第16話 一方こちら昆虫変異課
天界の昆虫部昆虫変異課。
十数人が囲む円卓の中央には白い靄が奥底深く積もっている。
靄で新しく加える変異のサンプルを模したり、靄をスクリーンのようにして下界での変異の結果を覗き込んだりする。
昆虫は天界での研究が進んでおり、新たに生まれる卵に対して、見た目や走性などをほとんど天界人の思い通りに変異させることができるのだ。
「コンクリートに擬態させてた子は全滅かな。」
「駄目でしたか~。良いアイディアだと思ったけど」
「通常だとこのタイプの緊急信号は小さめの個体が生まれるようにして…」
「少し多めに、100分の1ぐらいで混ぜて、数世代見守ってみます?」
「背に光沢を持たせた変異は好評みたいですよ。個体数がかなり増えています。」
「毒ガエルの模様を施してみるのはどうでしょう」
「成虫になるまでの時間を短くするってのはどうですか?」
「この件は鳥類部との合同会議に持ち越しで」
「羽のデザイン、私やりたいです!」
このように昆虫変異課で飛び交うさまざまな意見が、地上の昆虫の多様性を生み出してきた。
「結局は食糧問題でしょ。消化系から変えちゃってさ。少し北上させれば全域に葡萄畑あるじゃない。」
コミが靄で作った昆虫を積み上げた昆虫タワーを作りながら言った。
「また害虫扱いされるじゃないですか。どうせ変えるなら雑草食べるようにして」
「知ったこっちゃないわよ。困ればいいのよ人間なんか」
「人間に駆除されちゃうの可哀想じゃないですかぁ」
その時、コミの背後でピコンと高い音が鳴った。
「培地で山火事です。」
ホキがモニターを見ながら機械を操作する。
円卓の中央に下界が映し出された。
靄の切れ間に見える日本列島が徐々に中央へ拡大さていく。
山間に、赤く光る点。
「2年くらい前にコミさんが遊びでカメムシの背中に少女漫画風の顔の模様を施してみたところですね。えーと、日本の東海地方の…」
ガタン。
コミが勢いよく立ち上がり、椅子が倒れた。
「日本の…東海地方…。カメムシの培地…?」
靄を手で払い、円卓の中を覗き込んだ。
「そんなに大きな火事じゃないみたいですけど…虫たち導いてきましょうか。他なんか大事なことありましたっけ…?」
「あ、これ新しい光の道の拠点作る予定のところですね?人間総括部の調査課から確かコウさんとテンちゃんが今転生して行ってますけど、憑き人さんに何か伝え…」
「私が行くわ。すぐ憑依できそうな人間を捜してちょうだい」
コミが遮るように言った。
「え、人間ですか?」
ホキが倒れた椅子を起こしながら聞き返した。
コミが人間に憑依したいというのは妙なことだ。
コミはかつて人間調査課に所属していたのだが、転生していた時分いびられて帰還したせいで極度の人間嫌いになったはずだからだ。
コミはふるふると震える組んだ両腕を擦りながら、低い声でぼそりと呟いた。
「山火事なんて…早く消さなきゃ…。火炙りの刑がどんだけ恐ろしいと思ってんのよ…」
「コミさん?」
「そこにはねぇ!円部りい先生がお住みになってあそばすのよ!!!」
「マルベリー?」
「先生?」
「コミさんの知り合いで存命の人間がいるんですか?」
「円部りい先生って、コミさんイチ押しの少女漫画家さんですよ~。私も布教されたんですけど日本語が読めなくて。」
「ああ、コミさん最近閲覧室の利用多いと思ったらそういうこと」
コミは雑誌を運んでくると円卓にドンと積んだ。
「現役高校生の新人ながら、作者層の厚い月刊少女きゅんきゅんで人気ナンバーワンでときめき神回連発しててすごいのよ!」
コミは「私の留守中に読んどいてね。ここ必修ね。」と言いながら雑誌に付箋を貼っていった。
「コミさん本当に憑依に出るんですか?」
「そうよ。円部りい先生は日本の、いや、世界の宝なの!何かあったらどうするの?世界の終わりよ!早く憑依対象探して!」
さぁ早く早くとコミがホキを急かす。
肩を揺さぶられ「やりにくいな」と溢しながら、ホキが機械をカタカタと操作する。
「憑依かぁ…。コミさんに耐えられる器を持った人間なんてそういないですからね。人間総括部に問い合わせてみます。えー、日本の…。」
精神に自分以外の魂をもう一つ受け入れることに合意し、且つ主導権を自分に保てる人間。
それが天界人都合での継続的な憑依が認められる条件だ。
コミは意思の力が強く制御が難しいので憑依できる人間は限られる。
「一番上は東北地方の口寄せ修行中の山籠りの女性ですけど。それから近畿地方に高い霊能力の住職男性。もう少し地域で絞り込むか。」
画面が切り替わり、地図がより詳細になった。
「お、ちょうど山火事の地域にいらっしゃいますね。非常に信仰心の厚い主婦の方。それから5歳の男の子。」
「オッケーその主婦に交渉に行くわ!急いで手続きしてくる!」
「あ、待ってください。コミさんは人間に憎悪を抱いていると判定されているので一人で憑依には出られませんよ。」
「え、そうなの?じゃあ誰か憑き人来てくれない?誰でもいいから。日本語わかる人いる?」
コミの言葉にホキは冷や汗をかいた。
ほかの者は安堵のため息をついた。
しんと静まりかえった場で一人が「ホキさん、」とおずおず呼び掛け、ホキはびくりと肩を上げた。
「日本の昆虫学会に視察に行ってた時の資料、すごく良かったですよ…?」
固く上がった肩に、ぽんとコミが手を置いた。
「ホキ」と言うその顔が情熱的に輝いていることは見なくてもわかる。
「一緒に日本を救うわよ。」
力強いセリフを放って弾みだしたコミの後ろ姿を見送って、ホキは深いため息をついた。
あのスーパーボールのような人に、これからどれだけ振り回されることか。
憑依対象の人間が不幸にならなければいいが。
そんなふうに思いながらホキはコミの後に足取り重く続いていった。
「人間に憑依したって、どうやって山火事を消すんですかねぇ…。」
「さあ…?コミさんのお考えはいつも突飛だから…。」
その時ピコンと音がなり、火事を示していた画面上の赤い光が消えた。
「山火事終わったようですねぇ。」
「そうですねぇ。」
そうして昆虫変異課の面々は元の変異の議論へ戻っていった。
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