなに怒ると禿げちゃうよ? ほら、プリンでも食べて落ち着いて」
「話を逸らすな! あと何で可燃ゴミ用のゴミ箱にプラスチック容器こんなに沢山入れてんだよ!」
「……別にいいじゃん。燃やせば皆同じなんだし……」
「ゴミの分別は人としての基本! 最近の子供の方がまだ生活力あるぞ!」
「ムー……」
しかし、もしこの場に第三者がいたら、どちらが年長者らしいかと訊かれれば間違いなくクラウドと答えるだろう。
痛む頭を押さえて、クラウドは愚痴と溜息を吐きながらゴミ箱の中身を整頓していく。
この姉に生活力云々を説いたところで馬に念仏だ。実際クラウドも半分以上諦めている。
(ったく、身体の成長に頭も引っ張られてんじゃねえの……?)
「何か思った?」
「いいえ何も」
そのくせ、勘だけは非常に鋭い。
作り笑顔で義姉の方に振り向いて、何でもないとアピールする。
「てゆーかさ、片付けはオレ一人でするから、姉ちゃんはどっか行ってなよ。埃舞うから」
「え、やだ」
「あっそ……」
それから黙々とクラウドは部屋の掃除を遂行していき、僅か二時間でゴミの山脈の解体を終えたのだった。
「終わっ、たぁあああ――!」
十数個ものパンパンに膨れ上がった特大サイズのゴミ袋を見て、クラウドは達成感から思わず声を上げていた。
額から汗が滲み出すのと同時に、どっと溢れる疲労感。
何か冷たいものでも飲もうとした矢先、横から氷水の入ったコップが差し出された。
「お、サンキュ」
「ん、どういたしまして」
クラウドがコップを受け取ってお礼を言うと、フィーネは少しだけはにかみながら返事をした。だが、
「――ケホッ、ケホッ」
「おい、大丈夫かよ。だからどっか行っとけって言ったのに」
掃除中に舞った埃を吸ったのか、フィーネが苦しそうに咳き込む。
この少女、魔法師としての実力はクラウドと比較にならないほど格上だが、呼吸器官が常人に比べて弱い。
日常生活に支障が出るわけではないが、換気していたとはいえ埃が舞う空間は決して快適ではなかった筈だ。
クラウドが掃除を始める前にフィーネに出て行くように勧めたのは、彼女を邪険に扱ったわけではなく、寧ろ気遣っての配慮だった。
だというのに、結局フィーネはクラウドが掃除をしている間、一度も部屋から出ることはなかった。
「ん、大丈夫」
「大丈夫なわけあるか。まだ終わってないところあるからしばらく外に出てろ」
「だから、大丈夫。クラウドが頑張ってるのに、私が出て行くわけにはいかないでしょ?」
「あ――」
さも当然だと、フィーネはキッパリとそう告げる。
その真っ直ぐな眼差しを向けられ、ようやくクラウドは姉の思いを悟り、そしてやれやれと首を振った。
(ったく、素直じゃない)
だがそれは、クラウドにも言えることだ。
本来下位の傭兵であるクラウドに、ゲラーテからの束縛は存在しない。
だがそれでも彼は、フィーネがこの都市に配属されてから、住み慣れた拠点と友人をあっさり切り捨て(ユリウスは付いて来た)、この街に訪れ、根を下ろしている。
そして再びフィーネが別の都市にまで転属されれば、クラウドは未練なくこの街を棄て、彼女に付いて行くことだろう。多分、ユリウスも付いて来る。
口下手で、何考えてるか分からなくて、生活力が壊滅的で、そして唯一の家族である自分を大切に想ってくれる姉。
そんなフィーネをまた、クラウドも何よりも大切に思っているのだ。
「よし、分かった。じゃあ早く終わらせて、今日は外食でも行くか」
「ん、いいよ。クラウドの奢りね」
「弟に掃除までさせといて金まで奪るか、この姉は」
言葉とは裏腹に、嬉しそうに口角を上げ、仕上げにと、クラウドは帰って来てから一度も手を付けていない自室のドアを――
ガチャッ――ドザザザザザザザザグシャァアアアアアアアアアアッッ!!
開けた途端、まるで雪崩の如く押し寄せてきたゴミに押し流され、生き埋めにされた。
「(プハァッ)死ぬかと思った!」
だがそこは腐っても傭兵。何十kgはあろうゴミの山から力任せに抜け出すことに何とか成功。
そしてこれの元凶、フィーネの方にゆっくりと首を曲げて、
「ね・え・ちゃ・ん……?」
「……ちょ、ちょっと外の空気吸ってくる」
「まあ待て待て」
急いで玄関に向かう小さな姉の前に立ち塞がって、クラウドは菩薩の如き慈悲深い笑みで、
「安心しろ、怒らないから。怒らないから、一体どう過ごしたらこんな風になるのか教エテクレルカナァ?」
「ひ……!」
だが言葉とは裏腹に、その握られた右拳には、幾本もの血管が浮かび上がっていた。
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