第15話 博晃の中のコウという人
―僕、コウさんに施された変異スイッチ、記憶力だと思うな。
サカはさくらが運ぶ毛布の上で平泳ぎをしながら言った。
もこもこのピンクの毛布は肌触りが良く、さくらのお気に入りだ。
愛の大きくなったお腹に「どーぞ!」と掛けると、サカは「おっと」と飛び退いて新品のランドセルが入っている箱の上に座った。
―昨日ひろくん、誕生日の話してたんだけど、二歳の誕生日はケーキじゃなくてプリンだったよねーとか言い出して!普通の人間の子としてはかなり記憶力いいじゃないですか?
―へぇ。それはなかなかすごいわね。
―ママさんもパパさんも、忘れちゃいけないようなことは一旦ひろくんに言って覚えといてもらってるんですよ。あ、それにねぇ…
―まぁた始まった。サカのうちの子自慢。
確かに博晃は何でもよく覚えている。
「また桜が咲いたら僕がとってあげる」という一年越しの約束もちゃんと覚えていて、去年も一昨年も、綺麗なものを一輪選んでさくらにプレゼントした。
この分だと、天界に還っても今の記憶をしっかり保っていそうだ。
(うう~ん…。やっぱちょっと気まずいよなぁ…。)
さくらは紙にぐねぐねと線を引いて迷路を作りながら、二人の話に聞き耳を立てた。
―あとは警戒心かな。ひろくんが1歳の時、ママさんがバッサリ散髪してきたんだけど、警戒して泣いて、同じ部屋にもいられなかったんですよ。
―警戒心が強いというかそれは識別能力が低いんじゃない?あ、それかカテゴライズ能力が高いって可能性も
レイとサカがああだこうだ、或いはああでもないこうでもないと話す。
―でも元のコウさんの性質がどのくらい反映されてるか…。記憶力もコウさん良かったし。
さくらはうんうんと頷いた。
―コウさんってなんか完璧っていうか、なんでも出来る人でしたもんね。
―ん?
さくらの言葉に、サカは少し前の天界の様子を思い出す。
それはテンが課に配属されたばかりの頃。
テンは任されていた書類を課長のカクにニコニコと提出した。
「できました!」
「はい、ご苦労さま。」
ニコニコ顔のまま席に戻ろうとするテンをカクが呼び止めた。
「んー、ここがねぇ…」
テンは首を傾げて指摘されたところとにらめっこしながらてこてこと歩き、席に戻った。
すると急に表情がぱぁっと明るくなり、カリカリと書き込むと、先ほどよりも一層輝いた目で再びカクの元へてってってっと駆け出した。
「どうですか!?」
渡された書類に目を通すと、カクはまるで孫やペットを相手にしているように高い声で「良くできてるよ~」と言ってテンの頭をわしゃわしゃと撫でた。
テンは目をきゅっと細め、嬉しそうにエヘヘと笑った。
「見すぎですよ、コウさん。」
背後からの声に、コウはギクッと肩を上げた。
振り向くとサカが薄ら笑いを浮かべて立っている。
「…。なんのこと?」
聞かなくても何のことを言っているかは唯一つの心当たりしかない。
テンが最初に席を立ってから頭を撫でられるまでの間、自分が本を持ったまま直立不動だったことに気付く。
しかし、心の中で不安定な天秤が「まだ誤魔化せる」という危うい賭けに傾き、あたかも本当に何のことか分かっていないような、しれっとした声のトーンを作り出した。
「はい、ダウトー。取り繕ってもバレバレですからね。新人のテンちゃんのこと見てたでしょ」
「…」
コウはしれっとした表情のまま歩き、書架の間で立ち止まった。
そして、糸の切れた操り人形のようにカクッと頭を倒した。
額がゴツンと柱にぶつかったので、サカは「痛そう」と顔をしかめた。
「だってさ、……可愛すぎん?あの子」
コウは顔を赤らめ、じんじんと痛む額を押さえる。
「お。思いの外素直に白状したな。」
その時、書架の隅からひょこりとテンの顔が覗き込んだ。
「あ、いた!コウさぁん」
「!…何?」
尻尾だ。尻尾が見える。
真っ白な仔犬が尻尾を大きく振って嬉しそうに寄ってくる。
それか、綿菓子だ。
綿菓子が尻尾を振って駆け寄ってくる。
綿菓子に尻尾や足があったかどうかは別として。
「あ、すみませんお話し中に…」
「いや、いいよ。」
「これがよくわかんないんですけど、教えてもらえますか?レイさんに聞いたら、コウさんが詳しいから聞いておいでって言われて…」
「…あー…。」
コウは無駄なく説明した。
簡潔にわかりやすく。
一緒に資料を覗き込むテンの頭が、腕にぶつかりそうなほど近い。
「あ、こっちの値はここなんですね?わかりました!ありがとうございます!」
テンはにこっとコウを見上げ、ぺこりと頭を下げると、てこてこと小走りで自分の席に戻っていった。
「やばい、可愛い…。」
コウは情けないへなへなとした声をため息と一緒に吐き出し、頭を抱えてしゃがみこんだ。
「懐っこすぎん?なんであんなちょこちょこ動く?もしかして小動物上がりの霊スカウトしてきた?自分を犬だと思い込んでるリスみたいな」
「まあ言いたいことは分かります。確かに人懐こいですよね。コウさんあんなに素っ気ないのに。…コウさん好きな子に冷たくしちゃうタイプですか?怖い人って思われちゃいますよ。」
「いや…無理なんだよ。近くに来られるとこう…なんかあれで、ヤバいから。実際怖いわ自分が」
「さては思ってたより大分重症ですね?」
「はぁー…。小さくして掌にのせて可愛がりたい」
「ほかの人には言わないほうがいいですよ。正直僕若干引いてます。」
そう言いつつもサカは「面白いものを見た」と内心喜んでいる。
「ちなみに部署のみんなにもバレバレですからね」
「それであの人たちはあんな感じなわけ?」
部署の人々は今のようにテンが質問に行った先々で「コウさんならわかるかも」だの何だのとやたら指導を回してくる。
それが不自然に頻繁で、「テンに対する虐めじゃないか」と心配になるほどだった。
コウの容姿や仕事ぶりについてかっこいいとキャアキャア陰で騒ぐ女の子たちも、進んでそのようにしてくるのだ。
「観賞用アイドルなんですよ、コウさんは。自分とどうこうなってほしいとかじゃなくて、主人公が想いを寄せるヒロインとくっついてほしいみたいな。みんな二人を見てニヤニヤしたいんですよ。」
「なにそれ…。」
コウは「いや~おもしろ」と言うサカを小突くと再び額を押さえてため息を吐いた。
博晃とさくらは紙に描いた迷路を交換し、互いに解き合った。
分岐のない一本道の迷路になってしまったさくらに、こうするともっとよくなるよ、と博晃が優しく丁寧に教えている。
コウは確かに完璧と言いたくなるほど仕事が出来たが、周りから何でもかんでも「コウに聞いたらいいよ」と言われてきたテンにとって、コウは実物以上に完璧な人なのだろう。
久々にあのヘタレなコウを見たいものだなぁとサカは懐かしんだ。
―サカさん?どうしました?
さくらが落書き帳の上に寝そべるサカに声をかけた。
何も言わず博晃を見つめてニヤついているのだから、不審にも思うだろう。
―ん~?いや、コウさんのダサいところ思い出してただけ~。随分ストレートになったもんだなぁって。
「いよいよかぁ!楽しみだね!」
愛と話していた可奈子が声をあげた。
「いいね。うちはまだまだ買えないなぁ。」
てっきり二人目の子どものことを話していると思っていたさくらは、「買う」という単語に頭の中が一気に混乱した。
「なにかうの?」
「お家買うんだって!」
「えっ!」
―マイホームかぁ。憧れよね。ロフトがあるのがいいな。あ、和室もいいわよね。掛軸飾って。縁側付きで…。
レイが夢見がちに言う。
―レイさんは前転生してた時、どでかい家に住んでたんでしょ。イギリスの貴族の。
―逆に窮屈なのよ。毎週のように人招待して社交ダンスなんかしなきゃならないのよ。理想の家はもっとこう…
「おうち?ひろくんおひっこしちゃうの?」
愛のお腹を撫でながら寂しそうに言うさくらの頬を、愛がむにむにと摘まんだ。
「引っ越すっていっても、すぐそこだよ。ほら、ここの裏の空き地に新しい家がどんどん建っていってるでしょ?」
「すぐちかくだから、だいじょうぶだよ。10びょうでいけるよ!」
「敷地出てダッシュしたらね。いや、やっぱ10秒は無理だな。でもすぐ近くだよ。」
「ちかく?」
窓から見ようとするさくらに愛が「ここからじゃ見えないかもなぁ」と苦笑した。
博晃が「向こうの道だよ」と言ってさくらを連れて出た。
新居が建つ場所までの道を歩いている間、さくらは寂しさと不安でもやもやとしていた。
引っ越すことで、自分と離れていることに慣れてしまうのではないか。
そうしてどんどん遠くなってしまうのではないか。
「ここだよ!」
四角く区切られた、肌色の土地。
「二かいに、ぼくのへや作ってもらうんだよ。そしたら二人でいっぱいあそぼうね。」
―まー!さくらを部屋に連れ込んで二人きりですって!
―おやおや、ひろくんってば、大胆!
ここに赤ちゃんが生まれて、赤ちゃんを可愛がって、二階に上がって、博晃と二人で一緒に遊んだり勉強をしたりする。
そんな想像をすると、きっと楽しくなるだろうという期待が膨らんできた。
愛が可奈子に言う。
「この前は引っ越したくないってへこんでたの。たぶんさぁちゃんと離れなくないからだよ。ひろの部屋作ってさぁちゃん呼んで遊ぼうって言ったら楽しみになったみたい。」
しかしさくらの心の中で、一度現れた不安は完全には消えなかった。
もともと人間に転生したコウがテンのそばにいるのは15年という約束だった。
博晃にコウの記憶がない今は、15年という保証もない。
もしかしたら来月入学する小学校で、博晃は自分よりももっと気の合う友達と出会うかもしれない。
環境が変わる度に、自分との関係が希薄になっていくのかもしれない。
さくらは博晃と繋いだ手にぎゅっと力を込めた。
博晃はさくらの顔を覗き込むと、よしよしと頭を撫でた。
どこからかサイレンが聞こえる。
これは、消防車の音だったっけ?それともパトカーだっけ?
そんなことをぼんやり考えていると、博晃が「見て!」と叫んだ。
「あの山、けむり出てる!」
博晃が指差す遠くの山の中腹から、濃い灰色の煙がもくもくと上がっていた。
何台もの消防車の音が聞こえてきた。
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