1-3 昔話

 吸血鬼。

 伝承として言い伝えられる、人の生き血を糧にする大怪物。


 その脅威は凄まじく、単体で相手に出来る人間は存在しないとされ、第一階位を超える数少ない『零の階位』に数えられる生粋の伝説の怪物に数えられている。


 その筈なのだが、


「痛ててて! 沁みる、沁みるって!」

「あー! もう動かないで下さい! 暴れたら余計傷に響きますよ!」


 クラウドは今、その伝説の大怪物に甲斐甲斐しく傷の手当てを受けていた。


 経緯はこうだ。

 ユキと名乗るこの吸血鬼に連れられ、住処と思われるこの古小屋に到着すると、突然彼女が『服を脱いで下さい』と言い出し、そして今に至る。


 どうやら一目見たときから、クラウドが全身に怪我をしていたことに気付いていたらしい。


 複数の薬草を擦り混ぜて作ったという塗り薬を全身の傷口に塗られるのだが、それのよく沁みること沁みること。

 痒みのあまりにクラウドが薬を掻き落としてしまい、その度にまたユキが薬塗り直すという作業を何回も繰り返していた。


「いい加減にして下さい! 保存していた薬のストックは無限じゃないんです! どれだけ無駄にするつもりですか!」

「んなこと言ったって、沁みるもんは沁みるんだからどうしようもないだろ! ていうか治癒の系統魔法使えばこんなの一発だし……」

「治癒の系統魔法? ああ、治療術のことですか。ものは同じでも呼び名が違うんですね」


 なるほど、とユキは手を叩くが、今も全身に形容し難い痛みが走っているクラウドはそれどころではない。

 これまで、怪我をすればその度に治癒の系統魔法で傷を癒してきたのだ。おかげで塗り薬というものに耐性がない。


 いや、修行時代ではよく師匠から薬を塗られていたが、治癒の系統魔法が使えるようになってきてからは殆ど使わなくなった。


 だがユキは「それではダメです」とビシッと言って、


「いいですか? あなたの言う治癒系統というのは、再生能力を底上げして傷を癒す類のものです。つまり、使う度にちょっとずつ寿命を削っているんですよ?」

「そんなことは知ってるよ。けど一度の使用で消費される寿命は微々たるものだって――」

「一回一回は小さなものでも、積み重なれば目に見える程大きなものになります。寿命が多いに越したことはないでしょう?」


 有無を言わさぬ強い口調でそう説明すると、ユキは奥の部屋から何やら缶らしきものを持って来て、


「前に住んでいた人の食料が残っててよかったです。よかったら食べて下さい。その様子だと、何日かまともな食事もしてませんね?」

「そんなこと『グ〜』……いただきます」

「はい、よく言えました」


 まるで計ったかのようにタイミングよく鳴る腹の音。よっぽど胃袋は食べ物を欲してると見える。

 クラウドは渡されたコップに注がれた水を飲みながら、少しずつ乾パンを口の中に放り込んだ。


 いつもは味気ない非常食程度に思っていた乾パンの味をたんまりと堪能して、クラウドは缶の中に入っていたもう一つ、更にもう一つと、必死になって貪っていった。


「キュウ……」

「ん? どうした犬っころ、欲しいのか?」


 美味しそうに乾パンを頬張っていると、先程追いかけたエンギツネが、クラウドの足に頬ずりをしてきた。


「もう、アステールったら。ごめんなさい、ちゃんとお昼ご飯はあげた筈なんですが……」

「いいよいいよ。コイツには食おうとした負い目もあるし」


 乾パンを一枚握り潰し、それをエンギツネ――アステールの口元に寄せる。


「キュウキュウ!」


 アステールは尻尾を振りながら、元気よく砕かれた乾パンを食べ始めた。


(……あれ、狐に乾パンあげて大丈夫だっけ?)


 まあ、魔獣なら何とでもなるだろうと、無理矢理自分を安心させる。

 そしてクラウドは缶に残っていた最後の一つを丁寧に咀嚼し、惜しむように喉の奥に飲み込んで、


「……ご馳走さま。美味かった。ありがとう、この借りはいつか返す」


 正面に座る白銀の吸血鬼に、クラウドは深々と頭を下げてお礼を言う。


「そんな重く捉えなくても大丈夫ですよ。私はただ、余っていた食べ物の処分をお願いしただけですから」

「じゃあ、オレは勝手に恩を返すだけだ。あんたは命の恩人だからな」

「ですから……」


 ユキは照れ臭そうに頬を掻いてクラウドから目を逸らす。

 ユキにとって困ったことに、クラウドの目は本気だ。本気で何か恩返しをしようとしている。

 必要ないと言っても、彼は納得しないだろう。逆に大きな恩を返そうと無茶をするかも知れない。


「……分かりました。じゃあ、面白い話をして貰ってもいいですか? 二年前からこの森にいるので、新しいことに飢えてるんです」


 ユキはそのことに気付いたのか、取り敢えず簡単なお願いをしてくる。


 このお願いでクラウドが恩を返した気になってくれれば万々歳。そうはならなくても、積み重ねていけばきっと彼も満足するだろう。


 そう考えたであろうユキは、クラウドが語り始めた面白おかしな話に耳を傾けていくのだった。


  ◆◆◆


「それで師匠はオレに言ったんですよ。『山の上に忘れてきた上着取ってきて。10分以内に。はいッ! 今すぐッ!』ってね。因みにその山は家から数十kmのところにありました」

「そ、それでどうしたんですか!?」

「巫山戯んなと飛び掛かって見事返り討ちに遭いました。仕方なく取りに行ったら山中探しても何処にもなくて、夜が明けてから師匠が来て『上着は近所の雑貨屋で落としてたっぽい。メンゴ☆』って。思わずブチ切れて飛び掛かって、結果山の上から吹っ飛ばされました。文字通り、空飛びました」

「へぇー! へぇー!」

「キュウ!」


 失敗した。何が失敗したかというと、予想以上に彼の話が面白過ぎた。


 外界から隔絶された森に閉じ篭っていたユキには刺激が強過ぎた。

 最初の数分ですっかりクラウドの語りの虜になり、一番目の話が終わっても、『次! 次!』と続きをねだる仕末。


 どうやらユキも、自分が思っていた以上に誰かと話したかったのだろう。クラウドの話を聞く彼女の目は実にキラキラと輝いていた。


「つ、続きをお願いできますか? もう少しだけ……」

「うーん、それはちょっと時間的にも厳しいかなぁ」

「え……?」


 語り口調がすっかり定着してしまったクラウドに釣られて窓の外を見たユキの目に入ったのは、真っ暗な夜空に点在する星々の輝き。


 どうやら時間を忘れて物語に没頭してしまったらしい。

 クラウドと出会ったのが正午過ぎだったので、既にあれから六時間以上は経過していることになる。


「もう傷もある程度治ったし、オレはもう街に戻った方がいい。これ以上森でいたら、捜索隊が組まれてオレを捜しに来るかも知れない。そうなると、ユキの身も危ない」


 それでユキの存在が露見してしまったら、クラウド一人がどう叫んだところで庇い切れるものではない。


 今まで来なかったからと言って、捜索隊が今日来ないという保証は何処にもない。

 クラウド自身はそうは思っていないが、ユキは零の階位の大怪物。その存在の罪は、人一人を助けたところでどうにかなるものではない。


「……そう、ですよね」


 そのことを聞いて、ユキが悔しそうに、だが半ば諦めたように肩を下ろす。

 その目には落胆の意がありありと込められていた。


 まるで彼女が吸血鬼であることを忘れさせてしまうくらい、人間らしい。


「だから、また来るよ」

「え……?」


 聞き間違いかと顔を上げたユキに、クラウドは優しく微笑んで、


「またここに来る。もう一度話を聴かせに、ここに戻ってくる。勿論、このことは誰にも秘密だ」

「……本当に?」

「ああ、本当に」

「キュウウ?」

「本当だって」


 彼女がそれを望むのなら、クラウドはいつでもこの場所に足を運ぶと言う。

 独りぼっちのこの少女に、いつでも昔話を聴かせに来ると、そう言った。


 しばらく放心していたユキは、はっと我に帰ると、小指をクラウドの方に運んで、


「じゃあ、約束です」

「ああ、約束だ」


 そしてクラウドも、己の小指をそっと、その白い指に添えたのだった。

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